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地方創生の新たな切り札として期待される生物多様性クレジット

2025年07月08日 長谷直子


 自然や生態系は、食料や水の供給、水質の浄化など、様々な形で人々の生活や企業活動に恩恵をもたらしている。気候変動と同様に生物多様性の損失も本来、企業にとって事業の継続に係わる重要な経営課題になりうるが、その保全に向けた取組みに民間の資金が十分に投入されているとは言えない。「カーボンクレジット」が気候変動対策への資金動員を可能にしたように、「生物多様性クレジット」も生物多様性保全に資金を集めるための仕組みとして、一つの有力な選択肢になると考えられる。

 海外では一部の国で生物多様性クレジットの市場取引を始めており、その市場規模はカーボンクレジットには及ばないものの、今後最も需要が拡大するケースで2030年に20億ドル、2050年には690億ドルに上るという予想もある。海外諸国で取引されているクレジットは、補償型クレジットと貢献型クレジットの2種類がある。補償型クレジットは、土地開発等によって失われる生物多様性を評価し同等の価値で補填(オフセット)するもので、開発の代償措置が義務化されている米国や英国、コロンビア等で導入されている。一方、貢献型クレジットは、事業者の自主的な環境貢献を評価し取引するもので、2025年3月にオーストラリアで取引市場が開設されたところだ。

 日本でも環境省を中心に、10年以上前から生物多様性クレジットの導入について検討されてきたが、海外で事例が増えた今もなお、日本では導入に至っていない。その最大の要因は、生物多様性クレジットの価値評価の難しさにあると考える。日本は南北に長く様々な気候帯を持つことから、地域によって生態系が大きく異なる。さらに「里地里山」として森林や水田、ため池といった様々な環境が入り交り、海外諸国と比べても特に複雑な生態系を有する国と言える。海外の取引制度では、生物多様性の価値を土地の面積や場所、生物多様性の質(生態系の特色や状態)、保全方法等に応じて一律の計算式で評価することが多い。広範囲にわたって単一的な生物種が生息する地域や、既に開発しつくされた地域ではその方法で生物多様性の価値を概算できたとしても、地域によって大きく異なり複雑な生態系を持つ日本では、同様の手法では評価しにくい。補償型クレジットとしてオフセットで活用する場合、地域間及び同種の生物学的同等性が証明されなければならないが、複雑な生態系を有する日本は海外と比べても評価がより難しくなってしまう。厳密さを欠いたまま開発の代償措置にオフセットを取り入れれば、グリーンウォッシュと揶揄されかねない。また、代償措置の規制化に対する産業界の強い反対も予想されるため、特に補償型クレジットの国内導入は容易ではないと推察される。

 このため、日本における生物多様性クレジット導入の出発点としては、貢献型クレジットに注目し、企業の自主的な貢献を評価し取引する仕組みの導入を検討すべきと考える。しかし、貢献型クレジットは規制を伴わないため、購入側のインセンティブが生まれにくいという課題がある。インセンティブを創り出すための仕掛けとしては、例えば「企業版ふるさと納税」を活用し、地域で行われる生物多様性クレジット創出事業に企業が寄付を行うといったスキームが考えられる。企業側のインセンティブは税額控除の他、地域社会、投資家からの評判の向上や、自治体をはじめとする地域のステークホルダーとの連携強化等が期待できる。寄付の原資には、フィランソロピーも考えられるだろう。フィランソロピーは企業が行う社会貢献活動だが、地域が盛り上がれば、長期的には企業にとっても売上増加等のリターンが見込めるため、再びその価値観を取り入れようとする企業が昨今増えている。また、クレジットの需要を創り出す前準備として、まずは、企業が自発的に生物多様性保全に取り組む素地を整える必要もある。具体的には自然関連情報開示要請の強化や、環境デューデリジェンスにおける生物多様性観点の取り入れ等が挙げられる。

 地域で生物多様性クレジットの取引スキームが実現できれば、後継者不在で耕作放棄地を抱えている農家や、整備者の不足により放置されている森林の所有者にとってクレジットが新たな収益源となり、衰退している第一次産業の活性化につながる可能性がある。生物多様性クレジットは、地域特性を活かしたプロジェクトを通じて地域経済の停滞や過疎化の解消に寄与しうることから、地方創生の新たな切り札として期待される。貢献型クレジットの導入を各地で検討し、その成功事例を積み上げることが、持続可能な社会の実現に向けた重要なステップになる。


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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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