1.はじめに
2026年5月末に、TISFD(不平等・社会関連財務情報開示タスクフォース)による、情報開示フレームワークのベータ版0.1が発表された(※1)。TISFDは、気候、自然に続くテーマとして人(people)を取り上げて、開示のための世界レベルの共通言語を作ろうという団体である。日本でも、企業や投資家、研究者による関心が高まってきており、7月3日に開催されたセミナー「TISFDベータ版を読み解く~実務・市場・今後の方向性を考える~」(日本生命保険相互会社主催)には筆者を含め多くの人が会場とオンラインで参加した。
TISFDでは、2027年末の最終化に向けて、今後のパブコメを経た第2版や、追加的な文書(ガイドラインやエビデンスの研究成果など)を準備する予定である。今後、文書中の様々な表現が変化していく可能性はあるが、本稿では、一般要件のなかでも普遍性が高いと思われるステークホルダーエンゲージメント(対話)に注目し、特に子どもとの関係で、日本国内の状況に照らして今から考えておきたい点を挙げたい。
2.TISFDが求める2つのポイント
TISFDは、企業が人に及ぼす影響(impact)や、人に依存(dependency)して事業を行っているという相互の関係性を重視している。影響と依存に加えてその関係性に由来するリスク(risk)と機会(opportunity)を、総称してIDROと呼ぶ。そして、IDROを企業がどう理解しているのか、という点がスタートラインになる。
理解するために不可欠な要素が、影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメントである。企業が人権デューディリジェンスを実施していれば、すでにステークホルダーとの対話を行い、企業活動に伴う人権侵害の発生可能性や深刻度について評価し、是正措置を講じているということになるため、そこで得られた知見は当然役に立つ。そこでTISFDでは企業(開示側)に対し、ステークホルダーエンゲージメントについて、その性質と目的に応じて以下の二点を報告するよう記述している(※2)。
| ・ | デューディリジェンスを通じて、影響を受けるステークホルダーとどのように対話してきたか |
| ・ | そのステークホルダーの視点が、自社の意思決定や、影響・依存関係の評価およびモニタリングにどのように反映されたか |
3.影響を受けるステークホルダーの範囲
まず、一点目の、影響を受けるステークホルダーとの対話の状況を、日本企業による人権デューディリジェンスの事例からみていく。企業の開示情報を詳細に読むと、評価の対象が従業員に限られていたり、取引先の一部に留まっていたりすることが多く、一般消費者向けの事業があっても顧客が含まれていないなどのケースがまだまだ目につく。また、従業員の家族や、操業する地域の住民のことも、人権デューディリジェンスの視野には入りにくい。企業は、自社の活動によって影響を受けるステークホルダーを狭く見すぎていないかを確認する必要があるだろう。
影響を「受ける」ステークホルダーといったときに、その人にとっては重要な影響でも、企業側からすれば経営上の位置づけがなくステークホルダーとして想定されないケースがある。子どもは、製品やサービスの最終ユーザーであったとしても、子どもであるがゆえに保護者や学校の先生などの陰に隠れてしまいがちだったり、対話の相手として足りないと見做されてしまったりするため、そのケースにあてはまりやすい。また、子どもは保護者の労働環境の影響を多分に受けるものの、10代の子どもが自分の「仕事内容も勤務先の名前も知っている」と回答したビジネスパーソンは50%に満たないという調査もあり(※3)、企業と従業員の子どもが、お互いを見えているかというとそうとも言い切れない。
なお、TISFDは影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメントを求める際に、その人たちの代表や、代理・代弁者のことも想定している。代理・代弁者には、その人たちの抱える事情に詳しいNPOや研究者、地域の専門家などが含まれる。はじめから子ども自身と対話することにこだわりすぎず、まずは代理・代弁者となりうる人から意見をもらうというのも一案である。
4.ステークホルダーの視点の反映
次に二点目の、「そのステークホルダーの視点が、自社の意思決定や、影響・依存関係の評価およびモニタリングにどのように反映されたか」は、人権デューディリジェンスの一般的なプロセスでいえば、評価されたリスクに対してどう対応したか、という部分に相当する。例えば取引先に対するアンケート実施だけではなく、そこで集まった意見や、より広い意味での視点(原文ではperspectiveという単語が使用されている)を受けて「企業として何をしたか」が問われている。
ここでも、子どもをステークホルダーとして想定した場合に何が起こるかを考えておきたい。筆者はしばしば、「子どもの方が、先回りして大人の求める答えを出してしまう」という指摘を耳にする。そうなる理由のひとつには、大人側が出口を意識しすぎることがあるのかもしれない。よく批判されるような、アリバイ作りのための意見収集ではなく、むしろ「せっかく対話するのだから何かに反映させなくては」という思いを強く持って取り組むと、子どもに意図を感づかれてしまう可能性がある。
これを解消するために、子どもに答えを求めず、感じていることを言いやすい環境づくりや声掛けを工夫したり、遊びのなかで自然に考えに気づけるような仕掛けを作ったりするなど、様々な試みがなされることもある。
子どもの代理・代弁者について上述したが、子どもの本音を引き出す仕掛けづくりのプロはおそらく、日々、子どもと向き合っている保育士や教員、学校職員などであろう。子どもが意味のある参加を行えたかどうかに関しても、ステークホルダーエンゲージメントの観点でみると、視点が直線的に反映されたのかを考えざるを得ないが、子どもにとっての効果はそれだけとは限らない。もし、子どもの代弁者になれるような専門家も対話の場にいれば、例えば後日談として、子ども自身の好奇心のきっかけになったなどのフィードバックを得られるかもしれない。
TISFDは、より公正で、平等な社会に向けて、情報開示という手段で取り組もうとしている。これを契機として、開示に直接かかわる企業や投資家、研究者や評価者だけではなく、人の成長に関わる専門家を含めた、より多様な場で参加の議論が発展すれば、開示のフレームワーク以上の価値を生み出すと考えられる。
| (※1) | TISFDホームページ |
| (※2) | ベータ版では第4章4.1一般要件P46に詳しく記載されており、要請部分は末尾。 |
| (※3) | 株式会社日本総合研究所[2025]「従業員のウェルビーイングと子どもとの関係の意識・実態調査」、P15 |
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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

