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常に人間の側に立てるか

2023年01月17日 井上岳一


 モダンデザインの歴史は、詩人、美術工芸家にして社会思想家のウィリアム・モリス(1834−1896)が主導したアーツ&クラフツ運動に始まると言われる。モリスは、産業革命の結果、大量生産による安価で粗悪な製品があふれていた当時の英国の社会状況を批判し、中世の手仕事に戻り、生活と芸術を統一させることを主張。1860年にはモリス商会を設立し、自然の美をモチーフにした手仕事の美しい家具や装飾品などの製作・販売を開始した。
 モリスのデザインした製品は、今なおインテリアショップ等で販売されていて根強い人気を誇る。100年たっても古びない斬新さがモリスのデザインにはある。しかし、手仕事にこだわったために高価で、当時は一部の裕福な者にしか手が出ないものだった。また、工業化は時代の趨勢であったから、その流れを押しとどめることには無理があった。このため、アーツ&クラフツ運動は、20世紀の到来と共に、終息していったのである。

 ただし、「大量生産時代における美とは何か」というアーツ&クラフツ運動の問いかけ自体は残った。その問いを引き継いだのが、ワイマール共和国に1919年に設立された造形美術学校バウハウスである。バウハウスでは、工芸、写真、デザイン、美術、建築など幅広い分野からの教師を集め、当初は教師と生徒が寝食を共にしながら、20世紀にふさわしい美術やデザインや建築のあり方を探求、実践した。手仕事に美を見出したアーツ&クラフツ運動と異なり、工業製品を前提にした点にバウハウスの特徴があった。
 1933年にナチスにより閉校に追い込まれたバウハウスだったが、工業の時代にふさわしい合理的で機能的なデザインを追求する中で生まれた思想や方法論、そしてデザインの数々は、20世紀のデザインの原型となり、今なお影響を与え続けている。新しい時代にふさわしい形で生活と芸術の統一を探求し、具体的な形として提示したことにバウハウスの革新があった。

 モリスは、1890年に『ユートピアだより』という小説を書いている。ある日、目が覚めるとそこは22世紀のロンドンであったという設定で始まる小説は、緑したたり,水は澄み,「仕事が喜びで,喜びが仕事になっている暮らし」が22世紀の英国に実現しているさまを描いている。社会が大きく変動する中で、人間にとっての美のあり方を問い続けたモリスは、人間を幸せにするための社会変革を夢見ていたのだ。モリスが詩人、美術工芸家であると共に、社会思想家であったのは、偶然ではない。時代の変動期において人間の側に立ち続け、人の暮らしや社会をより美しく、より幸福にするための実践を行うこと。それが近代デザインの父と言われたモリスの根本にある思想であり、覚悟である。バウハウスにもそれは受け継がれている。近代デザインの思想の根源にあるのは、常に人間の側に立ち続けるという覚悟に他ならない。

 日本総研は武蔵野美術大学と共同研究を開始した。実社会との関わりを通して美術大学として新たな未来を切り拓くための教育研究拠点および情報発信拠点として2019年に武蔵野美術大学が開設した市ヶ谷キャンパスの6Fに「自律協生スタジオ」(通称:コンヴィヴィ)という名の共同研究拠点を設け、活動を開始したところだ。
 11月から始まった共同研究活動は2ヶ月が過ぎたところだが、この2ヶ月間の協働で感じたのが、「常に人間の側に立つ」という武蔵野美術大学の教師陣の覚悟であった。モリス以来の近代デザインの伝統を武蔵野美術大学の教師陣もまた引き継いでいる。
 シンクタンクに身を置く私自身、社会の課題と向き合い、実践を続けてきたつもりだが、一体、どれだけ本当に人間の側に立つという覚悟を持てていたのか。社会が大きく変化し、色々な矛盾が噴出している現代だからこそ、次の社会の構想が求められている。その時、どれだけ目の前の人間の側に立てるのか。それが問われているのだと思う。

 2023年が明けた。21世紀ももはや20年が過ぎてしまった。バウハウスが最も輝いていたのが1920年代である。100年前にバウハウスが具体的な形として提示したように、コンヴィヴィにおいても、21世紀における生活と芸術の統一の方法を具体的に探求し、実践し、提示していこうと思う。常に人間の側に立てるか。それを自分自身に問い続けながら。

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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