クローズアップテーマ
緊急アピール 大学破綻処理の前に「成すべきこと」
2008年09月11日 吉田 賢一
我が国の高等教育機関の将来に対する大いなる危機感から、本クローズアップテーマの冒頭でも、「大学破綻」に触れ、情報発信を開始しました。
案の定、7月31日には新聞各紙において、日本私立学校振興・共済事業団の「平成20(2008)年度私立大学・短期大学等入学志願動向」の調査結果が報じられました。平成20年5月1日現在の大学数573校のうち565校を集計した結果、そのうち定員割れは262校(47.1%)となっています。実に2つに1つの大学が定員割れしていることになります。また、地域別の格差も広がり、東京では志願者が増え、定員充足率115.65%と高くなっています。
こうした事態を想定して、中央教審大学分科会制度・教育部会では、4月3日に大学の学部教育の質向上を求める提言をまとめています。そこでは大学志願者数と定員が同数となる「大学全入時代」の到来を「少子化の中、学士レベルの能力を備えた人材の供給は重要」と位置づける一方で、「質の維持・向上の努力を怠り、社会の負託に応えられない大学の淘汰は避けられない」としています。また、8月4日の読売新聞朝刊(全国版)の社説では、「合併・再編も視野に入れよ」との厳しい意見が提示されています。
このような論調については、筆者も基本的には異論はありません。しかしながら、あえて大学経営者の目線に立って、今回の「事態」を改めて整理しておきたいと考えます。
各大学を設置する学校法人の立場からすれば、こうした厳しい経営環境の現実から目をそらし、手をこまねいていたわけではなく、程度の差こそあれ、相応の努力を行っていることも事実なのです。しかし、なぜこうした取り組みが奏功しないのでしょうか。市場など外部環境に原因があるとするならば、大学だけの経営努力ではどうにもならないのでしょうか。
筆者のところへ訪ねて来られる学校法人関係のお客様の「ニーズ」には、ここ数年で大きな変化があります。国立大学法人が発足した平成16年度の前後2年間程度は、業務改善や事務職員スキルの向上など、極めて基本的な仕事の「仕方」の効率性・合理性そして機能性を高めることが大きなニーズとしてありました。しかし、本年度に入ってからは、経営破綻にまつわる情報が広がるにつれ、学生確保や遊休資産の処分など、緊要度の高い取り組みについてのご相談が増えています。なかには大学のブランドそのものを見直し、ブラッシュアップしたい、といった難易度の高いご要望を出される学校法人の方もおられます。
確かに、学生確保に向けて、現時点で人気のある学部学科への改組や、華やかでサービスが行き届いたオープンキャンパスの開催などは決して無駄な努力ではなく、相応の効果はあるでしょう。しかしながら、学生と学費を負担する父母は、シビアな目を持っています。ネット社会で情報が氾濫している今日、彼らは公式・非公式の情報を巧みに収集して、事と次第によっては、プロである筆者らよりも、関心のある大学の実情を詳しく把握しているケースがあります。したがってホームページの使い勝手が悪い、デザインや見栄えはよいがコンテンツが貧困だ、知りたい情報が全く得られない、などといった評判を受けている大学はすぐに見捨てられる状況にあるのです。
それでは、お金を投じて専門の事業者にウェブサイトを作り込んでもらえばよいのでしょうか。そこに大きな落とし穴があると筆者は考えます。そこで、合併や身売りなどドラスティックな経営転換を考える前に、大学経営者が地道に足元を見据えて「成すべきこと」を2点ほど記しておきます。
第一に、本当の意味での「USR戦略」をきちんと打ち立てることです。
USRについては色々な方がその概念を提示していますが、筆者もかなり初期の頃(平成16年度に実施した三井住友銀行との共催による国立大学法人向けセミナーにおいて紹介)からこの概念を提示しており、ある意味「言い出しっぺ」の一人であると自負しています。多くの方は、USRを University Stakeholder Relations(大学の利害者関係)、あるいはUniversity Social Responsibility (大学の社会的責任)として表現をしています。実は双方ともその意味するところにそれほど大きな違いはなく、敢えていえば、後者には経済的な利害関係のみならず、社会や環境面での大学の関わりを重視している側面が含まれています。どちらを用いても、大学を取り巻く周辺環境との「相互交換」の関係の構築が基本となります。今、この厳しい時代において、先ほど触れたウェブサイトのデザインや各種事業の展開などはあくまで「手段」であって、大学経営者にとっての「目的」は、その大学の「よさ」もしくは「強み」、そして「悪さ」もしくは「弱み」もきちんと利害関係者(ステークホルダー)に理解をしてもらうことにこそあるのです。敢えてぐっと堪えて、正確かつ適切な情報開示と情報発信を行う体制の構築が必要なのです。特に「よさ」だけでなく「悪さ」も示す、ここにこそ実は「USR戦略」の「本当のねらい」があるのです。筆者がこの概念を考えたきっかけは、以前、公社民営化企業に在籍していた際に、取り組んだ投資家に対するIR(Investor Relations)にあります。すなわち、株価の安定水準を維持するため、その会社に発生した事象をできるだけ速やかに、かつ正確に利害関係者に伝えるといった情報コミュニケーションの円滑化が目的とされています。大学にとってもその「図式」は全く同じであり、例えば、財政実態について、いかに消費収支が悪化しようとも、その原因を分析し、公明正大に開示していくこと、その姿勢こそが確実に社会において評価され、結果的に受け入れられる第一歩となるのです。「そのようなことをしたらマスコミが騒ぎ、イメージが悪化して受験する学生が減るから数字を出せない」ではなく、赤裸々に情報を出さずして「破綻」した場合、悪意があるにせよないにせよ、結果的には何も知らされずに入学した学生を欺くことにはならないでしょうか。無論、経営上の秘密事項はありますが、開示するかどうかの情報のグレード付けや、その情報に対する内部でのアクセスレベルを決めていないこと自体が問題なのです。
第二に、今、改めて問うべきなのが、徹底した「ガバナンスの確立」です。
今さらそのような古い概念を持ち出されても困る、という声が聞こえそうです。しかし、筆者の知る限り、財政パフォーマンスが持続的によい大学(たまたま資産を持っているために、惰性的に推移している財政状態とは異なる)では、大学運営を担う教員組織に対して、学校法人が設置者の責任をもって、経営責任の主体として担うべき事項と、委任あるいは負託する事項とをきちんと切り分けて、大学経営に臨んでいるケースが多いと認識しています。学校教育法第5条では「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いては、その学校の経費を負担する」と規定しています。また、私立学校法第3条では「この法律において『学校法人』とは、私立学校の設置を目的として、この法律の定めるところにより設立される法人をいう」としており、その示すところを改めて確認する必要があります。すなわち、大学設置の責任は学校法人にあるのであって、大学そのものではありません。その責任意識をきちんともって、法人の経営方針に則した大学運営を教職員に委ねる、といった姿勢が重要となるのです。これこそが企業とは異なる大学独自の「企業統治」(ガバナンス)のあり方だといえるでしょう。
以上の取り組みは、とても地味でにわかには成果が出にくいものです。私たちの身体で例えれば、基礎体力を養うための有酸素運動ともいえる取り組みではないでしょうか。メタボリックシンドロームと薄々分かってはいたが、やっと受けた健診でそのことが「証明」され、結果として改善の取り組みが遅れてしまった、という経験は、筆者も含め多くの人にとって思い当たることではないでしょうか。
基礎的な健康状態が維持されなければ、よい仕事もできません。その理屈は生き物である組織でも同様です。特に大学組織は変革に対して親和性が低い性向にあるため、より一層の注意を払う必要があります。そもそも合併やM&Aといっても、「健康」でない組織を誰が相手にするでしょうか。
大学としての矜持を持った上で、はじめて学生募集、広報活動や地域貢献などの様々な施策展開が実体化するということを、改めて主張しておきたいと思います。