オピニオン
【ニューノーマルにおけるスポーツの価値】
第5回 eスポーツの発展によるリアルスポーツの行方
2020年10月26日 德丸翔
1.存在感を増すeスポーツ
(1)eスポーツの台頭
昨今、eスポーツの存在感が増している。当初は議論の対象であった「eスポーツはそもそもスポーツなのか」という点は、ここ数カ月であまり聞かれなくなった。2018年ジャカルタ開催のスポーツのアジア大会でeスポーツが正式種目となったのを始めとし、国内では昨年開催された「いきいき茨城ゆめ国体」において文化プログラムとしてeスポーツの大会が開かれたり、サッカーJリーグやプロ野球をはじめとする既存のスポーツ業界がeスポーツとコラボレーションしたりなど、今やeスポーツは既存の「リアルスポーツ(既存の身体を動かすスポーツ)」と共に、スポーツを語る際には欠かせない存在になった。
(2)コロナ禍におけるeスポーツ
2020年2月以降は、新型コロナウイルスの影響でスポーツ界が混乱を極め、リアルスポーツには空白期間ができた一方で、外出自粛中に自宅でオンラインにて実施可能なeスポーツのプレーヤー数・観戦者数が大きく増加した(「図1」参照)。プレーヤーおよび観戦者の「スポーツをする・見る」選択肢が狭まる中で、「消去法的に選択されたスポーツ」としてではあるが、図らずしてeスポーツはその短い歴史上で最も注目される機会を得た。当初はゲーム依存症を懸念していた世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルスの感染拡大を予防するために、自宅でのゲーム(eスポーツ)プレーを推奨する旨を発信している。これは、WHOが、コロナ禍でゲーム業界が実施したキャンペーン「#PlayApartTogether(離れて遊ぼう)」(WHOが推奨する正しい感染症対策(他人との物理的距離を取る)を周知する取り組み)を支援する姿勢を示したものである。
このようにeスポーツの存在感が増す中で、今後リアルスポーツはどのように変化する(もしくは変化しない)のであろうか。
2.近年における、リアルスポーツとeスポーツの接近、融合
(1)リアルスポーツとeスポーツ
eスポーツはディスプレー内で完結する、バーチャル空間で繰り広げられるスポーツであり、リアルスポーツとは下記の点で根本的に異なっている。「する」スポーツという観点では、「身体性、つまりフィジカル要素が高いか」という点で大きく異なる。一方で、「見る」スポーツとしては、情報革命によってその差は近づいているものの、「競技を見るために一箇所に集まり、演者を囲うようにして観戦する」リアルスポーツと、「ディスプレー内で視聴が完結する」eスポーツという違いがある(「図2」参照)。
(2)リアルスポーツとeスポーツの接近
上記のような違いを持つeスポーツとリアルスポーツであるが、近年、両者の接近や融合がみられるようになってきている。「スポーツ1.0」が従来型のリアルスポーツ、「スポーツ2.0」がeスポーツとすると、「スポーツ3.0」は、リアルスポーツがeスポーツの要素を取り入れたり、両者を融合させたりするフェーズである。
先日、日本の強豪サッカー部を持つ高校が、eスポーツ部を設立した。eスポーツ部の全員がサッカー部にも所属し、選手らは午前中eスポーツのサッカーゲームを実施、午後はリアルでのサッカーの練習を行うという。あくまでメインはリアルスポーツであり、eスポーツでは戦術面の確認や選手の動きのイメージ形成などを目的にしている。高校生の部活レベルでのeスポーツ部の創設は近年増えているが、リアルスポーツの部活動においてeスポーツを取り入れたケースは新しい。これは、スポーツを「する」ことにおいて、eスポーツがリアルスポーツに接近していることを意味している。
また、スポーツを「見る」ことにおいても両者の接近がみられる。「CGで再現されたバーチャルスタジアムでリアルな野球の試合を視聴する」という新しい観戦スタイル「バーチャルハマスタ」がその例である。自身のアバターがバーチャル空間でスタジアム周辺を歩き、スタジアムの中に入り、リアルでプレーされている野球をバーチャルの中に設置された画面上で観戦する。コロナ禍において、テレワークが浸透し、「バーチャル出社」なる言葉も出てきたが、自身のアバターがバーチャル画面上でどこか特定の場所に向かい何かをする、という点では同じ仕組みである。この仕組みは、先日話題になったバトルロイヤル・ゲーム「フォートナイト」内で開催された米津玄師氏の音楽ライブと同様のスタイルであり、将来的には、スポーツ観戦もこのようなスタイルが一般化するのかもしれない。
(3)リアルスポーツとeスポーツの融合
さらに、リアルスポーツとeスポーツが融合するシーンも出てきている。サッカー選手やプロ野球選手が練習をVRにて実施するというものがその一例である。選手がゴーグルをつけて身体を動かすと、実際に動かした身体が、拡張現実の世界でリンクし、アバターが同じ動きをするという。選手に見えている映像はバーチャル空間ではあるが、実際に手足を動かし、競技を行っているのは実空間である点に特徴がある。AR技術とモーションセンシング技術を使い、手足を動かしながらバーチャルな世界で対戦する「HADO」もリアルスポーツとeスポーツの融合事例である。「HADO」はプレー中に激しく動くため、汗もかくし、プレー中の様子は一見ドッジボールの様ではあるが、実際の競技は、バーチャル上で「エナジーボール」を手から繰り出して対戦相手にぶつける、というとても斬新な競技である。
他にも、手に持ったコントローラを振りかざして実空間でパンチを繰り出し、それがVR画面上では相手にヒットする、というボクシングゲーム「BoxVR」や、宇宙を舞台とし、無重力状態のアリーナを移動して、ディスクと呼ばれるフリスビーを相手ゴールに向かって投げ合うゲーム「Echo Arena」なども、実際に身体を動かして、バーチャル上のアバターが競技を行うという、融合事例である。
3.今後のeスポーツとリアルスポーツの関係性と、問われるリアルスポーツの価値
(1)今後の展開
上記リアルスポーツとeスポーツの接近・融合が今後様々なスポーツで加速するであろう。それらがさらに進むと、先の「F1 バーチャルグランプリ」をさらに進化させたようなスタイルで、リアルスポーツとeスポーツの競技者が、別の個所から同じ種目で競い合うことになるのではないか。例えば、サイクリングのeスポーツである「バーチャルサイクリング」で、実空間におけるサイクリストと、自宅からeスポーツとしてバーチャルで参加するサイクリストが競う、といったことが起こり得る(図5参照)。ある選手はリアル、別の選手はバーチャルで競い合う。リアルでは天候やマシンの故障など条件面が異なることが考えられるため、競技面の公平性の確保が必要ではあるが、それらをクリアする技術も出てくるかもしれない。
今後、リアルスポーツは、そのトレーニングや戦術面においてIT、VR・ARがふんだんに駆使され、観客も選手がプレー中に見ている光景をそのまま共有するような形で没入し、自身が選手になった気分で観戦することが可能になるかもしれない。F1中継で見られるような光景を様々な競技で体感することが可能になる。eスポーツやAR・VRと組み合わせることで、それらがバーチャル上ですべて実現できてしまう。
それらが実現すると、エンターテイメントとしての面白さはより増していき、eスポーツの存在感はさらに増すことになる。ここで「リアルスポーツの価値」が改めて問われることになるであろう。eスポーツにはない、リアルスポーツであることの意味とは何であろうか。
(2)リアルスポーツの価値
リアルスポーツを「見る」ことにおいては、競技が行われている現場において、「五感」でそのスポーツ(ならびにその周囲で起こっている事象)を感じられることが大きな価値と言える。夏の甲子園で、灼熱の太陽の下でビールを飲みながらブラスバンドの応援を耳に、うちわをあおぎながら、若者たちの一挙手一投足を眺める。異国で開かれるワールドカップで、試合前に異邦人と試合の行方を予想し合い(時には喧嘩し)、試合が始まると、これまで耳にしたことのない相手国サポーターの地鳴りのような声援(時には野次)を肌で感じ、ゴールに感極まって涙し(抱き合って叫び)、試合後には健闘をたたえ合い、いつの日かの再会を約束する。海外のサッカーファンが決まり文句として使う表現に、「I was there」というものがある。これは、ある歴史的な試合を現地で目の当たりにしたサポーターが、その後何十年も、その試合の現場に「居合わせた」ことを自慢する表現である。「その現場にいる」ことに意味がある。リアルスポーツを「見る」ことの価値はまさにここにある。記憶と共に、その時のにおいや気候、感情まで蘇ってくる、あの感覚である。
もしかすると、「視覚や聴覚」に関しては、技術の進化により、バーチャルによる観戦の方がより精密に、鮮明になるかもしれない。無駄な雑音や景色が入ることがなくなる。しかし、五感のうち、現在のeスポーツの世界で体感できるのは視覚や聴覚のみであり、それ以外の嗅覚、触覚、味覚や「その場の雰囲気」といった言葉で表現するのが難しい要素はリアルスポーツでしか感じられない。eスポーツが急速に進化する過程で、これらの要素はより希少になるであろう。
一方で、「する」スポーツにおいてはどうか。前述の「リアルスポーツとeスポーツとの融合」のとおり、身体性の高いeスポーツも出現してきており、両者の接近・融合がさらに加速することが予想される。そうすると、「身体性」は必ずしもリアルスポーツに限定される価値ではなくなってくるであろう。つまり、リアルスポーツにおいても、見るスポーツ同様に、「現地で、五感で体感する」ことが大きな価値になると考える。バーチャルサイクリングでは決して感じることのできない、森や山のにおい、したたる雨の冷たさ、ふいに飛んできた虫を避けるシーン。これらすべてがリアルスポーツならではの要素である。
(3)eスポーツは何をもたらすのか
一方で、eスポーツがもたらすものとは何であろうか。スポーツ界にもたらす大きな影響としては、「身体性の高いスポーツが有する、差別的なカテゴリーの消滅」が挙げられる。前述のとおり、eスポーツは既存のリアルスポーツとは異なる特徴を有し、身体性が低いことから、リアルスポーツが有するような様々な「競技を公平にするためのカテゴリー」を消滅させる可能性がある。eスポーツは年齢や性別、身体的特徴(身長や体重、障害の有無など)の差が、競技をする上での公平性に影響を与えることが小さいため、それらをなくす可能性がある。これは、これまでの「する」スポーツは「若者、健常者、男性」に相対的に優位性があったが、eスポーツはその優位性を排除することを意味している。
また、eスポーツを「する」ことによる効果効能も期待される。eスポーツをすることで、脳の動きが活性化するという研究結果もあるし、eスポーツのプレー時に必要な思考力や反射神経は、教育の場で活用されたり、リハビリ等の面でヘルスケアの分野における活用も今後期待されたりする。さらに、eスポーツをすることで、その経験や画面上での分析をリアルスポーツにも応用・活用させて、リアルスポーツにおける技術の向上に役立てるといった、リアルスポーツの一助となる役割も担う。前述したeスポーツの特徴を活かし、低コストで、いつでも、どんな場所でもバーチャルで練習可能な環境が整えば、これまではチャンスに恵まれなかった資金力の乏しい選手にも、「機会の平等」が生まれることも考えられる。
リアルスポーツは「する」スポーツとして、コミュニティの醸成にも寄与してきた。各地域でのクラブ活動やスポーツイベントは若者だけでなく、高齢者にとっても、スポーツという目的のために集まった人々のコミュニケーションの場となり、日々の生活に活力を与える場にもなっている。しかし、これは「身体を動かせる人や、身近にコミュニティがある人にとって」という条件付きである。eスポーツはこの条件を大きく変える可能性を有している。身体的な制限があり活発に動けない人や、スポーツコミュニティを身近に有さない人が、「いつでも、どこでも」実施可能なeスポーツを「する」ことを通じて、コミュニティへの参加、様々な人とのつながりを作ることができる。
この点、既に「シルバーeスポーツ協会」といった組織も存在しているが、まだメジャーな存在とは言い難い。今後若者だけでなく、高齢者を含めてあらゆる世代がeスポーツを楽しむためには、eスポーツのプレー環境整備とプレー機会の提供が重要になる。行政や民間団体、協会などが一体となって環境を整備し、機会を作っていく必要がある。各地域にeスポーツを楽しむ場を作ることや、デジタルデバイスで簡単に楽しめるeスポーツコンテンツを作成すること、デバイスを各家庭に配備するための工夫も必要であろう。若者が利用を始め、その利便性を知り全世代に浸透していったスマートフォンのように、eスポーツもまずは若者のゲーマーが中心となり文化を作る。そして「リアルスポーツとeスポーツとの接近・融合」が進むことにより、eスポーツが多くの人にとって、より身近になる。さらに行政や民間団体、協会が後押しすることで、やがてeスポーツが全世代に楽しまれるスポーツとなることを期待したい。
4.リアルスポーツ界がすべきこと
eスポーツの台頭によってリアルスポーツとの接近・融合が進み、スポーツの競技としての可能性が広がる一方で、「リアルスポーツにしかない価値」が改めて浮き彫りになる。また、eスポーツの登場によって、スポーツの可能性が大きく広がることは、同時にスポーツに関わる人が増えることを意味し、スポーツ実施人口の増加も含めて、eスポーツは、「する」スポーツとしても、「見る」スポーツとしても、既存のスポーツの可能性を広げるものであり、エンターテイメント性にも優れているため、既存のスポーツにとって増々欠かせないものとなっていくであろう。
そのような中で、リアルスポーツ界がすべきことは、最新のIT技術を取り入れることや、eスポーツと融合することはもちろんであるが、前述した「リアルスポーツの価値の可視化」を行い、存分に活かしていくことがより大事になるであろう。スポーツ選手は記録の更新や勝敗へのこだわりのみにとどまらず、スポーツをする際に五感で感じた体感を表現し、現地でそのスポーツをする魅力を伝える。プロクラブチームやスポーツ施設運営者は、デジタル・IT化を進めて、観戦者の「競技をバーチャルで見る」という体験価値を向上させるとともに、競技の現場に来て五感で感じてもらえるような仕掛け作りをより進めて欲しい。さらに、競技団体は国や地域および地元の民間団体を巻き込み、プレーヤーや観戦者が五感を通してその競技を感じられる環境を整備し、発信・啓蒙することが重要ではないか。
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。