Sohatsu Eyes
企業は誰のものなのか?
2005年09月06日 白鳥 わか子
先週末、試写会にて「ザ・コーポレイション」という映画を見てきました。カナダのドキュメンタリー映画で、 大学教授、企業経営者、ノンフィクション作家、ジャーナリストなど様々な立場にある総勢40名の証言者へのイ ンタビューをベースに、環境破壊や労働搾取など大企業 が起こした様々な不祥事を題材として取り上げ、「株式会社は誰のものか?」と問いかける映画です。証言者の 中には、「華氏911」で有名なマイケル・ムーア監督や、 「持続可能な経営」を語る際に必ず名前があがる世界最大のカーペットメーカー インターフェース社のレイ・ アンダーソンCEOなども登場します。
映画を見て強く感じたのは、「『企業は誰のものなのか?』というテーマが、ついに映画という形で扱われるようになったのか」という驚きでした。企業が起こした「事件」を個別に扱ったドキュメンタリー映画は、これまでにも多数存在しました。しかしながら、真正面から「企業とは何か?」というテーマを問いかけた映画が作られ、さらにはその作品が全世界で上映され続けているという事実に、この問題に対する人々の関心の高まりを実感したのです。
CSRを巡る議論の中では、多様な「企業」の定義が存在します。利益重視か社会への貢献か、様々なステークホルダーをどのように企業経営に位置づけるのか、賛否両論様々です。ある種、「答えの出ない問い」なのかもしれません。 CSRへ取り組もうとする企業を悩ませる、答えの出ない命題なのかもしれません。「企業の存在意義なんて、考えたって仕方がない」「考えるだけ無駄だ」という、否定的な意見を耳にすることもあります。
けれど、CSRに取り組む意義というのは、「答えのない命題」を放棄するのではなく、そこから自分達なりの解を導き出そうとする、その過程にあるのではないでしょうか。当たり前のように認識していた企業の存在意義を改めて問い直すこと、その取り組みの中で社会と向き合うこと、それらの「過程」そのものが重要な意味を持っているのではないでしょうか。
※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。