アジア・マンスリー 2024年8月号
急増するインド金融機関の個人向け貸出
2024年07月26日 熊谷章太郎
個人向けを中心にインドの金融機関の貸出が急増している。こうしたなか、インド準備銀行は潜在的な金融リスクの抑制を目指して融資規制の厳格化に向けた動きを強めつつある。
■金融機関の個人向け貸出が急増
インドで金融機関の貸出が急増している。そのけん引役は住宅ローンや自動車ローンを中心とする個人向け貸出であり、商業銀行の個人向け貸出残高は足元で前年同月比+30%近いペースで増加している。また、自動車ローンや住宅ローンを専門に取り扱う金融機関や、消費者金融を含むノンバンクによる個人向け貸出もハイペースで増加している。この背景としては、以下の2点を指摘できる。
第1に、雇用環境の改善に伴う家計の債務負担能力の向上である。コロナ禍からの経済・社会の正常化に伴い、対面型サービス業を中心に雇用環境は改善傾向が続いている。短期の労働統計が参照可能な都市部についてみると、2020年に一時20%を上回った失業率は足元で6%台に低下している。若年層の失業率は依然として20%弱と高いものの、こちらもコロナ禍のピーク時の30%台から大きく低下している。また、民間調査機関によるアンケート調査によれば、過去数年間、名目賃金は前年比+10%前後のペースで増加が続いている。消費マインドの改善が続くなか、今後の収入増加を見越した中間所得層は、借入を通じた住宅、自動車、家電などの購入意欲を高めている。
第2に、低所得者層の金融サービスへのアクセスの改善である。コロナ禍をきっかけに経済・社会のデジタル化が加速するなか、多くの金融機関がインドの国民IDシステムである「Aadhaar」とPAN(納税者番号)を用いた本人確認システムや、AI(人工知能)を用いた融資審査モデルを活用して、スマートフォンですべての手続きが短時間で完結する個人向け融資の提供を開始した。これを受けて金融機関の店舗数の乏しい農村部に居住する家計の金融サービスへのアクセス環境が改善し、低所得者層による少額の借入が急増した。
■金融機関の貸出急増がインド経済に与える影響
個人向けを中心とする金融機関の貸出急増がインド経済に与える影響は、プラス効果とマイナス効果の両面がある。まず、プラス面についてみると、家計への貸出増加は、消費や住宅投資の増加を通じて当面の景気を押し上げる。また、金融機関の融資拡大と融資先を取り巻く経済環境の改善は、金融機関の財務状況の改善を通じて金融システムの安定性を向上させる。貸出増加と景気拡大の好循環が続いていることに加え、財務基盤がぜい弱な国営銀行の再編やバッドバンクへの不良債権の移管といった取り組みが進められたこともあり、商業銀行のROA(総資産利益率)、不良債権比率、自己資本比率、などはいずれも足元にかけて改善している。このほか、家計債務のGDP比率や住宅価格の上昇率も安定しており、金融システムは健全性を高めていると判断される。
ただし、金融機関の貸出の急増が、予期せぬ景気悪化をきっかけに債務返済が滞るリスクを高めることには留意が必要である。インド経済は中長期的に底堅い経済成長が期待されているものの、①就業者の約4割が天候要因に左右されやすい農業に従事していること、②資源価格や先進国の金融政策の影響を受けやすい経済構造であること、③大胆な制度変更などに伴う一時的な経済・社会の混乱が繰り返されてきたこと、などを踏まえると、唐突な景気悪化のリスクはゼロではない。
さらに、①ノンバンクによる個人向け貸出の2割強が無担保融資であること、②ノンバンクは資金調達の約7割を金融機関の借入や社債購入に依存していること、③商業銀行のノンバンクへの融資は全体の約1割に相当すること、などを勘案すると、無担保融資の割合が高いノンバンクが経営難に陥る場合、その悪影響が金融業界全体に波及する可能性がある。過去の例を振り返ると、2018年に大手ノンバンクIL&FSが複数のデフォルトを引き起こした際、信用不安が連鎖して金融機関の貸出態度が厳格化したため、耐久財消費や投資が下振れた。
■厳格化に向かう融資規制
こうした潜在的な金融リスクの高まりを警戒するインド準備銀行(中央銀行)は、融資規制の厳格化に向けた動きを強めている。2023年11月、インド準備銀行は金融機関の個人向け融資のリスクウエート(貸し倒れリスクのある資産に対する引当金の割合)を引き上げた。また、本年1月、サイバーリスクの抑制に向けたシステム監査を理由に、電子決済大手ペイティーエムの傘下銀行に対して業務停止命令を出すとともに、3月に監督上の懸念を理由に大手ノンバンクIIFLの金を担保とする融資に停止命令を出すなど、監督態勢を強めている。
一連の取り組みを受け、商業銀行の個人向け貸出の増加率は足元で鈍化傾向にあるものの、依然として過去数年間と比べると高い。今後、インド準備銀行が、リスクウエートや流動性カバレッジ比率の引き上げのほか、住宅ローンのLTV(借入の不動産価格に占める割合)規制の厳格化に踏み込むかが注目される。
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