2008年2月20日。この日は、日本の地球温暖化対策を語る上で、大きなターニングポイントになる日かもしれない。長らくキャップ・アンド・トレード(注1)に反対してきた経済産業省と日本経団連が、2013年以降のキャップ・アンド・トレード導入について、検討を行うとの意思表明がなされた。日本経団連の御手洗会長が「(キャップ・アンド・トレードが)世界の主流であるなら、検討する価値がある」とコメントするなど、これまでキャップ・アンド・トレードに絶対反対の立場で、具体的な検討に入る事さえも出来なかった状況を考えると劇的な変化である。
キャップ・アンド・トレードと言う制度が、温室効果ガスの削減に有用な制度であるか否かについては、様々な意見がある。簡単にまとめれば、以下のような特徴を持ち、単純にキャップ・アンド・トレードを導入すれば全て上手く行くと言うものではない。
より専門的な資料が見たいのであれば、東京大学客員教授の山口 光恒先生の論文など多数の参考資料がインターネット上にあり、それらを参照して頂きたい。
今回は、キャップ・アンド・トレード自体を良い悪いと言うのではなく、温室効果ガス削減目標の達成手段としての一つとして見た場合に、「法的な義務を背景として、確実に目標水準に二酸化炭素排出量を抑制出来る」と言う点に着目し、長期的な視点で低炭素社会の構築にどのように寄与するか考えてみたいと思う。
具体的には、昨年のCOP13(注2)において議長提案として出された「温室効果ガスを2020年度には、1990年度比で25~40%削減させる」という目標を達成しようとした場合に、目標達成手段として、キャップ・アンド・トレードをどのように組み込んで行くべきであるのか、私論を述べたいと思う。
1. 誰が二酸化炭素を排出しているのか?
日本の2005年度の温室効果ガス排出量は、13億5,990万t-CO2であり、その内二酸化炭素は12億9,350万t-CO2となり、約95%を占めている。したがって、温室効果ガスを削減するために、二酸化炭素の排出量を減らす必要があり、例えば1990年度比で25~40%削減する場合は、約4億3,500万~6億t-CO2の削減が必要となる。
では、誰がこの二酸化炭素を削減しなければならないのだろうか?下の図は2005年度における部門別二酸化炭素排出量(直接排出量)(注3)である。
図表 部門別二酸化炭素排出量(直接排出量) 単位:百万t-CO2
日本において二酸化炭素を排出している最大の部門は、エネルギー転換部門であり、その大半は事業用発電(=電気事業者)から排出されている。次いで多いのは産業部門であり、その40%は鉄鋼から排出されている。その他では、化学、窯業土石等が二酸化炭素排出量の多い業種である。
したがって、直接的に二酸化炭素排出量を削減しなければならない部門としては、エネルギー転換部門と産業部門が主要な部門であると言える。業種で見れば、電気事業者・鉄鋼・化学・窯業土石等である。
部門では、次いで運輸部門が多いものの、運輸部門の大半が自動車であり、排出源として見た場合、小さな排出源の集合体であるため、「業種」として捉える事には違和感がある。また、日本経団連が削減努力の必要性を主張する業務部門や家庭部門は、そもそもの排出量が小さく、仮に二酸化炭素排出量を半減させても9,000万t-CO2程度の削減であり、6億t-CO2から見れば依然として不足している。
2. エネルギーを使う事と二酸化炭素を排出する事
電気事業者や産業部門において二酸化炭素排出量を減らす事は、生産活動を大幅に制約するのだろうか?エネルギーを使う事と二酸化炭素を排出する事は似ているようで、別の概念である。例えば、以下に示した文は同じ事を言っているのだろうか?
・エネルギーをまったく使わないで自動車を作る
・二酸化炭素をまったく排出しないで自動車を作る
答えは、エネルギーをまったく使わないで自動車を作る事は不可能であるが、二酸化炭素をまったく排出しないで自動車を作る事は可能であり、具体的には原子力発電や再生可能エネルギーにより発電された電力を使えば、実現出来るのである。
また、日米欧にて研究開発が進められているCCS技術(注4)も豊富に存在する石炭を燃料として使いつつ、二酸化炭素を排出しない発電が可能となる技術であり、CCS技術が実用化されれば、二酸化炭素を排出しない電源のバリエーションが広がる事になる。
したがって、電気事業者による事業用発電や産業部門における自家発電を原子力発電・再生可能エネルギー・CCS技術に集約させ、エネルギー転換部門と産業部門の合計で8億t-CO2弱の二酸化炭素排出量を削減する事が出来れば、「温室効果ガスを2020年度には、1990年度比で25~40%削減させる」という目標に大きく近づく事が出来るのである。
3. キャップ・アンド・トレードが果たす役割
エネルギー転換部門と産業部門において、二酸化炭素排出量を減らすとした場合、そのコストを誰が負担するべきなのかが大きな問題となる。特に鉄鋼など国際的な競争に晒され、製造業全体の競争力に影響を及ぼすような業種について、二酸化炭素排出削減のコストをそのまま負担させる事は、日本の国際競争力を大きく毀損すると言える。
そこで、キャップ・アンド・トレードの出番である。
キャップ・アンド・トレードでは、衡平な排出枠の割当が出来ない事が問題視される。しかし、そもそも衡平(バランスの取れた)な排出枠の割当をする必要があるのだろうか。電気事業者のような、国内のみの「お客様」を相手にしている業界と鉄鋼の様に世界と競争しつつ、製造業全体の競争力を支えている業種の間では、何をもってバランスが取れていると判断出来るのだろうか。
「平衡な」割当は、競争環境・負担の再配分許容度・日本の国際競争力への影響度などを「政府」が多様な意見を尊重しつつ業界の位置付けを検討し、「温室効果ガスを2020年度には、1990年度比で25~40%削減させる」という目標との整合性を保ちつつ、各業界の排出枠を決定すれば良いのである。
具体的には、例えば電気事業者には、1990年度比50%削減程度の排出枠にする一方で、鉄鋼は業界内のトップランナーを基準とするなどして、排出枠を設定し、1990年度比5%削減とする。他の産業部門の業種においても同様にして、トップランナーをベンチマークとした排出枠を設定し、国際競争力への影響を考慮した割当とする。
電気事業者では、このような少ない排出枠の割当になった場合、石炭火力発電などの二酸化炭素を大量に排出する電源を使う場合には、排出係数を引き下げるために排出権が必要になるため、長期的には再生可能エネルギーやCCS技術へと移行していく必要がある。また、国内世論の動向によっては原子力発電の新規立地を進めることになる。その場合、多額のストランデッドコスト(注5)が発生する可能性がある。そのため、電気事業者への排出枠割当を少なくする場合は、新規の設備投資費用に加えてストランデッドコストをどのようにして回収していくかが重要な課題となる。
4. 努力する人・努力することが出来ない人
キャップ・アンド・トレードにおいて、大きなコスト負担をすることになる電気事業者のコスト配分の考え方は、現在の非自由化分野における電気料金の決め方である総括原価方式に組み込む事で、需要家に広く薄く配分させる事を提案する(当然、自由化分野へもコスト負担させるべきであるが、主要な負担先としては非自由化分野を想定している)。
総括原価方式とは、供給計画・工事計画・業務計画・資金計画をベースに、そこに含まれる人件費+燃料費+修繕費+購入電力量+諸税+減価償却費+事業報酬+その他費用を合算した「総括原価」を算定する。この「総括原価」を需要家毎に使用する設備や送電ロス等を勘案して配分し、需要家(契約区分)毎の料金が決定されている。つまり、電気料金は、発電事業に必要な全てのコストを足し合わせて、更にそこに事業報酬を上乗せして決められており、燃料費調整制度(注6)と合わせて電気事業者の経営が、極めて安定している理由となっている。電気事業者は、電気の供給義務を負っていることから、このような電気料金の決め方が認められている。
図表 総括原価方式による電気料金算定プロセスと地球温暖化対策コスト
出典:東京電力資料「図表でみる東京電力 平成19年度」へ日本総研が加筆作成
総括原価方式に地球温暖化対策のコストを反映させるという事は、電気事業者が一般家庭や事業所、小規模な工場など電源構成を自由に選ぶ事が出来ず、電気の消費量を大幅に削減する意識・インセンティブが弱い「地球温暖化防止の努力をすることが出来ない人」に代わって温室効果ガス削減努力をする事である。言い換えれば、最も対策が難しい民生部門における温室効果ガス削減を電気事業者が代わりに行う事を意味している。そして、総括原価方式に地球温暖化対策のコストを反映させる「根拠」が政府からの規制措置であるキャップ・アンド・トレードなのである。
現状では、自主行動計画によって電気事業者が購入している排出権の価格は、電気料金へ適正に反映出来ていない。しかし、法的な根拠を得る事で、その費用を適正に反映させる事が可能になる(現状では、「自主的に」排出権を購入している事から、その費用を電気料金へ反映させる事は難しい。あまりにも過大な出費となった場合は、その出費の妥当性を巡って株主代表訴訟を起こされる可能性もある)。
また、電灯や業務用電力へ地球温暖化対策のコストを反映させることで、これらの電気料金が値上がりし、民生部門における電気料金削減意識・行動=温室効果ガス排出削減が活性化する事も期待出来る。
5. 日本が目指す低炭素社会を示せ
現在、洞爺湖サミットに向けて首相官邸・経済産業省・環境省のそれぞれにてキャップ・アンド・トレードに関する議論が行われている。これらの議論の中で大きく抜け落ちているのは、キャップ・アンド・トレードが良い悪いではなく、「温室効果ガスを2020年度には、1990年度比で○○%削減させる」という目標を持つか持たないか、持つのであればそれをトップダウンで決めるのか、積み上げで決めるかという事である。
日本は国際的な場で再三、国別の削減目標はセクター別の積み上げ方式を主張している。しかし、EUはIPCCの分析を理由に2050年までには、全世界の温室効果ガス排出量を半減させる必要があるとしており、そのマイルストーンとして、2020年に先進国は25~40%の削減をすべきであると主張している。日本が結果として、積み上げ方式でEUに近い削減目標を打ち出せば評価は変わると思われるが、今の段階では日本の主張はEUから見ると「やれる範囲で頑張ります」と言う主張にしか映っていないと考えられる。IPCCの分析が正しいとすれば、世界において賛同を得られる考え方は、EUが示している2050年までには全世界において温室効果ガス排出量を半減させると言う主張であり、その通過点として2020年においても具体的な高い目標が必要になる事は当然である。
このような状況の中で、日本が積み上げ方式のみを主張し続けても、幅広い賛同を得られるとは考えられない。セクター別に積み上げる事は必要であるが、絶対量としての削減目標を決めて、その目標と積み上げ方式によるギャップがどの程度有り、そのギャップを克服する事が出来るのか議論すべきである。
その議論の中でこそ、キャップ・アンド・トレードが、ギャップを克服するためのツールとしてどのように使う事ができるのか考える事ができる。今回、筆者が提案したような電気事業者に厳しく・産業部門に甘いような「使い方」もあれば、衡平さを重視した「使い方」もあり、それは政府や多様な利害関係者が議論を深めながら作り上げていくものである。いずれにしても日本の現状をふまえつつ、日本が目指す低炭素社会がどのようなものであり、2020年や2050年には「具体的に」どれほどの温室効果ガス排出量に抑制するのかを明確に語る事が重要である。
日本政府は、京都議定書に続く枠組みには、アメリカや中国など大量に温室効果ガスを排出している国々の参加を求めている。これらの国が参加出来るように積み上げ方式を提案しているが、自らの削減努力を語らなければ、少なくとも中国やインドの賛同を得られるとは考えられない。中国やインドへ積み上げ方式での国別目標を求めるにしても、日本はより高い目標を示して、これから経済成長に伴って大量の温室効果ガスを排出しようとしている中国やインドへ、排出抑制の必要性を行動で示す事が重要ではないだろうか。
6. 低炭素社会のキーワードは「オール電化」
最後に、筆者が考える低炭素社会を簡単に述べる。2050年をターゲットとして、40年程度の間に社会構造を変えていくとした場合、全ての社会・経済活動を「オール電化」にしていく事が、低炭素社会の基本になると考えられる。
産業部門においては、実際には大半の製造業においてオール電化での生産が可能である。一方で鉄鋼や窯業土石の様な化石燃料を必要とする業種では、引き続き化石燃料を使うべきである。
民生部門においては、オール電化住宅やオール電化厨房に代表されるように、既にオール電化は可能であり、ほとんどのエネルギーを電気だけでまかなう事が出来る。ヒートポンプの様な優れた技術が現状でいくつかあり、最もオール電化に近い部門である。
運輸部門においては、飛行機は電気にする事は難しい。しかし、自動車はプラグインハイブリッド自動車(注7)が商業化の手前まで来ており、電気自動車についても高い完成度となってきている。これらの「電気で動く自動車」が大量に普及する事で運輸部門の二酸化炭素排出量は激減すると考えられる。
そして、エネルギー転換部門。エネルギー転換部門は、社会全体が「オール電化」になることで電気事業者の占める割合が飛躍的に高くなる。しかし、原子力発電・再生可能エネルギー・CCS技術により、温室効果ガス排出量を大幅に減らし、究極的には排出係数を0.1kg/kWh以下にすることで、社会全体の二酸化炭素排出量は大幅に削減される事になる。事業の形態も原子力発電やCCS技術の様な大規模電源と再生可能エネルギーの様な小規模・地域分散電源が混在する様になる。
以上の「オール電化」低炭素社会が実現した場合の、2050年度における二酸化炭素排出量イメージは、下図表のようになる。数字自体は筆者が、現在の排出量を勘案してイメージとして設定したものであるが、産業部門を優遇しつつも電気事業者における排出量を削減する事で、1990年度比55%の削減が出来ている。
「低炭素社会」と言うキーワードは、人によって様々な考え方がある。政府にはそれらの意見をふまえつつ社会全体が活力を失わずに、低炭素社会へどのように移行していくのか、中長期のビジョンを早期に示して頂きたいと考えている。
図表 部門別二酸化炭素排出量(直接排出量)2050年度イメージ 単位:百万t-CO2
注1 キャップ・アンド・トレード:
二酸化炭素排出量の削減方法の一つ。各企業あるいは事業所単位で1年間に排出できる二酸化炭素量に上限値(キャップ)が設けられ、それを達成できない場合は罰金等の罰則が科せられる。補完的な仕組みとして、上限値まで二酸化炭素排出量を減らすことが出来ない企業は、他の企業から排出権を買って(トレード)自社の上限値を引き上げる事が出来る。理論的には最小の費用で目的とする二酸化炭素削減量が達成できる。一方で、どのように決めても上限値を巡って企業・事業所間に不公平感があるなど制度としての課題も指摘されている。
注2 COP:
Conference of the Parties to the Convention。1995年3月~4月にベルリンで第1回締約国会議(COP1)を開催。1997年12月に京都で開催されたCOP3では、2000年以降の地球温暖化対策のあり方を規程する 議定書が採択された。毎年開催される締約国会議は、人類の未来を左右する会議として世界的に注目されている。2007年12月にバリにおいて開催された会議は第13回会議であるためCOP13と表記している【読み】コップ
注3 部門別二酸化炭素排出量(直接排出量)
事業用発電など、自ら利用するエネルギーではなく、他者が利用するエネルギーを生産するために排出した二酸化炭素を利用した部門に配分する前の部門別二酸化炭素排出量。政府の発表等、一般的には部門別二酸化炭素排出量(間接排出量)が使われるケースが多い(以下参照)。
図表 部門別二酸化炭素排出量(間接排出量) 単位:百万t-CO2
注4 CCS技術
Carbon dioxide Capture and Storage。二酸化炭素の回収・貯留技術。火力発電所や製鉄所などの二酸化炭素を大量に排出する発生源から二酸化炭素を回収し、貯留する技術として大幅に温室効果ガスを削減できる可能性がある。IPCCの報告書では2050年にかけて最も温室効果ガスを減らす事の出来る技術として位置付けている。
注5 ストランデッドコスト
電気事業において、電力自由化や政府や地域の電力規制が変更された場合に、それまでに実施した設備投資や契約と新しい電力価格との間で整合性が無くなり、それまでに投下した費用が回収不能になる場合がある。そのような回収不能になった費用をストランデッドコストと言い、政府等がルールを作るなどして、ストランデッドコストを回収する手だてが講じられない場合、電気事業者に多大な負債が残る事になる。
注6 燃料費調整制度
燃料費(原油、LNG、石炭の輸入価格)の変動を料金に反映させるために、燃料費の変動に応じて料金が自動的に調整(増額、減額)される制度。具体的には、貿易統計により公表される各燃料の輸入価格の四半期の平均値に基づき、原則として四半期毎に、2四半期遅れで料金に反映される。
注7 プラグインハイブリッド自動車:
家庭用のコンセントから充電可能なハイブリッド自動車。20~30キロ程度の移動であればバッテリーの電気のみで走行可能であり、万が一、電気が無くなってもガソリンで走行できる事から電気自動車の問題点を解決しつつ、ガソリンの消費量を削減できる自動車として注目されている。