クローズアップテーマ
9月29日 わが国の教育の「カタチ」~戦略的な教育プログラムのデザインを
2008年09月29日 吉田 賢一
安倍内閣のときに設置された教育再生会議では、「学力の向上に徹底的に取り組む」、「徳育と体育で、健全な子供を育てる」、「大学・大学院の抜本的な改革」、「学校の責任体制の確立」、「現場の自主性を活かすシステムの構築」、「社会総がかりでの子供、若者、家庭への支援」そして「教育再生の着実な実行」が示され、喫緊の課題となっているわが国の社会における活力低下をにらんでの様々な方向性が議論されました。
確かにいずれも極めて重要なことであり、どれ一つとして見落とすことはできないでしょう。しかし、敢えて付言すれば、「教育」というものは要素に分解して捉えることのできるメカニカルなものではなく、一人の人間にとって、幼少の頃から連続する通時的な側面と、家庭・学校・地域社会との一体的なつながりといった共時的な側面の両面を持つ、極めて有機的な概念だといえるのです。したがって筆者としては、教育再生会議で示された方向性は、個別的に進めるのではなく、システマティックに展開させていかなければならない、極めてスケールの大きいテーマとして捉えていかなくてはならないと感じているのです。
そこで筆者は大学経営に関わっている立場から、大学の視点で通時的かつ共時的な視座をもって教育のあり方について整理をしてみたいと思います。
昨今では、大学に入学してくる学生に共通する現象として、社会人基礎力の低下が指摘されています。経済産業省の調査では、「前に踏み出す力」・「考え抜く力」・「チームで働く力」の3つを挙げていますが、いずれもこれまでは人格が社会化する過程で自然に身に付いているはずの能力であることは一目瞭然です。高等教育の場である大学でそのような能力の錬成が求められていること自体も議論のあるところですが、いずれにしても多くの大学で地域との交流や連携などの実践的な場や学外の知見の導入によって、大学生に対し「社会で生きる」ことについて実体験をさせているケースが増えています。AO入試や推薦入試の増大に伴って学力が不足する学生の入学と相まって、大学が取り組むべき初年次教育の重要性はさらに高まっているのです。
しかしながら、いきなり大学生になったからといって社会人基礎力が身に付くわけでないのです。ここで、やはり通時的な視点をもって初等教育や中等教育との、形だけでない実質的な「連続性」をいかに高めるかが重要となるのです。その取り組みが早ければ早いほど、学生が「再生」する確率は高くなるのです。その典型的な事例が「高大連携」です。ベネッセ教育研究開発センターによれば、従来型の高大連携は、「高校生の進路学習の一環として、大学の教育資源を(講義・講演等で)活用する取り組み」であり、「(1)大学での通常講義の聴講、(2)高校生対象の講義・講座への参加、(3)体験入学やオープンキャンパスへの参加、(4)大学での実験・実習や個別指導など、一般的に知られている取り組みの多くが当てはまる」こととなります。
また、「従来型の取り組みの多くは、生徒の進路意識の醸成を目的とした「高校の進路指導ストーリー」に位置付くものであり、そのためのツールとして大学の教育資源を活用している」ことが指摘されています。
これに対し、新しいタイプの高大連携は、「高大の教員が会して、生徒・学生の育成を連続的な視点から捉えた教育改善を議論」し、「高校と大学の教員がお互いの教育活動に参画する」取り組みとされています。「高校教育と大学教育双方の改善・充実に資する双方向型の取り組み」であって、「「高校生」が主体(大学の講義参加等)ではなく、高大の「教員」が取り組みの主体となる」ことが指摘されています。
これらについては色々な取り組みがあり一括りにし難いものがありますが、既定のプログラムとしてすでに定着しているものとさえ見られる高大連携を、さらに発展させていくためには、新しい「戦略的な視点」が必要になるといえるのです。例えば高校生でも参加ができる程度の共同研究のフレームを作り、それらを大学生や大学院生が指導しつつ、一定の成果を取りまとめていく、あるいは地域の環境効率を改善していくためのデータベース作成を地元自治体と連携して進めつつ、ワーキンググループでの議論やフィールドワークのベースで高校生に参加をしてもらう、など高大連携のコンテンツをパッケージ化することが考えられます。ここでは、それぞれの目的と方法・手段、マネジメントの考え方、そして具体的な成果・効果を示し、効率的な連携事業のフレームワークを策定することが重要となります。そこにこそ単に学生確保だけではなく、実際の研究や活動の単位での「組織内作業」を通じて、社会人基礎力の錬成につなげていくという、戦略的な思考が必要となるのです。
そしてもう一つの共時的な視点ですが、大学や高校等の周辺には地域社会が広がり、その中に家庭やその他の集団があるのが基本的な市民社会の成り立ちです。従って、高大連携の取り組みは、地域社会との有機的なつながりのもとで展開していくべき必然性があるのです。そこでUSR戦略の視点が重要となるのです。多くの方は、USRを University Stakeholder Relations(大学の利害者関係)、あるいはUniversity Social Responsibility (大学の社会的責任)として表現をしています。実は双方ともその意味するところにそれほど大きな違いはなく、敢えていえば、後者には経済的な利害関係のみならず、社会や環境面での大学の関わりを重視する側面が含まれています。どちらを用いても、大学を取り巻く周辺環境との「相互交換」の関係の構築が基本となります。多くの大学で地域交流や連携といった地域貢献活動を行っていますが、どの対象(ステークホルダー)にどのような働きかけを行っていくのかがポイントとなります。さらにその際に高大連携のプログラムの中心である生徒・学生にとって基礎学力向上や社会人基礎力の錬成などプラスのメリットが生まれるような仕込み方が重要となるのです。多文化共生のために外国人留学生や住民等を巻き込んで様々な学習プログラムの設計や運営に生徒・学生を携わらせることは、地域社会にもたらされるよいインパクトのみでなく、地域の方々の胸をお借りすることで、生徒・学生自身の人間力向上にこそ役立つでしょう。少なくとも筆者の拙い経験でも、若い人たちが汗を流す姿を見て、手を差し延べない大人はいません。そのためにも、大学としては共時的な視座から、常に地域や周辺社会を前提とした教育プログラムの整備が大切なのです。
今後のわが国の教育の「カタチ」は、主に教育機関で展開される初等教育・中等教育・高等教育と、家庭教育や社会教育とを相互独立的に展開するのでは意味がありません。通時的そして共時的視点をもって相互に連関させる中で、その中心的な機能を担う位置に大学があることは、地域社会や教育界においてもっとも期待されるところではないでしょうか。
したがって敢えて筆者は、我が国の教育の「カタチ」を変革するためには、地域のイッシュー・ネットワーク(課題解決を図るための関連アクターのネットワーク形成)の中軸にこそ大学が存在すべきであると考えているのです。