Business & Economic Review 2011年4月号
【特集 成長するアジアと金融】
成長するアジアの金融システム
2011年03月25日 アジア開発銀行研究所長 河合正弘
- はじめに:世界経済の構造変化
世界金融危機を契機に、世界経済の重心は先進諸国から新興諸国─とくに新興アジア諸経済─へと大きくシフトしつつある。米国・欧州を中心にした先進国経済は、2011年に入っても、民間過剰債務の縮小、金融システムの再構築、財政再建などの面で課題を残しており、雇用を大幅に改善させて金融・経済危機から回復するには時間がかかるものと思われる。その一方で、中国、インド、ASEANなど新興アジア経済は着実な成長経路への回復を歩んでおり、経済成長を支える中間層の台頭にも著しいものがある。
このようにダイナミックな経済成長を続ける新興アジア経済諸国にとって、健全な金融市場を発展・深化させることがきわめて重要な課題になっている。第一に、中国、インド、ASEANなど新興アジア諸国が、ダイナミックな経済成長を果たすに伴い、民間企業部門で旺盛な資金需要が拡大していくことが見込まれ、各国で効率的な金融仲介機能の重要性が高まりつつある。第二に、アジア域内のインフラ、環境改善・省エネ、気候変動適応のための投資の拡大が見込まれており、資金量の拡大と資金ファイナンスの手段の多様化が注目されている。第三に、新興アジア諸国に進出している多国籍企業─とくに日系企業─にとって、現地通貨建てでの資金調達ニーズが高まっている。第四に、多くの新興アジア諸国で社会保障制度が整備されて年金基金や保険機関が構築され、あるいは中間所得層が拡大して富の蓄積が進むにつれ、様々な資産運用の場が求められるようになっている。第五に、欧米発の金融危機が示したように、各国レベルで金融システムの安定性を確保することの重要性が高まっており、今後さらに金融の自由化と対外開放が進むアジアにおいて、金融の規制・監督の枠組み(とくにマクロプルーデンシャル規制)の強化が課題になっている。
実際、アジア開発銀行(ADB)と同研究所(ADBI)の研究によれば、アジア地域のエネルギー・運輸・通信・水・衛生関連のインフラ需要は2020年までに合計8.3兆ドル、年間7,500億ドルに上ると推計されている(ADB and ADBI[2009])。この研究では、こうした資金需要を満たすために、国際的に官民の資金を動員し、収益性の高い域内インフラ・プロジェクトの優先付けを行う「アジア・インフラ基金」(AIF)が必要だとしている。 新興アジア地域では、こうしたインフラ投資だけでなく環境保全・低炭素化投資も必要であり、それらを含めると膨大な額の開発資金の調達が課題になる。各国政府・機関のほかADB、世銀グループ、国際協力銀行(JBIC)、国際協力機構(JICA)など公的機関の協力支援が欠かせないが、これらの公的な資金だけでは不十分で、民間部門からの資金調達が必要になる。
たとえば、日本の家計部門がもつ金融資産1,450兆円─そのうちとくに預貯金として保有されている800兆円─の一部でもアジアに投資していく工夫が有用だろう。東京を魅力のある国際金融センターにすることによって、日本の投資家が運用手段の多様化を図れるようにすることができよう。その第一歩は、アジアの政府・公共機関がサムライ債(日本での円建て外債)を発行しやすくするよう環境整備を行うことだろう。あるいは、東京で新興アジア向けのインフラファンドを設定したり、新興アジア通貨建ての債券発行を行えるようにして、日本の投資家が外貨建てで投資を行えるようにすることも考えられる。アジアでは、香港、シンガポールに加えて、今後は上海など、金融市場間の競争が激しさを増していこうが、そうした中で日本だけが何も努力しないでいると、東京市場は取り残されて地盤沈下してしまうことになろう。さらには、日本の投資家にとって魅力的な現地通貨建て債券市場などの金融市場を、新興アジア各国で作り出してもらうことも課題だ。ただ各国の金融市場には、各種の規制・制限が存在しており、市場の流動性が欠如していたり、効率的なクロスボーダー取引が難しいという問題もあり、その克服が重要課題になる。
民間企業にとっても、金融市場が整備されることによって、設備投資や経常業務のための資金調達が可能になる。さらに、高齢化が急速に進んでいる日本・韓国・香港・シンガポールなどだけでなく、これから高齢化を迎える中国やタイなどの家計部門にとっては、長期安定的な資金運用の手段を多様化すべく金融システムを発展させることが有用だ。とりわけ、長期債券市場は、年金基金や機関投資家にとって有用な資産運用の場を提供することから、その整備・拡大が是非とも必要な課題である。
こうした中で、アジア金融市場の発展・深化と域内統合を推し進めること、東京を競争力のある国際金融センターに育て、新興アジアでの拡大する資金需要に応えていくこと、域内の金融市場が安定するよう新興アジア諸国との金融協力の枠組みをさらに強化させていくことが課題になっている。
本稿では、まず第2章でアジア金融危機以降活発化したアジアの金融システムの改革と育成政策の動向について整理し、第3章でアジアの金融システムの発展・深化と域内統合の現状を評価し、第4章で域内金融協力の進捗状況についてまとめ、第5章で今後の課題について考察する。第6章は全体のまとめである。