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思考が生まれる参加へ

2026年04月14日 譚林宣


1. 市民参加ワークショップで起こっていること
 現代の日本社会では、人口減少や高齢化に伴う地域課題の変化、地方分権の進展、さらに行政への不信感などが複合的に作用している。その中で、社会の当事者である住民の声を聴取し、彼らの意識や意見を反映する重要性が次第に認識され、広く言及されるようになっている。このような背景のもと、参加型の取り組みが各地で増加している。私は2020年から参加型デザインや市民参加に関する研究を本格的に進め、多くの実践の場に足を運んできた。

 しかし、ある自治体が企画した「新たな市民向け施設の改築に伴う意見交換会」をテーマとした市民参加ワークショップに初めて参加した際、強い違和感を覚えた。十分な背景説明がないままグループ分けが行われ、順番に発言し、付箋に書き、貼り、まとめていく。周囲の参加者は慣れていたが、私はまるで「知らない国の言語で突然じゃんけんを求められた」かのように、タイミングも感覚もつかめず、うまく参加できている実感を持てなかった。

 その後も企画段階から振り返りまで、同様の形式の活動に関わり続けるなかで、「参加しているのに、考えていない」という感覚が徐々に強まった。市民参加の目的は本来「広報・広聴」、とりわけ「聴くこと」にある。しかし方法が形式化するにつれ、手続きそのものが前面に出て、熟考のプロセスが後景に退いているように感じられた。参加の「量」は確保されながらも、その「あり方」には疑問が残った。

 一方、私の故郷である中国では、公的な場で「参加」という概念が日本ほど一般的ではない。しかし、高校や大学の寮生活(高校は8人部屋、大学は6人部屋)を振り返ると、日常の共同生活のなかで自然に意見を出し合い、共同で物事を決める実践が多く存在した。公式の制度としては参加が重視されない社会であっても、身近な生活圏では参加の形が確かに存在していた。

 こうした経験から、参加のあり方は一つに固定されるものではなく、場や文化によって多様に立ち現れることに気づく。つまり、参加には単一の正解があるわけではなく、多元的なあり方が存在しうる。

2. 描くことが気づきをひらく
 私が違和感を覚えた参加の「あり方」は、発言中心・文字中心・進行重視の形式である。このような形式では、発言できること、すなわち既に言語化された意見を持っていることが、暗黙の参加条件になりやすい。その結果、発言力の強い人や立場のある人の意見が場の方向性を決めやすくなる。一方で、参加者一人ひとりの内側にある、まだ言葉になっていない思考や感覚は、表に出る前に取りこぼされてしまう。こうして表層的な合意だけが積み重なり、本来深めるべき問いが十分に深まらないまま終わることも少なくない。

 こうした課題に対し、言語中心の参加形式を相対化する実践の一つとして、2025年、北海道森町の新町誕生20周年記念事業の一環として「100スケッチ」というワークショップが企画・実施され、私もその取り組みに関与した(※1)。参加者である町民には、10年後の自分をゆっくりと思い描いてもらう。そして、その周囲にある風景や身の回りの事物、共にいる人々を自由に描くことを基本ルールとした。ワークショップは、2025年5 月16 日から7 月16 日までの3ヶ月間の間に、24 回に分けて行い、計101人の方に参加頂いた。10 代から80代まで、職業も性別も多様な人々がスケッチを描いてくれた。

 スケッチの制作後には、それぞれが自分の作品について説明を行った。互いの未来のイメージを共有する時間は楽しく、ワークショップ全体は終始和やかな雰囲気の中で進んだ。また、各参加者の話はテキストとして記録した。発言の得意・不得意には個人差が見られた一方で、出来栄えに関しては参加者間で大きな差は見られなかった。そのため、作品の完成度によって意見の重みが左右されることはほとんどなかったと考えられる。

 ワークショップは絵を描く前に十分に考える時間を設けたことで、参加者は自分自身の思いや考えをゆっくり掘り起こしながら表現することができた。これは通常の会議のような高速な発話のやり取りとは異なり、各自が内省しながら思考を深め、それを形としてアウトプットする機会になったといえる。

3.思考が生まれる参加へ
 参加の方法は、本来固定されたものではない。もし現在広く用いられている参加の形式が、知らず知らずのうちに企画側や参加者の思考の幅を狭めているのだとすれば、そこに別の関わり方を差し込む余地があるはずである。

 発言や文字化を急ぐのではなく、描くこと、つくること、配置することといった行為を通して、まだ言葉にならない感覚を場にとどめる。そうした回り道のようなプロセスが、結果として一人ひとりの思考を深めることもある。

 市民参加の価値は、あらかじめ定められた形式をなぞることではなく、考えることが許される環境をつくれるかどうかにある。民意が政策に届かないと感じられているのだとすれば、それは声が不足しているのではなく、思考が十分に育まれる前に収集されてしまっているからかもしれない。参加の方法そのものもまた、問い直され、試され続ける存在であるべきだろう。

参考文献:
長野基  (2024)『市民ワークショップは行政を変えたのか』 勁草書房
川上和久 (2008) 自治体広報と官民協働(特集 自治体における広報戦略) 『都市問題研究』 60, 9, pp.35-50
高寄昇三 (1982) 『地方自治の活力:これからの自治体の政策課題』 学陽書房
高寄昇三 (1980) 『市民統制と地方自治』 勁草書房
高寄昇三 (1986) 『自治体情報公開の実際』 学陽書房

(※1)武蔵野美術大学 『新町誕生20周年記念事業 共に描く森町のこれから 私の未来、私達の未来、森町の未来 事業実施報告書』 2025年7月11日発行


本コラムは「創発 Mail Magazine」で配信したものです。メルマガの登録はこちらから 創発 Mail Magazine

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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