RIM 環太平洋ビジネス情報 Vol.23,No.91
タイにおける2つの開発の道 ─高所得国への道 vs. 社会の発展─
2023年11月09日 東京大学名誉教授 末廣 昭
1987年から始まる未曽有の経済ブームのもとで、タイは発展途上国の時代から中進国化への時代にシフトした。これに伴い政府の政策課題も変わっていくが、1997年アジア通貨危機の勃発によりタイは岐路に立たされる。すなわち、タックシン首相が主導する国の改造に基づいて「高所得国への道」に進むか、国王が提唱する「足るを知る経済」に基づいて「社会発展の道」を選ぶか、2つの道に対応が分かれた。こうした外来の危機(ショック)への異なる対応は、1980年代前半のNICs路線とNAIC路線の対抗や、プラユット政権の「タイランド4.0」の策定とこれを補完する「Bio=Circular=Green (BCG)経済モデル」の並存にもみることが出来る。
2001年に政権を掌握したタックシン首相は、競争と効率性を強調し、中進国という経済的地位に見合った国家の現代化と「高所得国」への仲間入りを目指すことで、通貨危機後の経済不況を克服しようとした。一方、「足るを知る経済」を提唱した国王は、高所得国(NICs)を目指すのではなく、タイの伝統と価値に基づく社会の発展と、外来の危機に適応出来る免疫力の構築を重視した。両者は競合したものの、2006年9月の軍事クーデタでタックシン首相が追放され、国王の「足るを知る経済」は2007年憲法のなかで「国の基本政策方針」のひとつに位置づけられた。
しかしその後、タイ経済は長期的な停滞を経験し、人々の間で「中所得国の罠に陥った」という認識が強まった。その結果、2014年のクーデタで実権を握ったプラユット政権は、タックシン政権の経済担当副首相であったソムキットを招聘し、向こう20年間の国家戦略「タイランド4.0」を策定した。これはイノベーション主導の成長路線をとることで、2036年までに「高所得国」への仲間入りを目指す野心的戦略であった。これに対して、2016年には、世界銀行グループが包摂的成長路線を軸とする対抗的提言を行い、2019年には、プラユット政権自身が「タイランド4.0」の軌道修正として、「BCG経済モデル」を策定する。それは、二酸化炭素排出ゼロ社会と国連のSDGsの実現という国際社会の要請への対応でもあった。
外来の危機に対する2つの異なる対応は、マクロ経済に安定をもたらし、危機への柔軟な対応を可能にするというメリットを持っていた。しかし、2023年の総選挙後は、連立政権がいっせいに現金給付のポピュリスト的政策に走り、タイ経済が直面する構造的な問題への対応が置き去りにされるという深刻な事態が生じている。
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