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第2回 「ポストモダン」と「境界」 【大林 正幸】(2008/10/14)
2008年10月14日 大林正幸
1.ポストモダン思考と経営
ポストモダンは、大辞林によると「近代を超えようとする芸術運動。近代の合理主義的傾向を否定する考え方。もともとは、機能主義・合理主義に対置する新しい建築、という意味の近代建築用語」とある。近代の行き詰まりを克服しようとする動きのことを言う。要は、従来の権威や権力により構築された行動や思考の枠組みに疑問を呈し、直面する諸現象や問題を見直すことである。
このような考えの根底にあるものは、価値を与える担い手は、従来の権威者や権力者ではなく、自由な人間であるべきだという考えである。今田高俊氏は、「ポストモダンは、生産を中心とする社会ではなく消費社会である」として、「消費のあり方が文化や社会に与える影響力が生産のそれよりも大きくなった(なりつつある)社会のこと。」としている(注)。
この社会は、物でも情報でも、「価値」の基準を設定してきた従来の権威主義的な構造を否定し、物や情報を利用する側に主導権を与える社会である。また、今田高俊氏は、正常異常の区別もつきにくくなっているとして、「例えば、近代医学では、病気であるとも病気でないともいえない症状がふえており、これらについては、「症候群」と命名されている。・・・・要するに、近代社会が前提としてきたさまざまな区別が融解し、脱分文節化が起きている。」と言う。
経営の領域からみると、会社という組織と社員個人の関係、これらを取り巻く諸環境と関係が揺れ動いることに繋がる。会社への帰属意識、忠誠、また、社員に対する処遇の考え方までも変化している。また、会社の成長や業績に対して、過去のように売上成長至上、利益至上でもなくなり、持続可能で、安全・安心や環境との調和などにも軸足を移しつつある。これまでの、企業の行動原理としてきた「生産性」が、何に対する「生産性」なのかが改めて問われている社会である。
まさに、会社という組織と社員個人との境界、会社や個人と社会との境界の新しい境界線の引き直しが求められている。
2.「生産性」基準の見直し
企業の行動原理としての親しんできた「生産性」基準が、自己変革を求められている。これまでは、「生産性」の良悪が、正常か異常かの評価の尺度として使われてきた。この「生産性」は、インプットのアウトプットへの貢献度の大きさで測定されるものである。基本的に、売上や利益への貢献度を基準にしてきた。しかし、この売上や利益から見た尺度で十分なのかどうかが怪しくなってきた。例えば、アウトプットに組織自体の存続や持続(サスティナビリティ)を基準にすると、その途端、企業に期待される価値は多様性を帯びてくる。環境問題、雇用問題、コンプライアンスの遵守などへの貢献が「生産性」基準の中にとり込まれる。極端な言い方をすれば、市場や社会が、また、利用者が企業の存続を決定することに近くなる。ポストモダンの社会は、アウトプットを企業がコントロールできない領域が増えている社会のことと考えることができる。
これまであたり前だった売上高や利益額を分母とし、原料費、労務費、経費を分子とする「生産性」基準のみでは、経営判断を誤る可能性が高くなっている。最近の食品業界の不祥事で社会的に糾弾されたケースの例をみても、倫理・コンプライアンス等の遵守も重要なインプットの要素であることに改めて気がつく。
従来の会計的な手法で測定できないインプットやアウトプットの重要性が増していることがわかる。測定できない領域をどのように測定するのか、新しい基準を創造しなければならなくなってきた。要するに「場」に応じて、生産性基準を使い分ける創造性が企業に求められているのだ。インプットとアウトプットの区別さえも怪しくなってきており、管理会計システムも影響を受ける。まさに、境界が崩れてきている。
3.コントロール可能と不可能の境界がイノベーションを生む
経営活動は、インプットを変化させることでアウトプットをコントロールすることである。多様な「場」の価値基準に応じて、「生産性」を構成するインプットとアウトプットの使い分けが必要になる。
「生産性」の多様化に直面している経営では、以下のような取り組みが必要になって来るだろう。
(1)複数の視点でリスクの識別ができること。
(2)コントロールできるものと、できないものを区別できること。
(3)この区別が妥当かを評価できること。
(4)コントロールできない固有リスクに関しては危機管理のシナリオをつくること。
(5)コントロールできるものは、コントロールの活動が妥当かを評価できること。
(6)そして、管理者は、「場」をつくるプロデユーサーとして、新しい価値を創造する編集者であること。
ポストモダンの社会では、「生産性」という言葉に様々な意味が創造される社会である。
(注) 渡辺聰子他[2008].「第4章 人と組織のエンパワーメント」『グローバル時代の人的資源論―モティベーション・エンパワーメント・仕事の未来』東京大学出版社