コラム「研究員のココロ」
メンタルヘルス対策で会社がもうかる!?
2008年01月07日 鈴木正一
1、「メンタルヘルスはもうかりまっせ」
あるメンタルヘルスのフォーラムでのことだ。私はお聴きくださっている方々に向かって次のような言葉を口にした。
「企業経営者の琴線に触れるセリフ、それは“メンタルヘルスはもうかりまっせ”です」と。会場に嘆息と喫驚の入り混じった笑いが起こった。
メンタルヘルスに関する講演会や研究会では、通常は臨床心理士や精神科医などの実際に「心に病を持つ人」を対象にして仕事をしている方々がスピーカーの中心となる。そこへ経営者と話す機会は多いが、「心に病を持つ人」を仕事のメインの対象としない私が登壇して口にした言葉だ。
メンタルヘルスに関しては多くの企業がその対策に対して必要性を感じていながら、本格的な対策には取り組めていない。その事態を現場で心に病を持つ人たちの問題に取り組んでいる方々はなんとかしなければと考えている。冒頭の言葉はそうした状況下で「どのようにしたら企業の経営者にメンタルヘルスの必要性をわかってもらえるのか?」という質問に答えたものだ。
2、メンタルヘルス対策の各段階
「メンタルヘルスはもうかりまっせ」について順を追って説明していきたい。
通常メンタルヘルス対策は、「1次予防」として心の健康問題の発生を予防する段階から、「2次予防」として心の健康問題の早期発見・早期対応を中心として取り組む段階、そして、心の健康問題が病として扱われ、休職等を経て職場に復帰する時の支援段階としての「3次予防」の3段階に分かれる。
企業が「どうしたらいいんだろう」と頭を悩ませ始めるのは「2次予防」の段階である。心の健康に関して不調を訴える社員が現れ、どのように対処したら良いのかわからずに右往左往する。初めは法律がらみの方向性で対応を考える。自社の就業規則はどうなっているのか。休職させるとしたらその期間は。その期間の処遇はどうすべきなのか。休職期間を経過しても完治しなかった場合雇用関係をどのようにするべきなのか。冷たく雇用関係を終了させてしまったら他の社員に与える影響はどうなのか。などなどである。そこで何らかの対策が採られ、心の病が治癒したと認められた場合に初めて3次予防の対策が採られることになる。
2次予防の段階や3次予防の段階で対応を誤ると自殺などが絡む問題に発展しかねない。
自殺の問題が生じた場合、企業の被る痛手は大きい。金銭的側面はもちろん、他の社員のモチベーションに与える影響は甚大だ。さらに企業を取り巻く世間の目がどのように変化するのかを考えなければならない。
2次予防、3次予防の対策を打たざるを得ない状況になる前に、根本的なところで心の健康問題発生の芽を摘み取っておこうというのが1次予防なのである。
3、モチベーションアップとメンタルヘルス
1次予防の内容には仕事や職場以外の側面、例えば家族の問題等にスポットをあてるワークライフバランスなど大企業以外では取り組むことに躊躇しがちなテーマも含まれたりするが、その他大部分はそうではない。組織の活性化を通じて個人の活性化を図ろうとする視点が中心となる。例えば「ワークエンゲイジメント」という概念が注目されている。ワークエンゲイジメントとは、燃え尽き症候群の反対概念で、「仕事にやりがいを感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得て活き活きしている状態」を表す概念である。このワークエンゲイジメントが職場におけるメンタルヘルスのキーとなる概念として取り上げられているのだ。
要するにメンタルヘルスの1次予防に関する話題の中心は「組織の活性化を通じた個人の活性化」だ。何のことはない。組織の活性化そのものが有効なメンタルヘルス対策になるということだ。そのような当たり前のことが視点として抜け落ちていることが非常に残念でならない。
企業の経営者は常に社員個々人に活き活きと、やる気をもって働いてほしいと考えている。それは個々人が活き活きと働いてくれればやがて企業の収益向上、体力向上につながると考えているからだが、個々人の心の健康に配慮するメンタルヘルスという観点は敬遠されがちだ。あるいは問題がおきてから対処すれば良いと考えている場合が多い。「擬態うつ(注1)」の懸念等、個別の事情が内在することもあるが、メンタルヘルスという観点から取り組んでも、やる気をもって働いてほしいという経営者の願望はかなうのだ。多少の工夫は必要だが社員個々人のモチベーションアップにつなげる施策は「メンタルヘルスのための施策」と言い換えることができる。モチベーションアップ対策には熱心だが、メンタルヘルス対策には及び腰と言う状況は、「野球は好きだがボールとバットを使う競技は嫌いだ」と言うことと似ている。
このようにメンタルヘルスの対策を講じることは、心の健康問題発生に際して生じるマイナスを防ぐ対策としても有効だが、「社員にやる気をもってもらえる」というプラス面、つまり「もうかりまっせ」と言う観点からも有効と考えることが可能だということである。
4、「もうけることは悪いことですか?」
本稿で「もうけること」そのものについては議論の対象としなかったが、私は例のフォーラムで「メンタルヘルスはもうかりまっせ」と言葉を口にした瞬間、不謹慎なことを口にしてしまったのではないかと背中から汗が流れるのを感じた。どこかのファンドの社長の開き直りとも言えるセリフでも感じたように「もうける」と言う概念はあまり清々としたものとして受け止められない場合がまだまだ多い。特に心の健康問題を扱う場にはやはりそぐわない表現だと感じた。
しかしながら、社員が活き活きと働けるのなら、それが「もうける」ための施策であってもどんどん講じるべきであることは間違いない。そして社員が活き活きと働ける環境を作ることが「もうける」ことにつながることも間違いない。