1.量的拡大の達成と新たな局面への移行
かつて都市部を中心に深刻な社会問題となっていた待機児童問題は、いま大きな転換点を迎えている。こども家庭庁の資料によると、2024年4月時点で待機児童数が「ゼロ」であると回答した自治体は、全体の約87%に達した(※1)。2016年に約2万3千人いた待機児童は、2025年4月には約2千人と、統計開始以来最少水準を更新している(※2)。
図1:待機児童数の推移
出所:こども家庭庁「保育所等関連状況取りまとめ(令和7年4月1日)」資料より日本総研作成
この背景には、政府が待機児童対策を最重要政策に掲げ、保育の受け皿整備を急速に推し進めてきた経緯がある。2006年開始の「認定こども園制度」に加え、2015年には「子ども・子育て支援新制度」に基づき、小規模保育等の「特定地域型保育事業」が開始された。さらに2016年には、内閣府主導で「企業主導型保育事業」が導入された。これらの施策の結果、企業主導型を除く保育所等の数は2016年4月の約3万か所から、2025年4月には約3万9千か所へと拡大し、定員数も約260万人から約300万人規模へと増加した(※3)。
図2:保育所等数の推移
出所:こども家庭庁「保育所等関連状況取りまとめ(令和7年4月1日)」資料より日本総研作成
むしろ、これまで「枠の確保」を性急に推し進めてきたことによる歪みが、いま新たな課題となって浮き彫りになっている。今後の保育を巡る政策課題は、単に「いかに枠を確保するか」という初期段階から、「確保された枠をいかに安定的に維持するか」という、より困難なフェーズへと確実に移行しているのである。
2.企業主導型保育事業の拡大と継続性を巡るリスク
特に、内閣府主導で導入された「企業主導型保育事業」は、認可保育所とは別枠で迅速な施設整備を可能にするスキームとして機能し、現在では4,000施設超、定員約10万人規模にまで成長を遂げている(※4)。
しかし、待機児童数が減少局面に入る一方で、新たな兆候も見え始めている。業界全体での供給量の拡大が、企業主導型保育所の定員充足率の低下や運営企業の撤退、ひいては施設の休止・廃止を招く事態となっている。政策課題は今、「園に入れない問題」から、「一度入った園を卒園まで継続して利用できるか」という、サービスの安定性と持続性の確保へとシフトしつつある。
なぜ企業主導型保育において、利用の継続性が脅かされる事態を招いているのか。その理由は、認可保育所とは根本的に異なる制度設計にある。認可保育所は、自治体が入所調整(利用選考)を行い、公的責任のもとで運営費が支出される。これに対し、企業主導型保育所は事業者と保護者の「直接契約」を基本とし、自治体の利用調整の枠外に位置する。自治体は保育認定や情報提供を行うものの、設置主体でも監督主体でもないという「準市場的」な立ち位置に留まっている。この制度的特徴は、企業の多様な働き方に応じた柔軟性と迅速性を可能にしたが、同時に経営リスクを事業者個別に内在させる結果となった。
企業主導型保育所の収支は、定員充足率や補助金要件、さらには設置企業の負担能力に大きく左右される。少子化の加速により待機児童が減少し、地域によっては供給過剰(定員割れ)が発生する状況下では、経営環境は極めて厳しくなる。実際に内閣府の公表資料によれば、企業主導型保育事業における「取りやめ(廃止)」は令和5年度の38施設から令和6年度は48施設へ、「休止」は33施設から40施設へと増加傾向にある(※5)。
さらに深刻なのは、制度上の「空白」である。現行制度では、閉園を決定した際の通告時期に関する全国一律の基準が存在しない。例えば、年度途中の1月に閉園が決定し、それが自治体の翌年度4月入所の申込締切後であった場合、保護者は次年度の転園機会を事実上失うことになる。また、多くの自治体において、認可保育所の選考基準に「企業主導型の閉園」を優先的に扱う仕組みが未整備である点も大きな課題だ。待機児童対策として急造されたこの制度的特性が、結果として「保育難民」を再生産しかねない不安定な構造を露呈させている。
3.社会インフラとしての保育
ここで改めて強調すべきは、現代社会における保育の役割である。保育はもはや単なる福祉サービスではなく、国民の労働参加を支える不可欠な「社会インフラ」である。総務省「労働力調査」によれば、20代・30代・40代女性の就業率は80%近い水準に達している(※6)。この高い就業率を維持し、さらに向上させるためには、単に「枠がある」という利用可能性(アクセシビリティ)だけでなく、一度利用を始めたら卒園まで安心して預けられる「継続可能性(サステナビリティ)」の確保が不可欠である。
仮に年度途中で突然、保育環境を失えば、復職後間もない家庭では離職や勤務形態の変更を余儀なくされる。これは個人のキャリア形成を阻害するだけでなく、企業側の人材確保、ひいては労働市場全体の生産性に負の影響を及ぼす。また、こども家庭庁が推進する「次元の異なる少子化対策」との整合性も問われる。政府がいくら経済的支援を強化しても、保育の安定性に対する根源的な不安が残れば、出産・育児に対する心理的・経済的リスクは十分に軽減されない。
4.幼稚園制度に学ぶ官民の役割分担
このインフラとしての安定性を確保するための官民の役割分担を考える上で、日本の幼稚園制度の枠組みが参考になる。日本の幼稚園は、歴史的に私立幼稚園が地域の教育需要を柔軟に吸収してきたが、同時に学校教育法に基づき「公教育」の一角を担うものとして位置づけられてきた。都道府県による設置認可や実地監査、経常費補助等を通じて、運営主体が「民」であっても、その存続や質については「官」が強いガバナンスを発揮している。
対して現在の企業主導型保育は、民間活力を利用して「量的確保」を急いだあまり、この「公的なガバナンス」が希薄なまま市場原理に委ねられすぎている。今後の官民の役割分担は以下のように再定義されるべきである。
•「民」の役割: 企業の多様な働き方に合わせた柔軟なサービス供給と、創意工夫による効率的な運営。
•「官」の役割: 社会インフラとしての安定性を担保するための「市場監視(モニタリング)」と、撤退時の「転園セーフティネット」の整備。
企業主導型は国の制度であるが、実際に閉園に直面した住民の相談に対応し、転園調整を担うのは自治体である。制度設計上の責任主体(国)と、住民への対応主体(自治体)が一致していないことが不測時の救済の遅れを生んでいる。保育という公共性の高い営みを市場原理に委ねすぎた弊害に対し、幼稚園のように「私立(民間)であっても公共性を担保する」仕組みへの昇華が求められている。
5.持続可能な保育制度に向けた提言
以上を踏まえ、企業主導型保育事業、ひいては日本の保育制度全体を安定させるための具体的な制度設計を提言する。ただし、過度に厳格な規制や義務化は民間の柔軟性を損ない、かえって事業撤退を加速させる恐れがある。そのため、参入意欲を削がないよう、支援とルールのバランスに配慮した設計が不可欠である。
(1)利用者保護原則の明文化と公共性の再定義(国・設置企業の義務)
企業主導型保育を、単なる「企業の付加価値サービス」や「自由市場の商材」として捉えるのではなく、高い公共性を有する「準インフラ」として法的に再定義すべきである。設置主体の自由度を認めつつも、撤退時には利用者の次なる預け先の確保を支援するという「利用者保護原則」を制度内に明示し、設置企業の社会的責任(CSR)としての位置づけを明確化する必要がある。
(2)閉園通告ルールの制度化(国レベルでの義務化)
企業主導型保育事業者に対し、「次年度4月入所申込締切前(例:毎年11月末)」までの閉園通告、または「通告から12か月間の原則運営継続」を義務付けるべきである。これにより、保護者が自治体の利用調整プロセスに乗り、適切な転園準備期間を確保できる法的担保を設ける。
(3)「転園優先枠」の創設と制度化(自治体レベルでの標準化)
自治体の認可保育所利用調整において、「在園施設の閉園・休止」を災害や虐待等と同等の「やむを得ない事由」として評価基準(指数)に加点する、あるいは臨時受入枠を設けることを全国的に標準化すべきである。これは不当な優遇ではなく、制度上の不備に対する公的なセーフティネットとして位置付けるものである。
(4)経営健全性の早期警戒制度(モニタリング)の強化(国・自治体の連携)
定員充足率や財務状況に関する一定の情報公開を義務付け、国と自治体がリアルタイムで情報共有できる体制を構築する。経営危険水準にある施設を早期に把握し、自治体が事前に受け皿の準備を始められる体制の整備が急務である。
保育の安定は、働く親の安心だけでなく、子どもたちの情緒的安定と発達を保障するものである。市場の効率性と、公的インフラとしての安定性をいかに高度にバランスさせるか。その解を見つけ出すことこそが、少子化という国難に立ち向かうための、真の意味での「子育て支援」に他ならない。
(※1) こども家庭庁「保育所等関連状況取りまとめ(令和7年4月1日)」
(※2) こども家庭庁「保育所関連状況取りまとめ(全体版)」(令和7年4月1日)
(※3) 同上
(※4) 共財団法人児童育成協会「企業主導型保育施設一覧(定員充足状況含む)(令和7年10月初日現在)について」
(※5) こども家庭庁「企業主導型保育事業点検・評価委員会(第20回)」
資料1 令和6年度企業主導型保育事業について(補助事業の実施結果について)
(※6) 総務省「労働力調査」の結果を厚労省が再掲「働く女性の状況」(令和5年)
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

