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絵空事でない絵の力

2023年08月08日 井上岳一


 北海道岩見沢市の中心地から車で30分ほど行くと、東部丘陵地帯と呼ばれる、かつて炭鉱で栄えた一帯になる。中心地の美流渡(みると)は1969年に閉鉱される前は1万人ほどがいたが、今は330人。半世紀で30分の1という急激な人口減少だ。
 美流渡に向かって車を走らせると廃墟に近い空き家がそこかしこにあり、寂れた印象は拭えない。だが、町の中心部に行くと、印象が変わる。商店のシャッターに描かれた可愛い熊の絵が「ようこそ美流渡へ」と出迎えてくれるからだ。熊が指さす方向には、旧美流渡中学校がある。廃校になった中学校の窓には雪対策のベニア板が打ち付けられているが、そのベニア板や扉には、可愛い生き物達が描かれている。中学校の中に入れば、教室や廊下が、いっぱいの絵で飾られていて、思わず歓声をあげてしまう。
 絵を描いたのは画家のMAYA MAXXさんだ。MAYAさんは、愛媛県今治市生まれ。早稲田大学を出て画家となり、小説の装幀画や絵本、CDのジャケットなどで活躍しているが、美大を出ているわけでも、画壇デビューしているわけでもないため、アーティストとしては無名に近い。
 そんなMAYAさんは2020年夏、東京を離れ美流渡に移住した。MAYAさんが探していたアトリエにするスペースがあると、長年の友人で編集者の來嶋路子さんに誘われたからだ。來嶋さんはその数年前に美流渡に移住し、ミチクル編集工房を主宰していた。

 美流渡に来たMAYAさんは、中学校のベニア板を見て、「あそこに絵を描いたらどうだろう?」と提案する。來嶋さんの尽力で企画が通り、MAYAさんが絵を描き始めると、その真摯な姿が、町の人達を変えた。校庭の草刈りをしたり、ベニア板を白く塗る手伝いをしたりといったことを自発的に行う人々が出てきたのである。
 今、中学校では季節ごとに地域の創作者達が作品を発表する「みる・とーぶ展」(「見る」と「東部」、それに「美流渡」をかけた造語)が開催され、MAYAさんの新作も展示される。会期中は、札幌などから大勢の人が押し寄せる。MAYAさんの絵が地域に賑わいを呼び戻しているのである。
 2021年には路線バスが廃線となり、コミュニティバスに代わったが、住民からの要望でMAYAさんが車体に絵を描いた。MAYAさんの絵のお陰でコミュニティバスは人気となり、利用者が増加した。外部からわざわざ乗りに来る人もいるくらいだ。

 MAYAさんは、美流渡に来てから、自分のための「作品」を描くのをやめたと言う。それまでは、どれだけ新しいか、どれだけ人と違うかばかりを考えて描いていたが、今は、絵を見て喜んでくれる人のために、贈り物として絵を描いているという。商取引ではなく、贈り物として描かれた絵が美流渡を明るく変えているのだ。
 東京で美術雑誌の編集に携わっていた來嶋さんは、MAYAさんの、人の心を集める絵の力をリアルに体験して、東京で追っかけていた最先端のアートが、絵空事に思えてきたという。美流渡には、絵空事ではない絵の力、人の気持ちを変え、新しい出来事を起こす絵の力がある。東京では感じ取ることのできなかった絵の力が、美流渡には存在している。

 MAYAさんのアトリエの外壁には「PLAY PRAY」と描かれている。旧産炭地である美流渡でこの言葉を目にすると、MAYAさんの活動が、日本の近代化・産業化を支えた炭鉱とそこに生きた人々への鎮魂の祈りのように思えてくる。20世紀の日本の発展を支え、その矛盾を引き受けてきたのが旧産炭地である。誰に頼まれた訳でもないのに、旧産炭地に明るい灯を点そうと独り黙々と、時にみんなと楽しみながら、絵を描き続けるMAYAさんの姿には鎮魂の祈りを感じる。
 アートに注目する企業が増えた。地域貢献を謳う企業も多い。しかし、旧産炭地でのMAYAさんの活動を知る企業は少ない。このような活動こそ、20世紀に成長した企業が支えるべきものだと思うがどうだろうか。


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

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