オピニオン
「ムダ毛」はなぜ“ムダ”になるのか ―価値をつくるのは誰か―
2026年09月08日 野田賢二
電車に乗ると、脱毛広告が目に入る。毛が濃い私は、少したじろぐ。ある程度年を取り、他人の評価からは距離を置けるようになってきたとはいえ、「脱毛することで美しくなる」「自分らしく生きられる」といったメッセージの前で、つり革をつかんだ腕の毛をさらすのは、いまでも少々気が引ける。
そもそもなぜ体毛は「ムダ毛」と呼ばれるのだろうか。その表現は一般的には首から下の毛に対して使われることが多いが、それらが眉毛や毛髪と比べて何か本質的に異なる性質を持っているわけではないし、日常生活で支障をきたすわけでもない。それにもかかわらず、私たちはある体毛を好ましくないもの、ムダなものとみなしている。
ここで問いたいのは、脱毛すべきかどうかではない。重要なのは、あるものが「ムダ」と呼ばれるようになるとき、そこでは何が起きているのか。そして、そのような価値判断と私たちはどのように向き合うべきなのか、ということである。
レベッカ・M・ハージグは『脱毛の歴史』(※1)において、アメリカにおける体毛をめぐる認識の変遷をたどっている。19世紀半ばまでは、体毛に特別な配慮をするのは脱毛習慣を持つアメリカ先住民独特の態度とみなされており、当時は体毛があることが社会性の高さや成熟と結びつけられる側面もあった。しかし、ダーウィンの進化論が人間とほかの動物との連続性を示したことにより、体毛は人間らしさと動物性を分ける象徴として取り扱われるようになった。さらに、脱毛技術の発展と広告の拡大によって、体毛は処理可能なものとなり、処理すべきものとみなされていった。
体毛は最初から「ムダ」だったわけではない。それは、ある時代の世界認識、技術、商業活動が重なり合う中で、次第に「ムダ毛」として扱われるようになったのである。もちろん、脱毛によって自信を得る人もいる。身だしなみや美意識として体毛を処理すること自体を否定する必要はない。
興味深いのは、私たちがその基準を外部から強制されているわけではないことである。私たちは普通でありたい、望ましい身体でありたいと考えて選択する。その結果として、処理された身体が望ましいものとして定着し、処理されていない身体は、手入れを怠っているものとみなされるようになる。
この点を考えるうえで、植民地主義と人種差別が人々の自己認識に与える影響を分析したフランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』(※2)における議論は示唆的である。彼が描いたのは、支配的な価値基準が被支配者の自己認識にまで入り込み、当事者の欲望や選択を形作る過程であった。人種差別と体毛に関する規範を同列に扱うことはできないが、私たちは、ときに自らの性質を否定する価値基準でさえ、自らの欲望や選択の基準として受け入れてしまうという部分に共通点を見出すことができる。
この構造は、ムダ毛に限った話ではない。教育では偏差値が、就職では特定の企業やキャリアが望ましさの基準として機能する。身体や能力、キャリアなど私たちの日常を取り巻くあらゆる物事はこれからも社会の要求への適合を求められ続ける。しかも、その営みに終わりはない。多くの人がある基準に到達すれば、次の差異が求められ、また新しい望ましさが生まれるからである。価値あるものと価値のないものの境界線は絶えず更新され続けていく。
私たちはしばしば、価値は私たちの外側にあり、あたかも普遍的なものとして存在していると思い込んでいる。しかし、実際には、価値を見出しているのは私たち自身である。このことは、私たちが価値をどのように創るかを考えるうえで重要である。価値を創るとは、すでにある評価基準の中で高く評価されるものを選ぶだけではない。むしろ、まだ価値とみなされていないもの、あるいはムダと呼ばれてきたものを前にして、それがなぜムダと呼ばれているのかを観察し、別の意味付けの可能性を探ることでもある。
ただし、「ムダ」と呼ばれるものをすぐさま役に立つものに変化させればよいということではない。それでは結局、既存の有用性の基準に回収されてしまう。重要なのは、ムダと呼ばれるものの中に、まだ言葉になっていない意味や、まだ評価されていない関係性があるかもしれないと考える態度である。
人間は価値を評価する存在であると同時に、価値基準そのものを作りかえる存在でもある。社会が提示する選択肢に従うだけでなく、ときにはそれまで価値とみなされてこなかったものに意味を見出し、新たな可能性を社会に提示することもできる。私たちが価値そのものを創るとき、その背景にはそれぞれの人の生きたい世界がある。まだ価値とみなされていないものに意味を見出すということは、自らが望む世界を選び取ることである。価値を創るということは、自らの生をひきうけるための営みでもある。
(※1) レベッカ・M・ハージグ(2019), 脱毛の歴史 ムダ毛をめぐる社会・性・文化, 東京堂出版
(※2) フランツ・ファノン, 海老坂 武(訳),加藤 晴久(訳)(2020), 黒い皮膚・白い仮面【新装版】, みすず書房
本コラムは「創発 Mail Magazine」で配信したものです。メルマガの登録はこちらから 創発 Mail Magazine
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。