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【「CSV」で企業を視る】(1)CSVの現状と投資判断への活用の可能性
2012年11月01日 ESGリサーチセンター 林寿和
国内市場の株価の低迷が続いている。2006年には2万1千円台まで回復した日経平均株価も、1万円を割り込んだ状態からなかなか抜け出せないでいる。株価の割高・割安を表す指標である株価純資産倍率(PBR)で見ても、国内市場は1倍割れの状態が続き、先進国間において日本市場の株価の低迷が際立っている。しかも、少子高齢化をはじめとする様々な社会的課題が山積し、楽観的な将来見通しはあまり聞かれない。しかし、このような状況下にあっても、着実に業績を伸ばし、株価が上昇している企業が存在することもまた事実である。事実、過去10年間において株価指数は3割近く下落しているにも関わらず、個別に銘柄を見れば、数の上では半数近くが上昇している(※1)。
社会的課題が山積する状況下においても、競争力を高め、持続的に成長することが期待されるビジネスとはどのようなものなのか。そして、どのような視点で見れば投資家はこうした銘柄を掘り当てることができるのか。企業の業績や株価には当然ながら様々な要因が絡んでいるため、こうした問いに対する単一の答えを用意するのは難しいが、今、一つのキーワードとして、「『共有価値』の創造:Creating Shared Value(CSV)」という考え方が注目を集めている。
CSVとは、ハーバード・ビジネス・スクールのポーター教授らが2011年に提唱した概念であり、日本国内においても広く知られるところとなった(※2)。企業の競争力に関して新しい示唆を与えてくれるものであるが、少し抽象的であるため、投資の現場において企業価値分析に直接活用されている事例は極めて少ないのが実情といえるだろう。本シリーズでは、企業価値分析における新たなヒントとなるべく、国内市場を中心に、企業における様々な取組みをCSVの概念をもとに分析して紹介していく。第1回目の今回は、CSVの現状と投資判断への活用の可能性について解説する。
●『共有価値』戦略とは
『共有価値』戦略とは、自社の競争力を高めつつ、同時にビジネスを行う地域社会における社会的・経済的状況を改善することを実現する企業の戦略・取組みのことをいう。ポーター教授らは、次の3つのアプローチによって、競争力向上と社会的課題解決への貢献を同時実現するビジネス、すなわち『共有価値』の創造が可能であると主張する。
【アプローチ(1):顧客ニーズ、製品、市場を見直す】社会的課題をビジネスチャンスと捉え製品・サービスをデザインする。従来のビジネスでは顧客となりえなかったセグメント(所得階層や地域)を“ブルー・オーシャン”とみなす。例えば、三井化学が技術開発を進めているCO2を原料としたメタノール製造は、地球温暖化という社会的課題をビジネスによって大きく解決に導く可能性を秘めている。
【アプローチ(2):バリュー・チェーンの生産性を再定義する】バリュー・チェーン全体を通じたエネルギー利用の効率化、資源の有効利用、物流の効率化・変革、サプライヤーの育成や支援、従業員の安全衛生向上などによって競争力の強化を図る。例えば、ネスレ社が、コーヒー豆の調達先である中南米などの零細農家に対して、農法に関するアドバイスや、苗木・農薬・肥料の確保支援などを積極的に行うことによって、収穫増による農家の所得向上と高品質なコーヒー豆の安定供給を同時実現している事例がよく知られている。
【アプローチ(3):企業が拠点を置く地域を支援する産業クラスターを組成する】企業自らが地域コミュニティの教育水準向上、公衆衛生の改善、インフラ整備、オープンで透明な市場の整備への貢献などを行うことによって、自社の生産性を高めるための産業クラスターを形成する。例えばアフリカでは、世界最大の無機肥料メーカーであるヤラ・インターナショナル社が、作物や肥料の輸送のために港湾や道路の整備に積極的に投資しており、その結果、農業クラスターが形成され、地域雇用も創出されている。
いずれのアプローチも、社会的課題克服への貢献を通じて自社競争力の向上を実現させるものとなっている。企業が実現する利益について言えば、従来、ビジネスにおいて自社に還元される利益をより高めるためには、社会・環境持続性の一部を犠牲にすることが必要とされ、両者をトレードオフの関係とみなしてきた。しかし、CSVの考え方は、両者を同時に追及し得るものであることを主張している。
●『共有価値』の評価を事業活動に位置付ける
CSVの考え方が広まるにつれて、「考え方そのものには異論はないが、実際にどうすればCSVの取組みと呼べるのか」という声が多く聞かれるようになった。このような中、多国籍企業を中心にCSVを実践するための試行錯誤が進められている。そしてこのほど、ポーター教授らが設立した非営利のコンサルティグファームである FSGが、ネスレ社やインテル社など複数の民間企業との協業により「『共有価値』の評価: Measuring Shared Value」と題した論文を発表した(※3)。この論文では、企業が社会的成果と事業の結果の両方を追跡し、自社の活動に継続的にフィードバックさせていくためのフレームワークを提案している。さらに、共有価値評価のための指標は、従来型のCSRパフォーマンス指標の設定や環境負荷の貨幣価値への換算とも異なるものであり、社会的成果と事業の結果とのリンクをまず初めに明確化した上で個々に設定されるべきものであるとしている。
実務レベルに完全に落とし込むためには、依然としてクリアすべき課題は様々にあると考えられるが、この論文は筆者の知る限りにおいて『共有価値』の測定・評価に焦点を当てたはじめてのものであり、議論が大きく前進したことは間違いない。
●CSVを活用した企業価値分析に向けて
我が国においても、企業が『共有価値』戦略を自社の事業戦略に取り入れていこうとする動きはまだまだこれからである。しかし、自社のビジネスが『共有価値』を生み出しているということを現時点では自覚していなくとも、社会的課題をビジネスチャンスに変え、“実際には『共有価値』を生み出している”、あるいは“その芽が出始めている”企業は確実に存在する。そして、こうした企業自らが、ポーター教授らが指摘するように、『共有価値』を創造していることを認識し、事業戦略としてしっかりと位置づけ、『共有価値』評価による継続的な取組みが行われるようになれば、さらなる競争力強化につながるだろう。
日本株のインデックス運用がなかなかリターンを生み出せない状況の中、アクティブ運用が見直され、集中投資戦略が脚光を浴びている。事業戦略を考える上だけでなく、投資判断においても、CSVの視点を取り入れた企業価値分析が持続的に成長する銘柄を発掘する一つのツールとして活用できるのではないだろうか。CSVが我が国市場の活性化と企業の持続的な成長の切り札となることを期待したい。
※1 2012年6月28日付 日本経済新聞朝刊
※2 Michael E. Porter, Mark R. Kramer, “Creating Shared Value:経済的価値と社会的価値を同時実現する共通価値の戦略,” DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, June 2011.
※3 Michael E. Porter, Greg Hills, Marc Pfitzer, Sonja Patscheke, Elizabeth Hawkins,“Measuring Shared Value: How to Unlock Value by Linking Social and Business Results,” FSG, October 2012.
*この原稿は2012年10月に金融情報ベンダーのQUICKに配信したものです。