日本総研ニュースレター 2013年8月号
「成長戦略」としての長期投資の促進
2013年08月01日 林寿和
長期投資の普及に向けたわが国の最新動向
昨今の株式市場では、長期的な視座から企業価値を高めようとする企業経営が、投資家からの幅広い支持を集めにくくなっている。最大の理由は、市場に広がる短期志向だ。投資家の多くが過度に短期志向に偏ると、投資先の企業に対し、近視眼的な企業経営を誘発しかねない。これが長期に及べば、わが国の強みである技術や人材への投資が抑制され、中長期的に競争力が失われることが危惧される。
さらに、市場に広がる短期志向の影響を軽減する役割が期待される年金基金等の長期投資家が、現実にはパッシブ運用の比率を高めているのも、その傾向に拍車をかける。TOPIX指数などに連動させて売買するパッシブ運用では、そもそも長期・短期を問わず個別企業の評価や分析を行わないため、企業経営に規律を働かせる機能を欠くからだ。
これからのわが国の成長には、投資家に長期的な視点を持たせ、企業経営に適切な規律を働かせる仕組みづくりが欠かせない。6月に閣議決定された「日本再興戦略」でも、「企業の中長期的な成長を促す」役割を、機関投資家も担うべきとする方向性が提示された。そこで掲げられた、機関投資家が果たすべき役割を示す原則(日本版スチュワードシップコード)の検討のため、金融庁は8月、有識者会議を設置して議論を開始した。
世界に先駆けて「スチュワードシップコード」を策定した英国
しかし、スチュワードシップコードは、あくまで機関投資家のあるべき姿を示す「規範」であり、改革の入り口に過ぎない。実際、世界に先駆けて、機関投資家が果たすべき役割として「企業の長期的成功の促進」を明記したスチュワードシップコードを2010年に策定した英国では、2年以上が経過した今でも長期投資の広がりを実感する声は聞かれない。そのため英国政府は、投資家の短期主義を招く一因と批判が強まっている四半期報告義務の廃止や、非財務情報も含めたナレイティブ(記述的)な企業情報開示の準備・検討など、一層の改革を進めている。わが国でも、さらなる施策が必要となるのは間違いないだろう。
長期投資の普及に向けた施策の可能性
そうしたなか、「統合報告」と「ロイヤルティ株式」が、注目を集めるようになってきた。
英国・国際統合報告評議会が提唱する「統合報告」は、既存の情報開示制度とは全く異なる新しい情報開示のフレームワークだ。例えば、有価証券報告書は、事業年度ごとの営業や経理の状況を開示することが目的であり、将来予測等の不確実性を伴う情報の記載には適さない。一方、統合報告は、長期的な時間軸での投資判断に必要な情報を提供することを目的としているため、例えば、気候変動・資源枯渇・人口動態など自社事業に長期的に影響を与える外部要因を特定し、そのなかで自社事業の優位性を維持・向上させる道筋を分かりやすく説明することが求められる。長期投資家にとっては、投資先における長期的な価値創造のストーリーが理解しやすくなるため、長期投資の普及が進むことが期待されている。
統合報告には、国内ではIR担当者など被投資側の関心が高まってきている。しかし、肝心の投資家側の関心が今一つ盛り上がらないのも事実であり、今後の普及は、企業が提供する情報の質次第という状況だ。
さらに海外では、短期志向に陥っている投資家に対して、より直接的に長期的な判断軸を持つインセンティブを付与する仕組みも検討されている。その切り札として注目が高まっているのが「ロイヤルティ株式(Loyalty Share)」だ。このロイヤルティ株式には、一定期間以上の株式保有などの条件を満たす株主に対し、追加的な議決権や配当金等が付与される。長期保有に対して追加的便益が直接付与されることから、短期主義に陥っている投資家に対しても、長期保有をより意識した投資判断を促す作用が期待される。既に仏ミシュラン社や英スタンダードライフ社など、導入事例も広がり始めた。わが国においても十分検討に値する施策の一つといえる。
現時点では、統合報告やロイヤルティ株式も、長期投資普及の決定打となるかどうかは必ずしも明確ではなく、海外では英国を中心として、他にも様々な検討や試行錯誤が進められている。わが国においても日本再興戦略や日本版スチュワードシップコードをきっかけとして、あらゆる施策の可能性を議論の俎上に載せることが重要だ。
※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。