オピニオン
製造業の新規事業開発手法:技術シーズ起点と顧客ニーズ起点を融合した戦略的アプローチ
2025年07月11日 金子大亮
1. はじめに
「過去に成功体験のあるシーズ起点の新規事業開発手法では、製品を開発したものの、期待した用途が見つからない。」「書籍やセミナーで推奨されるニーズ起点の新規事業開発手法を試したが、自社の技術を生かせないとっぴなアイデアばかりが出てしまう。」製造業に携わる方々の中には、こうした悩みを抱える方も少なくないであろう。本稿では、筆者の製造業における経験に基づき、一見相反するように見えるシーズ起点とニーズ起点の課題を克服し、双方の利点を融合させる新規事業開発アプローチを提案する。
2. 本稿における「新規事業」の定義
製造業の新規事業開発においては、「新規事業とは何か」「新製品とはどう違うのか」といった定義が議論の対象となることが少なくない。本稿に関して誤解を避けるために筆者の考えを以下に示す。
一般的に「新規事業」と聞くと、これまでにない価値提案やビジネスモデルの構築を伴う取り組みと捉えられがちである。しかし筆者は、新規のビジネスモデルや利益獲得手法の構築だけでなく、新規製品や新規製品群の開発も新規事業に該当すると考える。単なる既存事業部門による新製品開発とは異なり、本稿における「新規事業」は、以下の要素を伴うものと定義する。
●既存の事業部で扱っていない製品種類もしくは産業分野であること
●事業部やビジネスユニットレベルの新規組織を設立するほどの規模であること
●企業の製品ポートフォリオにおいて、新たな項目として追加されるような規模および位置づけであること
つまり、その企業にとってこれまでに取り扱いがなく、かつ規模の大きな新規製品および新規製品群の開発は、「新規事業開発」と見なせると考える。特に製造業においては、新規事業開発として、販売形態の変更よりも新規製品や新規製品群の開発を目指すケースが多いと認識している。本稿は、そのような製造業における新規製品・新規製品群開発を中心とした新規事業開発を対象としている。
3. シーズ起点開発の課題と解決策
過去に技術主導のシーズ起点開発で成功した経験から、同様の手法で新規事業開発を進めるものの、ニーズを持つ顧客になかなかたどり着けずに苦労するケースが見られる。これには主に二つの原因が考えられる。
(1)原因1:ニーズの複雑化・多様化
過去の新規事業開発は、技術を軸とした研究開発から生まれることが多く、一見シーズ起点のアプローチに見える。しかし、その実態は、当時自明であった顧客ニーズを起点としたアプローチであった場合が少なくない。
例えば、強度と導電性に優れたコルソン合金は、技術的な研究開発によって生み出されたため、シーズ起点開発の典型例と見なされがちである。しかし実際には、コネクタ端子やリードフレーム等の用途において、強度と導電性に優れた材料が必要であるというニーズが業界内で明確に認識されていた中で開発された。つまり、これは既に業界内に知れ渡っていたニーズに応える開発であり、真の起点はシーズではなくニーズであると捉えられる。
このように、かつての新規事業開発では、業界の暗黙知となっている自明なニーズを起点とすることで、ニーズ獲得を強く意識せずとも顧客の求める製品開発が可能であった。ところが近年では、度重なる技術革新により顧客の製品や工程が複雑化し、それに伴い顧客ニーズも複雑化・多様化している。製品の中心的機能だけでなく、製造工程への適合性や使用環境への対応といった、より個別具体的な要求が製品ごとになされるようになった。
また、ニーズが明確で分かりやすい製品分野ほどコモディティ化が進みやすく、グローバル化により海外から輸入される廉価品との競争も激化するため、収益性の観点から日本企業にとって魅力が薄れている。現在でも比較的単純で自明なニーズは存在するが、技術革新が進展した結果、そのようなニーズを持つテーマは既に研究開発が進んでいるか、あるいは短期での開発が難しいほどに実現難易度が高く、新規事業として取り組むことが困難なケースが多くなっている。したがって、日本の製造業企業においても自明なニーズに対する研究開発だけでなく、特定市場の複雑化・多様化したニーズに対して新規事業開発を行うことが求められている。
シーズを生かしつつ近年の複雑なニーズに応えた新規事業の代表例として、味の素ファインテクノ株式会社が開発し、高性能半導体用の層間絶縁材料においてほぼ100%のシェアを獲得している味の素ビルドアップフィルム(ABF)が挙げられる(※1)。層間絶縁材料には、絶縁性、薄さ、耐熱性、低熱膨張性、低誘電損失、熱伝導性、レーザー加工性、直接銅めっき加工性といった多岐にわたる特性が要求される。味の素ファインテクノは、市場で予測されるイノベーションの兆候をいち早くつかみ、パートナー企業と緊密に連携することで、これらの多様なニーズに対応する製品開発に成功した。これは、具体的なニーズを的確に捉える活動なしには成し遂げられなかったであろう。
このように、近年では複雑化・多様化した顧客ニーズに対応するため、意識的にニーズを捉える活動を行うフェーズを設けて、顧客ニーズに基づいた新規事業開発を行うことが極めて重要である。

(2)原因2:ニーズ起点とシーズ起点の開発効率の差
ニーズ起点の開発では、得られたニーズに対して社内の限られたメンバーに相談することで、迅速に実現可能性を検討できる。一方、シーズ起点では製品開発後に社外の不特定多数の人物からシーズに適合するニーズを持つ人物を探し出す必要が生じるため、効率性が低い上に、ニーズが見つからないという本質的なリスクも伴う。
具体的には、新規事業開発に時間を要することによる競合他社への出遅れや、ニーズが見つからない開発にリソースを投下してしまうことによる開発コストの無駄といったリスクが考えられる。筆者の経験においても、自社技術を生かして特定の化合物の特性を向上させるというシーズ起点の開発プロジェクトで、最終的に用途が見つからなかったり、既存材料との明確な差別化ができなかったりしたケースがあった。もし事前に具体的なニーズを捉えていれば、開発初期段階での他の必要要素の検討や、より早い段階での別の開発テーマへの切り替えが可能であったと考えられる。
したがって、新規事業開発の初期段階から顧客ニーズを的確に捉えたニーズ起点の開発アプローチを採用することで、ニーズ探索に過度な時間と労力を費やすことなく、効率的に新規事業開発を推進できる。

4. ニーズ起点開発の課題と解決策
前章では、ニーズ起点の開発がシーズ起点に比べて効率性に優れる点を述べた。しかしながら、ニーズ起点で新規事業開発を進めると、自社の強みを生かせず、結果として競争優位性や既存事業とのシナジー効果が期待できないアイデアが生まれてしまうことがある。既存事業とのシナジー効果がなければ、新規事業における競争優位性の確保は難しく、将来的には自社の事業ポートフォリオにおける方針が曖昧になり、進むべき方向性を見失うリスクも考えられる。
この課題は、ニーズ探索を全方位的に行うのではなく、事前に活用したい自社の強み(コア技術や知見)や参入を目指す好ましい市場環境(市場規模、成長性、技術的課題の存在など)を基に、ニーズ探索領域を明確に設定した上で探索活動を行うことで改善できる。一般的なシーズ起点の開発と異なるのは、シーズに基づいて行う探索領域の絞り込みを製品のレベルではなく、複数の製品に生かせる技術や知見のレベルにとどめることである。ここでは技術や知見といったシーズを、製品アイデアを生み出すためではなく、あくまでもニーズ探索領域を設定するために利用する。事例として、AGC株式会社の新規事業開発が挙げられる(※2)。同社では、自社のコア技術を材料技術、機能設計、生産技術の三つに分類している。そして、材料技術ではガラス材料や有機・フッ素材料、機能設計では表面機能設計や電気化学、生産技術では樹脂成形やコーティングといった、活用すべき具体的な技術を明確化している。この強みを基盤とし、例えば「クリーンエネルギー」という探索領域を選定してフッ素系電解質ポリマーの開発に、「最先端半導体製造プロセス」という領域を選定して最先端半導体向けフォトマスクブランクスの開発に成功している。このように、AGCは生かしたい強みを基にニーズ探索領域を戦略的に設定することで、複数の有望な新規事業開発を実現しているのである。
また、前述のAGCの事例では、「クリーンエネルギー」や「最先端半導体製造プロセス」といった領域は、市場規模や市場成長性、そして新たな技術的進化が求められている市場環境であるか否かといった観点も考慮して選定されたと考えられる。これらの市場環境に関する基準も設定し、自社の強みと照らし合わせて探索領域を選定することで、手戻りや無駄の少ない、戦略的な新規事業開発が可能となる。
自社の強みを基にしたニーズ探索領域設定では、自社の強み、整合されるべき自社ビジョンという自社側の設定要素と、市場成長性、技術的進化への要求等の市場側の設定要素のそれぞれを明確にすることが重要である。特に自社の強みの明確化については、製品や材料等の「名詞」ではなく、「削る」「磨く」等の「動詞」として表現することが望ましい。強みを「名詞」として表すと、現在の製品等のそのものを指す文言となってしまい、新規事業への応用がイメージしにくい。しかし、「動詞」として表すことで、未来の他の製品への応用をイメージしやすい強みとして捉えることが可能となる。
結論として、生かしたい自社の強みと好ましい市場環境を基にニーズ探索領域を明確に設定した上で、ニーズを起点とする新規事業開発を行うことで、自社の強みを生かし、かつ既存事業とのシナジー効果も期待できる、競争力のある新規事業を生み出すことが可能になる。


5. おわりに
シーズ起点の新規事業開発は、開発効率が低いという問題や、開発した製品が顧客ニーズを捉えられないリスクを内包している。一方、ニーズ起点の新規事業開発は、自社の強みを生かせないアイデアに陥る可能性がある。
本稿で提案した、「生かしたい自社の強みや好ましい市場環境を基にニーズ探索領域を戦略的に設定し、その領域内で顧客ニーズを起点とする新規事業開発を行う」というアプローチは、上記の課題を解決する有効な手段である。この手法により、ニーズ起点の開発の効率性とシーズ起点の自社の強みの活用を両立させ、競争優位性のある新規事業を生み出すことが期待できる。
(※1) 味の素ファインテクノ株式会社ウェブページ

(※2) AGC株式会社ウェブページ

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。