オピニオン
企業が従業員の社会的ウェルビーイングに取り組む意義
2024年08月27日 村上芽
ウェルビーイング(well-being)という言葉を聞く機会が増えてきた。その考え方や測定尺度について数多くの試みがあり、使われ方も広がっている。そこで本稿では、第1節でこれまでの経緯を大まかに把握し、第2節で今後、企業が特にどこに着目すべきかを検討する。1.個人のウェルビーイングと、社会全体の豊かさ WHO(世界保健機関)は、1946年の憲章において、「健康」を次のように説明した。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます(日本WHO協会訳)」(※1) 。ここで「満たされた状態」の部分がwell-beingであり、ウェルビーイングには身体・精神・社会的な3つの要素があることを説明する際によく使われている。 このようにウェルビーイングは個人単位の状態を説明する考え方として、心理学のような領域や、ソーシャルキャピタル(社会的関係資本)などの人のつながりを扱う研究、社会的孤立の予防や地域コミュニティの再生、個人の潜在能力を引き出すアプローチなどに広がっている。ウェルビーイングを考える起点は「個人」にあると言ってよいだろう。 これに加え、特に21世紀に入ってから、GDP(国内総生産)以外の豊かさを示す指標づくりが発展している流れもある。先進国では、GDPが増えても、それが国民の幸福や満足と比例しなくなったという悩みを抱え、フランスのサルコジ政権下の「スティグリッツ報告」(2009年)や、OECD統計局の取り組みが関心を集めた。例えばブータンのGNH(国民総幸福量)や、OECDのBetter Life Index(BLI)、SDSNなどによる世界幸福度調査のように、国単位で指標化したり比較できるようにしたりする方法論が発展した。これらは、国や自治体など、社会のレベルで統計から捉えられる指標として、個人の主観的なウェルビーイングや主観的な幸福も内包する概念として大きく捉えられている。 この、国別のアウトプットを見せる流れは、世界中でみられる社会・経済構造の変革の議論と密接な関係にある。大まかにいえば、「新しい資本主義」もその1つであろう。 一方、ではウェルビーイングが何を指すか、という定義に関しては、答えが定まっているわけではない。健康、幸せ・幸福、福祉など、意味合いとしてポジティブな、伸ばすべきものとして使われる。例えば、SDGs(持続可能な開発目標)の目標3は日本語では「すべての人に健康と福祉を」とあるが、この「福祉」が、原文でwell-beingである。 最近、2030年を目標年とするSDGsの次に来るキーワードとしてウェルビーイングが挙げられることもあるが、言葉としてはSDGsにすでに含まれていることを踏まえると、より広い、人間の豊かさ全体を指す概念として期待されていると解釈できる。健康、幸せ・幸福、福祉といった訳語のどれもが正解であるものの、どれも一語で説明しきれないのが現状であり、カタカナやアルファベットでの表記が目につく。これから改めて議論を深め、共通認識を醸成するべき概念だともいえよう。2.企業による取り組みが期待される領域 GDPに代わる指標に関する世界的な動きを受け、国内でもさまざまな調査研究がなされている。例えば内閣府では2011年に「幸福度に関する研究会報告」を発表し、そこで示された「幸福度指標試案」では、「主観的幸福感」を上位概念とおき、「経済社会状況」(住居、子育て、教育、雇用など)、「健康」(身体、精神)、「関係性」(ライフスタイルやつながり)を主観的幸福の3本柱として整理した。 また最近では、OECDの取り組みに沿って内閣府が「Well-beingダッシュボード」を提示したほか、労働研究・研修機構では「仕事と生活、健康に関する調査」と題した個人パネル調査を開始した(いずれも2023年)。後者は、対象を35~54歳としており、賃金・労働時間・仕事の特性・職場の特性などが、健康や主観的な幸福感などとどのような関係にあるかを深堀する調査であり、調査結果は企業にとっても参考になるものと考えられる。 では、企業が今後何を強化すべきなのか、というと、実は、まったく新しいところが少ないようにもみえる。待遇の改善、職場の安全衛生、メンタルヘルスを含む健康増進、仕事と生活(育児、介護、病気など)との両立、ダイバーシティなど、ウェルビーイングといわなくても取り組み強化してきたことが多くあるだろう。しかし、だからといって現状にマルをつけておしまいにしてしまうのはもったいない。 そこで、これまでにもよりよい職場にするために取り組んできたことを強化したり、さらに新たな切り口を見出したりするために、「個人の社会的ウェルビーイング」に着目し、それを企業が後押しすることを提案したい。「個人の社会的ウェルビーイング」を構成する要素は、①社会との繋がりがあり、②自分の居場所・役割があって、③周囲に受け入れられていると感じること、が挙げられる。この3要素をさらに具体的に考えると、繋がりの数の多寡や社会の広さではなく、一人ひとりが自分にとって信頼できるネットワークを持っているか、が重要であるなど、これまで取り組んできたダイバーシティなどのキーワードと両立させながら議論を深めることができるだろう。 そして、企業(組織)として、従業員の一人ひとりの社会的ウェルビーイングを高める要素は何か(ポジティブ面、機会面)、逆に、それを毀損する要素は何か(ネガティブ面、リスク面)を検討していく。これによって、職場での意見の言いやすさのような社内環境のことと、私的なボランティア活動や副業など社外環境のことを、社会的ウェルビーイングという土俵で一緒に並べてみることができる面白さがある。 日本総研では、多様な個人と社会が共に育ち、幸せになる社会を「共育ち社会」 と名付けてさまざまな活動を行っている。企業が個人の社会的ウェルビーイングに着目することもその構成要素だと捉えており、今後、さらに具体的な検討を深めていきたい。(※1) 公益財団法人日本WHO協会仮訳「世界保健機関憲章前文」 ※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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