IT時評:「次の一手を読む」
第17回「デフレ下の販売奨励金廃止で携帯メーカーは敵対的買収の餌食になる」
出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2007年10月16日
KDDIが10月4日、「通話料安く」かつ「端末高い」携帯電話の新料金体系を発表し、世間の関心を呼んでいる。NTTドコモの機先を制した新料金導入は、一方で従来型料金も残すなど、混乱回避のためのさまざまな配慮がうかがえる。だが、こうした携帯電話事業者の行動とその背景になっている規制当局の政策には、最悪のシナリオを招く可能性が潜んでいる。最悪のシナリオとは、日本の技術の粋を集めた携帯端末メーカー11社のうち数社が敵対的買収の対象となり、技術流出につながったり、携帯事業部門の売却など市場の再編・リストラを通じ失業を生み出すことで、デフレを固定化したりしかねない危険な状況を指す。
新プラン投入による大きな混乱はないとみられているが・・・
KDDIの新プラン発表は、携帯電話の事業モデル見直しを進める総務省の「モバイルビジネス研究会」が9月18日にまとめた報告書を受けたもので、ドコモも追随する見通しだ。現行の端末の販売制度では、「1円端末」に象徴されるように、携帯事業者が販売店に販売奨励金を提供し、販売店は奨励金を原資に値引き販売することで、消費者は本来の価格よりも安く購入できる。しかしこの奨励金は、およそ2年間、月額利用料に上乗せされる形で消費者から回収されている。このため、毎月の利用料が高めであるとか、利用期間が短いか長いかで消費者に不公平感があるといった指摘があり、モバイルビジネス研究会が是正を求めていた。
今回の「au買い方セレクト」は、従来の販売モデルを拡充した「フルサポートコース」と、販売奨励金を適用せずに通話料を割り引く代わり、端末価格を2万円程度引き上げる「シンプルコース」の2つの購入方法から選べる。同社は「直ちに奨励金を全廃すれば、端末流通に混乱が生じる」として、段階的に奨励金廃止を進めていく方針のため、当面大きな混乱はないとみられている。しかし、これを機に携帯電話市場が大きく変容していく可能性があることを見逃してはならない。
デフレ経済における「精緻なシステムの些細な変更」の帰結
端末の買い換え需要が年5,000万台ほどあり、ほぼ2年間で1億台が一巡するわが国の携帯端末市場は、かなり精緻(せいち)な(または特異な)システムでできあがっており、「エコシステム(生態系)」、あるいは大陸と隔絶されていたため動植物が独自の進化を遂げた「ガラパゴス諸島」と呼ばれている。
これまで携帯事業者は、端末メーカーに対し安定的・定期的に端末を大量発注する一方、販売店に販売奨励金という多額の補助金を供与することで店頭価格を下げさせ、消費者が端末を購入しやすくすることで、メーカーとともに買い換え市場の安定を図ってきた。三者は微妙な「エコシステム」の中で共存してきたわけだ。だが、生態系とは、わずかな変化でバランスが崩れてしまうものだ。
国税庁の調べによると、民間企業に勤める人の給与は9年続けて減少しており、2006年の1人当たり平均額はわずか435万円ほどだ。景気は「デフレ脱却も視野に」という感覚とは程遠く、むしろ「まだ足踏み状況変わらず」(9月28日の大田弘子経済財政担当相の談)といった認識が正しいだろう。
今回の端末価格引き上げが、このデフレ不況下の消費者の買い控えムードと重なることで、端末の購入総額が予想以上に落ち込むことは、十分考えられる。端末の需要関数から求めた価格弾性値を基に、販売奨励金の廃止によって年間端末需要が3割ほど減少するとの試算もある。われわれの分析でも、直近の買い換え需要分布の簡易推定を行ったところ、消費者の3割ほどが新料金を選択した場合、販売額が10%近く減少するとの結果を得ている。実際、KDDIのユーザーアンケートによる事前調査では、2割程度が「新料金を選びたい」と答えたとされる。固めにみて5%の減収でも、端末メーカーや販売店の経営への打撃は相当深刻なものになる。ここでは端末メーカーを例に、5%の減収インパクトを大まかに考察してみよう。
5~10%の市場規模縮小で携帯メーカー数社は致命的な打撃を受ける
現在の端末価格が平均4万円だとすれば、年間5,000万台の需要があるため、端末メーカー11社で売上高2兆円ほどの市場を形成していることになる。その5%、すなわち1,000億円の市場規模縮小は何を意味するだろうか。
簡単な推定により、携帯端末市場の売上高構造が、上位メーカーと下位メーカーにおいて、その社数分布比で3対7、売上高分布比で7対3ほどであるとしてみよう。この場合、下位メーカー7社の売上高合計は6,000億円(=2兆円×0.3)となるため、1社当たりの売上高は平均860億円(=6,000億円÷7社)足らず。なかでもパフォーマンスが低いとみられる最下位3社に、1,000億円の減収の7割が及ぶと仮定すれば、下位メーカー1社当たりの減収額は約230億円(=1,000億円×0.7÷3社)となる。
下位7社の営業利益率は、やや楽観的にみても4%ほどに落ちているとみられる。すなわち、下位メーカー1社当たりの営業利益は平均34億円(=860億円×4%)程度と推定される。この水準では、230億円という販売額減少によりスケールメリットが縮小し、損益分岐点も上がることで、営業利益の大半が消失しかねない。ボトム近辺企業のうち、少なくとも2-3社の事業継続が困難になっていく(または撤退を余儀なくされる)ことは、想像に難くない。仮に買い換え需要がその倍の10%ほども手控えられるとなれば、打撃はさらに深刻になり、半数近くの4~5社は抜本的な経営の見直しを迫られよう。
ここで、「だから端末メーカー11社は多すぎる。グローバル・トップワンを目指すべきだ」という声が聞こえてくる。このことは半分その通りかもしれないが、半分は誤った警戒すべき見方だ。たかだか5~10%程度の売上高の変化が個々のメーカーに致命的な影響を及ぼすのは、端末メーカー数の問題と、たかだか2兆円ほどしかない端末市場規模の問題の両面によるものだからだ。
携帯メーカー11社は本当に多すぎるのか?
そもそも高い技術力を持つ端末メーカーが11社も存在するという産業セクターの存在は、決して悪いことではない。市場プレーヤーが多数あり、さまざまな技術がしのぎを削る状況は、むしろ液晶や電子部品など周辺の部材・素材メーカーの広いすそ野を形成することにもつながり、日本の製造業の強さを示すものだ。1990年代のクリントン政権下(2期8年間)で米国の国内総生産(GDP)は1.5倍に拡大した。片や、わが国の成長はほぼゼロだった。経済のパイが増えなかったことは、必ずしも産業レベルの競争力の問題ではない。
わが国が過去10~15年間まともな(いやごく普通の)経済の舵取りを行っていれば、端末メーカーはもっと健全な形で発展し、「社数の多さ」についての否定的な見方も影を潜めていただろう。これは本来、日本経済の強みでもある産業構造だった。この産業構造をいま見直そうとする動きは、90年代からのデフレ経済を通じた自信喪失という国民的な体験に由来する。あるいは、グローバリズムを是とし、安易にその国の経済構造を順応させようとする、ある種の政治的信念からくるものだ。しかし、産業構造を変えることでグローバル競争に勝てる保証はない。むしろ80年代の産業構造のほうがグローバル競争に強かった。いま求められているのは、この時代の強さを再発見することではないか。
「市場規模の問題」も同様に、個々のメーカーだけに帰着する問題ではない。生産台数はともかく、端末メーカーの売上規模が小さいのは、携帯事業者との力関係で決まる価格決定権の弱さもあるが、ここでも大事なのは、「メーカー日本丸」という船が進む、景気という大海の流れが逆向きである(または止まっている)という近因だ。また遠因としては、グローバルで競争するために不可欠であった、通信方式のデファクト標準覇権を制することができなかったという背景がある。この近因と遠因の絡む問題を解決することが求められている。
「日本の携帯メーカーに競争力がない」は問題のすり替え
根本的な問題は、経済全体の総需要が不足している状態、すなわちデフレ脱却ができていないことに尽きる。日本メーカーの技術力が弱いわけではない。このことは、先日お会いした韓国の財閥系エレクトロニクスメーカーの経営トップらも認めていた。また、必ずしもビジネスモデルが貧弱だからでもない。いいものをつくっても売れない、もしくは一定の利益率を確保できないのは、総需要が不足しているからだ。つまりマクロ経済の問題なのだ。
このマクロの不均衡問題を無視して、「社数」を減らしスケールメリットによる効率性を求めても、現下の市場の収益配分が変わるだけだ。撤退を余儀なくされる下位メーカーの収益が上位メーカーにシフトすれば、上位メーカーのパフォーマンスは上がるかもしれないが、市場全体の大きさ・量は変わらない。量を増大できずに多くの従業員の雇用が奪われることになれば、総所得ひいては総需要が減少し、日本経済にも悪影響を及ぼす。当然、上位メーカーの売上高もやがては伸び悩み、携帯サービス市場のパフォーマンスも低下しよう。
いついかなる状況でも規制緩和などを通じた競争政策を掲げる「競争市場原理主義」、もしくは経済学における新古典派的な考えは、供給が需要を上回るデフレ経済下では幻想にすぎない。需給不均衡の状態では、マクロ経済管理、すなわち、財政政策(いかに総需要を刺激するか)と金融政策(いかにマネーを供給するか)が、当該産業や経済全体の成長を決定する。端末メーカーの体力回復に際しては、競争を通じた単なる資源配分の変更ではなく、国内での市場全体のパイを増やすことが必要条件なのだ。
いまこの時期に“生態系をぶっ壊す”べきではない
最後に端末メーカーの株式投資指標をチェックしよう。株価収益率(PER)はおおむね20倍程度(一部の赤字決算企業においてはマイナス)にとどまっている。また買収しやすい“お買い得”ラインを示す、PBR(株価純資産倍率)は、その多くが1倍すれすれの状態にある。つまり、今の株安と円安、それに今年5月の三角合併解禁は、日本を代表する電機メーカーでもある端末メーカーをも、容易に買収しやすい状態にしてしまっていることに注意を要する。株安については各社の努力・競争力に帰することでもあろうが、円安と三角合併解禁については、政府・日銀の舵取りに帰する問題だ。
2000年のIT・通信バブル崩壊後の状況のごとく、最近では外資ファンドが勢いづいている。ファンドのDNAとは、株安の時期に触手を伸ばし高値で売りさばき、短期利益を獲得することと言えよう。外国人の日本株買い越し額は、バブル崩壊後の2003年以降急速に増加し、最近では年10兆円前後に上っている。手元の潤沢なキャッシュに加え、株式交換方式を駆使し、5月以降“Buy Japan Out”(日本買い)が容易にできるようになっている。あたかも誘導されているかのような“偶然” がいま起こっているのだ。たまたま重なったというだけで、恐らく私の杞憂(きゆう)だろうが、この状況から目を背けてはならない。
いま肝心なのは、このような社会経済の状況下に敢えて市場構造を大きく変えることの弊害や危険性を、しっかり見極めることだ。デフレ下の販売奨励金廃止によって生態系が瓦解すれば、日本経済の鍵を握る生産部門の代表選手が、遠からず敵対買収の憂き目に遭うことは、避けられない。「市場競争に委ねれば“神の見えざる手”により多くの問題が解決する」とか、「今が2010年に向けた大手電機改革のラストチャンス」などという、一部の証券アナリストの考え方にくみするべきではない。日本メーカーの持つハイテク流出や、デフレスパイラル拡大を招くだけだ。
仮に産業の構造変革をいつか成すにしても、それは経済成長や産業発展がある程度見込めるタイミングで行うことが不可欠である。そのタイミングを見誤ると、結局日本の国益を失うことにつながる。これは当該産業の国際競争力を強化しようという以前の問題なのだ。