オピニオン
フューチャーズ・リテラシー ~自由になるための道具としての未来~
2023年09月12日 山本尚毅
フューチャーズ・リテラシー(futures literacy)という言葉を聞いたことがあるだろうか。人々が未来についての異なる視点や仮説を探究し、新たな可能性や選択肢を考える能力(ケイパビリティ)を指す。この概念は、教育、ビジネス、政策決定など様々な分野ですでに応用されている。2012年、国際教育科学文化機関(UNESCO)による探究と開発がスタートし、現在では、Global Futures Literacy Networkを形成し、20を超える国や地域が参加している。 ウェブサイトの第一文は「FL is a capability.」からはじまる。筆者は、1998年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者アマルティア・センの影響があると推測している。センは貧困とはケイパビリティ(潜在能力)が奪われている状態であると定義した。未来を想像することは人間が生来持つ力であり、普遍的に利用可能なスキルである。しかし、想像する力が欠乏している現状を問題視し、それに解決策を提供しようとする意志がこの一文に感じられる。未来を想像することは誰かに習わずとも生来、人間に備わっているケイパビリティである。フューチャーズ・リテラシーは外側から与えられる知識や技能ではない。もともと備わっている潜在的な力を花開かせるための手段であり、誰もが身につけることができ、また身につけるべきスキルであり、誰もが手の届くところにある。 そして、フューチャーズ・リテラシーの概念としての要は、「未来を使う」という点である。未来をゴールや目的として取り扱うのではない。未来を人々が見たり行動したりすることに役立てる道具に見立てる。道具としての未来が果たす役割をよりよく理解し、活用することで、新たな選択肢や可能性を手に入れることができるという点に画期的な着眼と説得力がある。 私は、前職で「未来研究プログラム」という探究学習のコンテンツ開発を企画していた。「高校生たちが未来を自分ごとにひきつけるために何ができるだろうか」と問いを立て、総合的な探究や進路選択を通じて、高校生の可能性を広げ、進路の選択肢を増やそうと取り組んできた。しかし、高校生は「未来」をはるかかなたにある到達地点、大人や賢い人が考えること、自分とは直接関係ないもの、大半がこのいずれかと考えていた。未来よりも今ここを一生懸命に生きていた。未来のことを生徒に学んでもらうのは、大人の善意の押し付け、先回りしたお節介かもしれないと、悩ましい日々を過ごすこともあった。現在も、その感覚は正直、ぬぐいきれない。 他方、「今を生きる、それでいいのだ」と肯定することは容易なのである。しかし、未来を想像することはもともと備わっているケイパビリティであるのだから、それを開花させることは教育として重要な仕事であろう。未来を考えることを回り道や異物として考えるのではなく、子どもたちの道具箱に入れておくような身近なものにしていきたい。『もし「未来」という教科があったなら ―学校に「未来」という視点を取り入れてみた―』 という書籍を 編んだのも、その悪戦苦闘の一環である。前書きに記した一文を紹介して終わりとしたい。 “学校現場で未来を考えようと思うと、つい子どもたちに、「未来に大志や希望を抱いてほしい」という先生としての、大人としての本能が働く。しかし、何より第一に考えるべきは、私たち大人自身がどんな未来を想像するかだろう。いつだって子どもは大人の背中を見ている。” ※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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