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インフラ老朽化のリアル――見落とされてきた声

2025年12月23日 石川智優


 上下水道などで漏水や破損の事故が多発しており、インフラ老朽化が社会課題として語られる機会が増えています。しかし、その議論の陰で、注目されてこなかった領域があります。農業用水を支える水利施設と、その管理を担う団体である土地改良区です。これらは日本の食や地域経済を支える重要なインフラでありながら、老朽化と人手不足が同時進行するという、極めて大きな課題に直面しています。

 筆者はこれまで、上水道や水力発電、農業用水、洪水対策関連施設など、さまざまな利水者、治水者の現場を訪ねてきました。その中で、流域での水管理を考える際に、地域の水利用における最大規模の主体が農業であることを実感することが多くありました。しかし、都市部に暮らす多くの人にとって、農業用水は「目に見えないインフラ」であり、その実態は十分に知られていないのが現状です。農業用水路というと、道路脇を流れる水を想像する方も多いでしょう。ところが実際には、多くが上水道などと同じように地中に埋設された「管路」となっています。そして、上下水道などと同じように老朽化が進んでいるのです。
 土地改良区の現場は、職人技の世界です。どこに水路が埋設されており、どの施設をどのように調整すれば特定の農地に必要な水量が届くのかなど、こうした知識やノウハウの多くをベテラン職員の経験に依存しているということも少なくありません。その一方で、人手不足が深刻化しています。管路が破損し漏水が発生した場合、土地改良区の職員が現場に駆け付け、状況を把握し、工事などの対応をとらなければなりません。事業者の協力や、また交通量の多い道路などで発生した場合は警察の協力もあるものの、基本的な対応は土地改良区が担うのが通例です。

 漏水事故は年に数回といった珍しいトラブルではなく、週に複数回発生することすらあります。さらに、昼夜問わず発生する可能性があり、深夜であっても対応のため現場に向かうことも珍しくありません。目視ではどこに埋まっているかわからない管路を、紙の地図(設計時の図面など)と経験を頼りに特定することもあります。財源の制約などからデジタル技術の導入は遅れがちで、24時間体制で対応する職員の負担は大きくなっています。同じような課題を抱える都市部の水道において、昨今の世間の注目もあって急速に対応が進んでいる一方、農業水利施設の改善に向けた取り組みはまだまだ進んでいません。

 日々の水量調整も容易ではありません。「この量の水を、あの農家の田んぼに流す」と一言でいっても、天候や需要、他の地域との水のバランスを踏まえた繊細な調整が求められます。水利施設の操作方法を理解した限られた人材が、現地で判断しながら水の安定供給を支えているのが現状です。さらにそこにインフラの老朽化という問題が重なっています。施設の更新には多額の費用がかかるため、土地改良区として投資は後ろ倒しになってしまいます。スマート農業のようにデータで全面管理する体制には至らない地域も多くあります。水の安定供給には、施設の更新とノウハウの継承の両面が必要ですが、どちらも簡単には進められないのが実情です。今後さらに老朽化、人材不足が進むと、このような水供給のリスクが、食料安全保障や地域経済にとってもリスクとなり得ると言えます。

 この状況を、土地改良区や農家の自己努力で乗り越えるのは現実的ではありません。では、この構造的課題をどのように乗り越えていけばいいのか。筆者は、流域全体で水管理に取り組むことがカギになると考えています。「流域全体」とは、水害対策も、水利用も、環境も、同じ流域に関わる人や企業、農業者、行政などが一体となって取り組むという考え方です。互いの役割や権利を尊重した上で、より上手に活用していく方向を探るべきだと考えます。国が掲げる「流域総合水管理」は、まさにそうした方向性を示したものです。流域全体でのアプローチは単なる公共政策にとどまりません。ビジネスの視点から見ても、デジタル技術や金融スキーム、設備更新ビジネスなど、多様な機会を生み出します。たとえば漏水検知センサー、リモート操作可能な水門、AIを活用した気象予測や流量予測といったソリューションは、現場の効率化や負担軽減、水の安定供給にも直結します。実際に、矢作川・豊川流域で推進されている「矢作川・豊川カーボンニュートラルプロジェクト」では、流域のあらゆる関係者が連携し、水利用やエネルギー、環境への取り組みを一体的に捉えて進められており、今後の横展開が期待されています。

 このように、インフラ老朽化はもはや一部の自治体の問題ではないことが分かります。私たちが日々口にする食や水。その水を届けるインフラの現場でも、今日も誰かが夜を徹して漏水対応にあたっているかもしれません。このような見えない努力に目を向け、課題を把握し、新しい技術導入や体制づくりを考えていくことが求められています。


本コラムは「創発 Mail Magazine」で配信したものです。メルマガの登録はこちらから 創発 Mail Magazine

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

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