コラム「研究員のココロ」
「地方発」排出量取引の時代へ<第3回>
2008年09月01日 吉田 賢一
我が国の地方自治体における市場指向型政策の動向
最終回では、我が国の地方自治体において、どのように排出量取引制度が検討されているのか、その実相について論じたい。
2008年に入り、我が国の自治体レベルにおいても市場指向型の政策に関する基本スキームの検討が始まっている。その代表例が、去る6月25日に全会一致で議決された東京都の改正環境確保条例であり、CO2排出量の削減を義務づけるEUと同じキャップ&トレード方式の排出量取引制度がプログラム規定として埋め込まれている。東京都によれば、約1300(都内全事業所の約0.2%)のオフィスビル・工場・ホテルなど大規模事業所が対象となる。例えば東京大学本郷キャンパス、六本木ヒルズ森タワー、新宿ルミネ、東京ドーム、NHK放送センターなど、私たちにとって身近な施設が対象となってくる。改正条例では、2010年度から国内で初めてCO2の削減を義務化し、義務量を上回って削減した大規模事業所や自主的にCO2を減らした中小の事業所の排出量を、義務量を達成できない大規模事業所に売る仕組みとなっているため、中小企業に対しても配慮していることが特徴的である。同時に東京都は、世界の主要都市や地域が参加する国際炭素行動パートナーシップ(International Carbon Action Partnership: ICAP)(注1)への参加も表明しており、国とは別のスタンスから、温暖化防止への取り組み姿勢を示している。さらに、京都府では大規模排出を行う事業者や大規模建築主に、削減計画の策定と提出を義務付けている。また、広島市では「カーボンマイナス70」に掲げる目標に向けて、計画書制度とそれを事業者の排出枠の設定に生かした「市民参加型排出量取引制度」が検討されている。特に後者は、市民が削減したCO2排出量を第三者機関が買い取り、排出量取引市場を通じて大規模事業者に販売するといった、通常のリテールとは逆方向の流れとなっていて特徴的である。また、兵庫県では、県内の事業所間でCO2等温室効果ガス排出量の過不足分を売買する「排出量取引ひょうご方式(仮称)」の創設に向けて、検討委員会を設置するために予算を計上している。埼玉県では、県内の大規模事業所にCO2削減目標を設定するとともに、余剰分と不足分を売買する「排出量取引制度」の導入を準備しており、日経ネット(注2)によれば、東京都などと連携することが予定されているという。
地方自治体における排出量取引制度の課題
地方自治体における排出量取引制度はまだ緒についたばかりであり、評価ではなく、トライアルを繰り返す設計の段階にあるものといえる。しかしながら、すでに各方面から疑問の声が上がっていることも否めない。
例えば、そもそも規制対象としている大都市内部に、規制をして効果が上がるほどの大規模工場がどの程度集積しているのか、逆に地方都市で取り組むとむしろ工場誘致等の産業振興政策にマイナスの影響が出るのではないか、サービス施設では電力の使用がサービスの質に直結するため省エネルギーの取り組みには限界があるのではないか、そもそも何をもって目に見えないものを測定しその結果を信頼する兌換性をどのように確保するのか、家庭や個人レベルでは排出権をいかに分配し再び集約するのか、地方自治体の経済規模でどの程度の削減効果があるのか、そして現在、環境省や経済産業省など国と地方自治体が「二重」の取引制度を設定した場合、企業等の参加者にとって負担とならないのか。
このように、きりがないくらいの疑問が湧いてくるのである。
「地方発」排出量取引制度時代への対応
そこで全ての疑問に対する回答は、この小論では不可能なことではあるが、いくつかの可能性を示唆してみたい。
まず、第一に自治体サイドでの環境、とりわけ温暖化防止にかかる政策体系の整理と有機的な組成が必要となる。現在、多くの自治体では、70年代の公害問題を背景に、大気汚染、水質汚濁、悪臭、土壌汚染、騒音、そしてごみ問題といった生活環境における影響に対する施策を整備することに終始してきた。その間、環境問題は公害対策に見られる事後対応型から事前のリスク回避の予防型の政策対応を求めるようになっている。これら次元の異なる政策について、同じ部署で立案・執行しているケースがあるなど、行政サイドでも事態の変化に対応しきれていない側面が強かった。そこで環境基本計画の見直しなど政策の節目を好機として捉え、各計画や条例、そしてそれらに連なる施策の相互関係の整理を図りつつ、施策間の波及効果を測定し、矛盾や無理、無駄がないよう、生態系保全や温暖化防止という大きな政策目的のもとに体系化することが重要となろう。その上で、例えば「温暖化防止統合フレーム」といったような政策体系のもと、関連する全ての施策を排出量取引市場へ擬制させるといった取り組みが可能となる。また、末吉竹二郎氏がいう「CO2本位制」(注3)の経済を展望するならば、各個別事業の成果をCO2削減量に変換できるような一定の兌換機能の整備も忘れてはならないだろう。
第二に、国と地方自治体が独自に排出量取引制度を作ることに対しては、双方で情報交換や接続のためのモジュール化への配慮が必要となる。さもなくば市場制度の乱立や分断が懸念されよう。しかしながら、EUでは、国家割当計画(National Allocation Plan: NAP)・排出枠(Allowance)という考え方と取っている。EU-ETS 対象施設への排出枠の割り当ては、NAPに基づき割り当てられることとなり、加盟国が京都議定書の削減目標以上の削減を達成することを目的として立案されている、同時に、自国の対象施設に対して、どのように排出枠を割り当てるかということをも含んでいる。期間内に割り当てる排出枠の総量は、指令2002/358/ECおよび京都議定書に規定された加盟国の排出量目標と一致すべきものとされており、割り当てる排出枠の総量は、決定2002/358/ECおよび京都議定書に基づく各加盟国の目標達成あるいはそれ以上の削減を可能にするような量でなければならないのである。(注4)
こうしたEUとEU構成国の関係を、我が国と地方自治体との関係に引き寄せてみるとどうだろうか。法令と条例とでは前者の範囲を逸脱しない限り後者を定めることができるが、大気汚染防止などでは法令よりも厳しい規制基準を持つ条例があり、いわゆる「上乗せ条例」や、さらに法令より対象範囲を広げる「横だし条例」も条件付きではあるが制定可能となる。したがって国の規制とは別に、地方自治体が厳しい排出量削減率を課すのであれば、それは論理的にもありうることであり、それぞれに取引市場があっても問題ないと、筆者は考えている。(かつては、東京のみでなく広島や新潟にも証券取引所があったことを想起したい。)大切なことは、制度間の整合を図るモジュール化のあり方であって、それらは設計の方法でいかようにも対応できることである。むしろ、統一されたルールに基づく排出量取引制度を整備し、非対称とならずに十分かつ正確な情報が市場参加者に均等に伝わることがポイントとなる。国際レベルでは国別登録簿システムをつなぐ国際取引登録(International Transaction Log: ITL)のオンライン化などのインフラ整備が課題であるが、国と地方自治体レベルでの市場整備においても、規模の相違はあれ同様のことが当てはまるであろう。
そして第三に、行政界を超えた感覚での市場整備である。すでに合併が進み、かつて3300ほどあった地方自治体は、約60%まで減少し広域化が進んでいる。それはかつての生活圏とは異なるロジックでの括り直しであって、各地方自治体では、新たな自治のあり方が模索されている。その中で排出量取引市場の設計にあたっては、規模の合理性を勘案し、例えばすでに「あおぞらネットワーク」でディーゼル車規制の実績がある8都県市による共通市場の整備などが考えられる。また、行政界に基づく括りにとらわれずに、大都市の消費力を、地方の中山間地域にある村の森林のCO2吸着機能の保全に充当することで排出量の相殺を図るなど、合併とは異なる地方自治体同士の「同盟」(confederation)なども考えられる。(注5)
このように、私たちは新しい自治のあり方を合わせて考えつつも、温暖化防止という地球規模の大問題に挑むために、排出量取引市場を設計するというダイナミズムを「地方」から発信する新しいステージに立っていることを改めて自覚したい。
注1 2007年10月に発足。 義務的なキャップ&トレード制度を実施済又は実施を約束している政府または公的機関によるフォーラムで、 地域炭素市場の設計、互換性、リンク可能性を議論し、その障害と解決策を特定することが構想されている。現在は24カ国・州で構成し、2008年5月には排出量のモニタリング・算定・検証・遵守・執行に関する地球炭素社会フォーラムを開催し、2008年10月には 排出枠の割当に関するワークショップを開催する予定。(環境省, 前掲資料,p.22.)
注2 日経ネット http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080615AT3B1304214062008.html
注3 日刊 温暖化新聞 『CO2本位制』の時代へ-
注4 環境省,「欧州連合排出量取引制度調査報告書」(2008年3月), p.23.
注5 2008年2月には、東京都新宿区が長野県伊那市の森林を整備することで新宿区の二酸化炭素排出削減とする「長野県伊那市の森林整備によるカーボンオフセット」協定を締結している。これは地方自治体間のカーボンオフセットであるが、地理的には「縁のない」自治間が異なる資源や財力を共同にシェアすることで、お互いの経済的負荷を下げつつCO2削減を企図している。かつて小職が「新宿区民会議」の環境を扱う分科会で有識者として参加した際に、大都市の巨大な消費力・経済力と中山間地域との森林資源を「協働」によって結びつけてCO2削減を実現するモデルについて、区民の皆さんと議論をしたことが記憶に新しい。