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IT時評:「次の一手を読む」

第13回「通信と放送の融合で求められる“コペルニクス的転回”」

出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2007年3月15日

 消費者にとっては、通信サービスも放送サービスも隔てなく、自分の好みに応じて楽しめればよい。にもかかわらず、通信と放送は供給側(放送業界)の論理により、融合とは程遠い状況に置かれている。第11回から取り上げてきた「通信と放送の融合」問題について、最後に主要プレーヤー(利害関係者)間の力学という観点から検討を加え、あるべき方向性を考えてみたい。

 気鋭の経済学者である米プリンストン大学教授のポール・クルーグマンは、1990年代半ばに著書「良い経済学 悪い経済学」(日本経済新聞社)などで、「競争力に対する懸念は、実証的にみてほとんど根拠がない。国の競争力と企業の競争力を同じように考えるべきではない」「国の政策を考える際には、競争力は意味のない言葉だ。競争力という妄想にとらわれるのは、間違いでもあるし、危険でもある」と指摘し、大きな反響を呼んだ。

 しかし、日本でも冒頭のような議論の場において、いまだに「国際競争力」という言葉が定義を示されないまま一人歩きしており、国と企業が明確に区別されることは驚くほど少ない。しかも、「国の競争力は生産性で決まる」「強い国際競争力が経済成長をもたらす」といった仮説が、検証することなく信じられている。成長力加速プログラムの一部である「ICT国際競争力懇談会」のワーキンググループや内閣官房関連など、私がかかわってきたいくつかの政府の委員会や研究会でも、勘違いをしているのではないかと思える議員や官僚、学者、企業幹部が少なくなかった。

 現実には、「生産性」と「国際競争力」と「経済成長」の関係は、そう単純ではない。「生産性」を引き上げることは、デフレ下では逆の効果をもたらしかねない。また、「国際競争力」については、国の話と企業の話が混在しており、必ずしも「経済成長」に大きく寄与するものではない。誤解や思い込みに基づく議論は、不毛であるばかりか、時には有害でさえある。今回はそのことを明らかにしたい。

放送業界という桎梏(しっこく)

 本連載でこれまで見てきたように、現在の放送業界は成熟期を通り越し、衰退期に差し掛かっているとさえ言える。規制や特殊な商慣行(放送会社が制作会社よりも圧倒的に強い力関係)により、体制を維持しているにすぎない。

 国内の新規参入も海外からの圧力もほとんどない、寡占市場ゆえの不完全競争状態にあるために、放送業界は恒常的に生産性が低い状態が続いている。言い換えると、この業界には限界生産性(放送会社が1単位分の労働力や設備を追加投入した際に生み出される放送サービス産出量の増加分)を上回る、超過利潤(レント)が生まれている。実際、放送業界の平均賃金は、他業界よりもかなり高い。このような構造の下では、イノベーションは生まれようがない。これは国の政策としても問題だ。

 こうした状況下、NGN(次世代通信ネットワーク)普及の起爆剤として、テレビの放送番組をIP(Internet Protocol)ネットワークにリアルタイムで流すサービス(「IP再送信」)を提供しようとする動きが進んでいる。NGNは、セキュリティーに不安がある従来のインターネットを電話網と統合し、クローズな網にした新しいIPベースのネットワークのことで、日本では光ファイバーの利用を前提にした高品質を売りにしている。

 IP再送信に熱い視線を注いでいるのは、通信事業者、家電業界、総務省など、放送業界以外の利害関係者だ。もちろんテレビ視聴者にも朗報となる。では、このIP再送信を突破口に「通信と放送の融合」が加速し、近い将来、世界の最先端を行く「融合」産業が出現することになるのだろうか――。事はそう簡単ではなさそうだ。

通信事業者が獲得したIP再送信は条件付き

 NTTグループは「NGNトライアル」という実験により、高品位テレビ並みの高品質なコンテンツ伝送を実現している。そして最近、放送会社から「再送信同意」を取り付けることに成功した。これは通信会社にとって長年の念願だった。これまで「通信網でのコンテンツ配信では画質が悪く、広告主が嫌がる」などの理由で同意に応じなかった放送会社としては、条件付きで渋々認めざるを得なかった、というのが実態だろう。

 放送会社にとってIP再送信は、放送ネットワークを迂回(うかい)して自社の番組が放送されることになるため、自らのビジネスモデルを崩しかねない動きに映る。今のところテレビの地上波番組は“最高・最強のコンテンツ”と見なされている。自らの放送ネットワークのみで視聴できるようにすることで、その価値(希少性)を維持しているわけで、インターネットなどの通信網にも流してしまえば、コンテンツの価値は薄められてしまう、と考えているのだ。

 実際、この同意にはいろいろと制限が付いている。例えば、区域内の限定送信。県などの区域ごとに放送免許が交付されている現状に合わせるためだ。こんな窮屈なビジネスモデルがいまだまかり通っている。国は放送業界、特に地方の放送会社(ローカル局)を守っているのだ。また、放送各社で構成される地上デジタル放送補完再送信審査会による、通信事業者などIP放送事業者が提供するシステムに関する審査にも合格しなければならない。こうした制限を設けるのは、放送会社が自身の既得権益を奪われかねないと危惧しているからにほかならない。このようにIP再送信は、放送会社のコントロール下に置かれた状況にある。

家電メーカーの新たな野望

 放送市場を巡る利害関係者でもある家電メーカーの動きを見てみよう。松下電器産業、ソニー、シャープなどの家電大手5社を含む6社が共同で設立した「テレビポータルサービス」は、ブロードバンド接続機能を持つデジタルテレビ向けネットサービス「アクトビラ」を2007年2月に開始した。

 大手家電メーカーは、主力商品である液晶型やプラズマ型のデジタルテレビ受像機(ハードウエア)が、いずれコモディティー化し、激しい低価格競争に陥ることを経験的に知っている。したがって、「アクトビラ」というある種のプラットフォームに、さまざまなソフトウエア・アプリケーションや通信サービスを乗せ、既存のハード単体商品との差別化を図ろうとしているのだ。

 こうした機能やサービスが広がれば、1台のテレビを通じ、視聴者は従来どおり番組を放送波で受信する一方で、ネット接続により放送以外にもさまざまなコンテンツを受信することができるようになる。後者では、視聴者が自前のコンテンツをちょうどYouTubeのようにアップすることもできる。こうなれば、同じような趣味を持つ視聴者同士がネット上でコミュニティーを形成し、放送番組を評価し合うなど、ピア・ツー・ピア(視聴者同士)型の新たなコミュニケーションが生まれる。そうしたコミュニケーションの場(=メディア)は、家電メーカーにとって新たなビジネスの収益機会ともなる。

 米国の三大ネットワークの1つであるNBCの経営母体は、GEという巨大メーカーである。日本でもメーカーがテレビ受像機の製造や、「アクトビラ」のようなプラットフォームづくりのみならず、放送サービスに進出するくらいの気概が欲しい。ソニーや松下はかつてハリウッドに触手を伸ばしたことがあったが、ビジネスとしては課題も残った。しかし、再び今度は日本市場において本格的なコンテンツビジネスを手がけること(新しい放送サービスへの進出)も、政府のグランドデザイン次第では夢ではない。無風状態だった放送市場に、これら家電メーカーと通信会社が加われば、大きな風穴が開くことになろう。

“頭がよい”官僚の作戦

 では、やはり利害関係者である国はどうか。総務省は地上デジタル放送への移行を何としても促したい。2011年7月のアナログ停波を法律で決めてしまっている。そこでテレビ視聴者のうち低所得の高齢者世帯などへは、外部受信機を無料配布してまでも、その実現を図ろうとする。行政組織というのは、決まったことをとにもかくにも進めるという体質を持っているのだ。

 だが、いったん走り出したら、何が当初の主旨だったのかは二の次になってしまう傾向もある。したがって、IP再送信は、あくまで地上デジタル放送補完の位置づけという当初の総務省の意図に反し、通信と放送を本格的な融合に向かわせるパンドラの箱を開ける契機になるかもしれない。あるいは、それが当初から官僚の作戦だったのかもしれない。現に、当初、条件不利地域(主に地方)に限定していたIP再送信について、最近では都市部にも提供を促す方針を加えた。地方ではビジネスの採算が採れないからだそうだ。左様に官僚は“頭がよい”のである。

 そのように“頭がよい”官僚をもってしても、第5世代コンピューター、シグマ計画、ハイビジョンなど、これまでの国家政策には失敗プロジェクトが埋もれている。だが、必ずしも失敗を恐れる必要はない。通信と放送の「融合市場」の見通しが不透明な状況では、朝令暮改であってもよい。決めたことを撤回することが、むしろ有効なときもある。初期段階でいくつかの失敗を経験し、そこから学習することの方が大切だ。

三すくみの利害矛盾を超えて

 前述では、テレビの地上波番組が“最高・最強のコンテンツ”とした。そのため通信会社も家電メーカーも、そのコンテンツを握っている放送会社を極力刺激しないよう、慎重な行動を崩さない。政府も「IPTVフォーラム」といった話し合いの場をつくり、三者の合意形成を図ろうとしている。IPTVとは、IP通信網を利用してデジタルテレビ放送を配信するサービスのことだ。しかし、この種の利害調整は往々にしてうまくいかないものだ。日進月歩のスピードの時代にあって、この合意形成方式ではとかく意思決定が遅くなるし、抜本的な対策を講ずることもできない。

 目指すべきは、通信と放送の物理的な伝送媒体層をコモンズ(共有地)化し、その上で人々の集合知や経験が共有されている状態だ。そこで生起する自由でダイナミックな競争が、さらなるイノベーションの温床となる。だが、通信と放送はおのずと“融合”するわけではないし、真に意味のある“連携”も期待できない。両者間には矛盾(利害の不一致)が内包されているのだから。したがって、放送会社、通信会社、家電メーカーの三すくみになっている利害矛盾を解決し、新たな戦略領域としてアウフヘーベン(止揚)できるかは、制度設計の問題となる。

 各事業者の自由競争に委ねるべき分野に制度設計を持ち込むのは、一見矛盾する。しかし、通信・放送の融合問題のように、保護政策など旧態依然の縛りが存在する局面においては、基本的な制度に手を加えることが、関係産業の成長と発展への経路を開く鍵になるに違いない。

 ここで留意すべきは、わが国のみに閉じた「ガラパゴス列島的進化」(進化の袋小路)に入り込まない、ということだ。通信と放送の本格的融合市場を、過去の類似例のような“日本独自仕様”の実験施設に終わらせてはならない。いまわが国の産業に求められているのは、効率化による生産性アップよりも、新たに創造された市場で世界をリードすることだ。世界に先駆けて「融合市場」にイノベーションを起こすことで、グローバルな競争市場を有利に戦えるようになる。日本(地球)中心説から世界(太陽)中心説への、発想の「コペルニクス的転回」が求められている。

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