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【ニューノーマルにおけるスポーツの価値】
第3回 変わるスポーツ選手の役割 ~試合依存から脱却し、競技プラスαの価値を提供できるか~

2020年10月01日 中村佳央理


1.「試合で感動を届ける」が成立しない
 新型コロナウイルスの影響で、東京五輪のような大規模な国際試合から小規模な国内試合まで、数多くのスポーツの試合が中止や延期、規模の縮小を余儀なくされた。競技によっては、少しずつ試合が再開されつつあるものの、依然としてコロナ禍以前の規模での開催は難しい状況が続いている。こうした状況は、選手、選手の所属するクラブやチーム、試合を観戦して楽しむファンや視聴者、それぞれに大きな影響を及ぼしている。その結果、選手は競技に日々全力投球し、ファンや視聴者は試合という表舞台で選手の活躍する勇姿やその裏側にある努力や挫折からはい上がるストーリーに感動するという、従前の関係性が成り立たなくなっている。
 選手は、競技をする上で最大の目標である試合がなくなったことで、モチベーションが低下したり、焦りや不安を覚えたりという、心理的負担を多かれ少なかれ抱えている。また、所属クラブの経営状況やそれまでの競技実績次第では、契約が打ち切られ、選手という立場自体が脅かされる可能性もあり、戦々恐々とする選手も少なくない。こうした苦しい状況下で、ただ競技に没頭していればよかったコロナ禍前から一転し、選手は競技の価値や自分の将来について再考する必要性に直面している。
 クラブにとっては、試合が開催できないことで、主要な収入源であるチケット収入やグッズ収入が得られない状況に陥っている。クラウドファンディングなどで、一般から広く資金調達を試みる方法もあるものの、一定以上の知名度が必要であり、実施・成功しているクラブは一握りに過ぎない。経営状況が厳しく、選手の契約打ち切りに踏み切るクラブも出てきており、試合依存型の経営戦略の脆さが浮き彫りになっている。
 ファンや視聴者としては、実際の試合会場やメディアでの試合の報道を通して、試合で活躍する選手の姿を目にする機会が少なくなった。そのため、あまり熱心ではないファンや、ただ何となくテレビで放映される試合を見ていた視聴者を中心に、人々の選手や競技に対する関心は、従前より薄れている。
 このように、試合が中断している中、選手はただ競技に邁進していれば、憧れの存在であり続けられる、自ずと応援してもらえるという状況ではなくなっている。試合でよりよいパフォーマンスを届けるという方法だけに頼るのではなく、選手やクラブは社会に何を届けられるのか― ニューノーマルにおける選手やスポーツの存在意義を見直す必要に迫られている。

2.「競技以外の何か」を届けようと模索する選手たち
 コロナ禍を受けて、試合以外の場で人々や社会とつながる新たな試みを実践する選手やクラブが出てきている。自粛期間中から、選手やクラブがYouTubeやインスタグラムをはじめとしたSNS上で、日々のトレーニング動画や技術面の解説動画を配信したり、学生の競技や進路の相談に乗るインスタライブを開催したりするなど、オンラインでの発信や交流を盛んに行っている。また、コロナ対策を行った上で、対面とオンラインを併用しながら、選手が学生アスリートや子供たちに、スポーツ教室や集中合宿のような競技指導を行う例も見受けられる。他にも、クラブが本拠地において、体育の授業や部活動ができなくなった地域の子供たちにオンライン講座を実施したり、地域内で三密を避けて運動できる場所を紹介したり、地域に根差した取り組みを実施している例も挙げられる。
 従前から、現役を退いた著名な選手の中には、選手自身の名前を冠した試合、独自のスポーツ教室や集中合宿などを主催する例が見受けられたものの、まだ希少な取り組みであった。しかし、コロナ禍を経たことで、選手やクラブが競技というコンテンツを通じて、試合会場の外で、人々や社会とつながる機会を生み出す動きが徐々に大きくなっている。



 さらには、競技というコンテンツの枠を超えて、地域や社会に貢献する選手やクラブも存在する。例えば、あるサッカークラブでは、外出自粛の影響で売り上げが落ち込むクラブ本拠地の飲食店を救い、少しでも地域経済の活性化につなげるために、飲食店が提供する食べ物を消費者に届ける取り組みを実施している。このように、選手やクラブのネームバリューなどの影響力を活かしながら、競技に関する分野以外でも、社会に貢献しようという気運が醸成されてきている。
 コロナ禍で試合や練習が満足にできないことで、視野を広く持ち、競技以外の何かに取り組む必要性を感じたり、コロナで混乱した社会情勢の中で、選手やスポーツの果たすべき役割は何か自らに問いかけたりしたという選手の声も多く、選手やクラブのマインドが、試合で最高のパフォーマンスを届けることだけが、自らの役割ではないという風潮に少しずつ変化しているようである。

3.コロナ禍を経た今後のスポーツ選手のあり方とは
 「競技以外の何か」を届ける取り組みが増えている一方で、競技以外について考えたことがない選手や、選手たるもの競技で結果を残すことだけに注力すべきという雰囲気が強いクラブの方が、依然として多数派かもしれない。そのような場合、まずは選手自身が、競技が満足にできない状況下での、スポーツ選手としての存在価値やスポーツの意義を考えることが必要である。そして、試合でのパフォーマンス以外で、社会によい影響を与える術を見つけられない場合、それを見つける後押しをするのが所属クラブや競技団体の役割ではないか。
 もちろん、スポーツ選手として競技に全力を尽くすこと、試合で成果を残すよう努めることは、何よりも大切であり、選手としての本業をおろそかにするのは本末転倒である。表舞台で輝く選手の姿が、人々に夢や希望、感動を与えるということは、今後も不変であるといえる。一方で、スポーツ選手やスポーツがいわば聖域として存在し続けることが難しくなった状況下では、選手は競技にプラスして、何らか人々や社会の励みになるような価値を還元することが必要である。それができない選手やクラブは、人々の関心や支持を集めることができず、存在価値を低下させていくであろう。ニューノーマルにおいては、「競技でのパフォーマンスで人々や社会に感動を与えること」と「競技の場以外でも、表現・発信・交流する術を持ち、人々や社会に対してよい影響を与えること」の両方を実現できる選手が、存在価値を放っていくのではないか。
 こうして「選手の価値≠競技者としての価値」になると、選手は、コロナ禍のような社会情勢や自身の病気・怪我などで、思い通りに競技ができない状況に置かれた時や、スランプや年齢などで競技のパフォーマンスが低下した時でも、存在価値を発揮する余地があることで、焦燥感や不安を軽減できる。また、現役時代から競技以外に視野を広げることで、これまで選択肢の少なかったセカンドキャリアを柔軟に描けるようになるであろう。このように、引退後のキャリアの狭さの懸念が払拭できれば、引退後を危惧して選手への道を躊躇する学生たちの背中を押す効果も期待できる。また、選手の競技面のパフォーマンス以外の部分から、選手や競技に関心を持つ人々が出てくることで、スポーツを身近に感じる層が拡大する可能性もある。手の届かない憧れではなく、憧れと一種の親しみやすさも兼ね備えた選手が、競技以外のプレーでも、観る人を魅了する日はそう遠くはないかもしれない。


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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