IT時評:「次の一手を読む」
第12回「“生産消費者”を知る者が通信・放送市場を制す」
出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2007年3月6日
関西テレビの情報番組「発掘!あるある大事典2」の納豆ダイエット効果誇張事件のようなケースでは、経営陣が黙って頭を下げていれば、世間の批判は時間とともに薄れていく。しかし、放送業界に突きつけられている本質的な問題は、この種の事件とは全く異なる。静かに耐え忍んでいれば、通り過ぎていく類の問題では決してない。前回提起した「放送業界に新陳代謝が必要」な理由について、もう少し違う角度(需要サイド)からも掘り下げてみよう。
コミュニティー機能を内包したメディアの台頭
昨今、米国の「YouTube」や「MySpace」、わが国の「mixi」などが提供するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に多くの投稿が寄せられ、さまざまなコミュニティー内で新たなコミュニケーションが生起している。
個人が主体的に参加し、自身の経験を投影するこれら「ソーシャルメディア」と呼ぶべきものには、「外側の社会的背景(コンテクスト)」と「内なる人間関係」という“二重性”が存在する。人々は、リアルな人間関係がそのままネット空間に転写されたような居心地のよい自分の場所を、たくさんの小さなコミュニティーの中に見出し、そこで新たな情報や気づきを得ることができるようになった。同時に、外界からキャッチした情報(旧来のメディアなどが伝えるニュースや世間の動向)をそうしたコミュニティーに持ち込み、そこでの情報収集ややりとりを通じて、理解を深めたり意見を述べたりすることもできる。
コミュニティーに参加する個人においては、「マスメディアが発する情報の受信」と「コミュニティーにおける情報の受発信」という異なる2つのアンテナが、シームレスにつながっている。そして、両者が相互補完されたり、片側がもう片方に影響を及ぼしたりすることで、情報に厚みが増していくという特性がある。
このような“二重性”は、従来のテレビにも、グーグルのような検索型の仕組みにも、なかったものだ。したがってこのソーシャルメディアが、現在最強のグーグルを超える検索プラットフォームになる可能性があるとも指摘されている。いずれにしてもこれからのメディアの存在価値は、このソーシャルメディアに特有の“二重性”をどう生かすかにかかってくる。
存在感を増す“生産消費者”
ソーシャルメディアの登場によって、米国の未来学者、アルビン・トフラー氏の言う「生産消費者」(prosumer:生産者=producerと消費者=consumerを合わせた造語)の存在感も一気に増している。トフラー氏は脱工業化社会において、技術進歩などを背景に生産者と消費者の境界があいまいになり、自らの必要や満足(根源的な欲求)のため、消費者が生産部門の機能を主体的に担うようになると予見した。
この生産消費者の活動は、一昔前の「日曜大工:DIY(Do It Yourself)」タイプから、いまやインターネット上につながった参加者が共同で執筆・編集する百科事典(ウィキぺディア)のような形態へと広がっている。生産(自身の知識や経験をカタチにすること)と消費(事典という集合知を活用すること)という、従来分業化されていた行為が、「生産消費者」という同一人物や同一グループ・コミュニティーの中で容易にできる社会になったのだ。
消費行動は「AIDMA」から「AISAS」、「AIPES」へ
マーケティング理論では商品購入のプロセスモデルとして、「AIDAM」(Attention=注意喚起、Interest=興味、Desire=欲求、Memory=記憶、Action=購入のアイドマ)が有名だ。これに対して電通は最近、インターネット時代における消費者のネット上での「Search」や「Share」をより強調した「AISAS」(Attention、Interest、Search=検索・評価チェック、Action、Share=意見共有のアイサス)を提唱している。
しかし、これはもっと本質的には「AIPES」(Attention、Interest、Participation=参加、Experience=経験、Shareのアイペス)とでも言い換えられないだろうか。語感は悪いかもしれないが、米国のアマゾン、グーグル、YouTubeなどのWeb 2.0時代のビジネスモデルは、明らかに「Participation」や「Experience」がキーワードとなっている。「参加や経験」は、前述のソーシャルメディアや「生産消費者」といった概念における消費者の行動原理でもある。
実際のマーケティングでも、ブランド・マーケティングとイベント・マーケティングを融合した「体験型マーケティング」(Experiential Marketing)が、新たなメディア時代の手法として注目を集めている。これは現在のテレビCMと対極にあるもので、ブランドを核としたビジネスを手がける企業にとっては強力なマーケティング手法となっている。
消費者は常に新たな経験(広義の購入形態)を求めている。よって、消費者の経験のレベルも変わっていき、「AISAS」や「AIPES」を含め、それを表す表現も進化していくことだろう。
メディアとは元々「中くらいのもの」
このような消費者の変化や新たな経験への希求という観点から、いま一度放送ビジネスを眺めてみよう。すると、放送会社のビジネスモデルは、いかにも陳腐なものだと改めて認識させられる。
視聴者は放送会社から一方的に届けられるコンテンツを視るという行為だけでは、もはや満足していない。「視聴者」は今や「生産消費者」でもある。自らコンテンツを生産する、CGC(Consumer Generated Content)の担い手ともなっている。これからの市場で勝ち残る主体は、こうした生産消費者の根源的な欲求をとらえることができるメディアだ。
現在、テレビ番組を実際に制作しているのは、放送会社の下請け的な存在に甘んじている多数の制作会社である。時代の本質的な変化に敏感な制作会社の中には、こうした場(コミュニティー空間)やチャネル(新たなメディア)を新たなビジネスの機会ととらえているところもあるだろう。
よく言われるように1,000万人クラスにリーチできなければ「メディア」と呼べないというのは嘘だ。メディアという言葉は、米国の伝説的なテレビパーソナリティー、アーニー・コバクス氏が表現するように、元々は「比類稀(まれ)なものでもなければ秀作でもない、中くらいのもの(Medium)」なのだ。ポスト規格大量生産型社会の今日にあって、1,000万人に広告が届かなくとも立派にビジネスは成立する。巨象のようにむやみに大きくなった体(放送会社)を維持するには、このクラスの規模(視聴者)が必要というだけだ。
制作会社が握る通信・放送市場のキャスティングボート
したがって、小さな制作会社(蟻)であっても、風穴を開けることはできる。否、穴はもう開いた(パンドラの箱は開いた)状態にある。吉本興業がネット事業に乗り出したり、企業などが独自に配信するネットドラマが登場したりと、テレビというメディアが唯一無二のものであるという神話には、明らかに陰りがみられる。この穴に流れ込む水は、日増しに勢いを増していくだろう。実際、2006年7月にインターネット向けの映像コンテンツを企画・販売するクリエーターズ社(東京・港)が、地上波テレビ向けの番組制作会社など22社により設立されている。
テレビ局のスポンサー(広告主)も気づいているはずだ。現在の視聴率モデルをまっとうに信じているのは、一部の思考停止企業だけだろう。テレビCMは、視聴率が示すほどには実際に見られていない(リーチしていない)。この広告モデルは、いわば規格大量生産型社会の遺物なのだ。だからこそ広告代理店も、新たなメディアを活用した広告手法を真剣に模索し始めている。
通信会社も家電メーカーも、制作会社を取り込んで(味方に付けて)しまえばよい。戦略としては、第三者が参入する際の最大級の打ち手になるはずだ。そして、生産消費者の心を自分たちに向けてしまうのだ。総務省が二の足を踏んでいるのであれば、経済産業省はもっとこの動きを後押しすべきだ。
外堀を埋められた放送業界
テレビ番組の著作権は、本来制作会社に帰属するものだ。したがって、コンテンツが利益の源泉となった時代にあっては、制作会社の存在感は高まっているはずだ。そうなっていないのは、放送会社がテレビネットワークのみならず、コンテンツまでも垂直統合しているからに他ならない。
しかし、垂直統合型のビジネスモデルは、そのプラットフォームが圧倒的な優位性をもっている時にのみ威力を発揮する。そして、彼らのプラットフォーム(送出・伝送設備などの放送ネットワーク)は、もはや過去の遺産になりつつある。それがデジタル化されようとも本質は変わらない。したがって、垂直統合を今後も維持し続けていくことは、競争原理に基づく市場では無理だろう。
放送会社は、今のビジネスモデルを破壊し新しく創造することでしか、将来は戦えなくなるし生き残れないだろう。これはテレビがすぐに消えることを意味するものではない。テレビは残り続けるが、言うなれば「テレビ2.0」(第6回・第7回参照)のような発展を遂げていくことになるだろう。
テレビ2.0のコアを形成する要素は、参加や経験を伴う場(メディア)であり、そこでの新たなコンテンツである。場やコンテンツが変われば、広告モデルもおのずと変わっていく。この背景には、生産消費者の欲求がもはや大きく変質しているという現実がある。放送会社の旧いプラットフォームと旧態依然のビジネスモデルのままでは、この変化に付いていくことはできない。
このように放送業界は外堀を埋められている。これは抗し難い流れであり、真に深刻な問題として受け止めることから、新たなスタートを切ることができる。
より抜本的な策に動いた企業が、次代のリーディングポジションをとる可能性がある。ただし、ほとんどの放送会社は自らビジネスモデルを破壊しようとはしないだろう。これは放送業界に限らず世の常だ。今の規制に守られ、買収などの外圧も受けにくい以上、早急に動く必要に駆られることもない。しかし、いつまでも今の状態は続かない。このジレンマにどう立ち向かっていくか。経営の舵取りが見ものだ。