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第12回 「派遣労働者問題」にみる市場の倫理と統治の倫理(社会規範の倫理) 【大林 正幸】(2009/02/17)
2008年02月17日 大林正幸
1.市場の倫理と統治の倫理(注)
派遣労働者の雇用問題が日々ニュースで流されている。住むところも無くなり、生活に窮する悲惨な状況が取り上げられている。この問題の難しい点は、企業が「市場の倫理」か「統治の倫理」、つまり社会的規範の倫理で対応するべきか、どちらの立場で対応すべきかということに迫られているのである。
企業は、「市場の倫理」が支配する領域と「統治の倫理」が支配する領域の二つの領域に同時に足を踏み入れている。「市場の倫理」は商道徳などが相応するであろうし、「統治の倫理」とは、つまり、その時代の価値観に流されている社会規範である。どちらかが常に正しいとはいえないように境界線が非常に曖昧な状況の中で活動している。
派遣の問題での経営側と派遣労働側の対立図式は、まさに、それぞれが、ふたつの領域に居るためかみ合わない。「市場の倫理」の立場では以下のようになる。経営側にとって派遣は、企業を存続維持・成長させ、結果的に雇用を安定させるための手段である。固定費の変動費化であり、景気変動の調整弁たることを目的として実施している。また、経営側も派遣労働者側も、契約として「市場の倫理」に基づいて、お互いに合意の上で成立したものである。
「統治の倫理」の立場では以下のようになる。派遣労働者にとっては、景気の悪化に伴い雇用が打ち切られると、住むところも追い出されることになり、まさに生きる権利を奪われるということにつながる。労働者の権利・生活は守られなければならない。生きる権利は、「日本国憲法第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。このような立場で、マスコミの論調は、弱者としての派遣労働者を守る形で、経営側の行為を問題視する形で報道されている。
2.リスク社会で問われる企業姿勢
この事件は、次のように、会社また会社で働く社員も含めて、我々は、リスク社会の真只中にあることを改めて示唆する。
企業は、状況に応じて、「市場の倫理」と「統治の倫理(社会規範の倫理)」のどちらかの顔で社会や市場と向き合わなければならない。もし、このふたつの顔の取り扱いを間違えば、社会の期待を裏切る大きなリスクに直面しているということである。
かつて、大手乳製品製造会社が生産工場における衛生管理の不祥事で、マスコミの追及を受けた。社長が、つい「寝ていない」と言う発言をしてしまったことがあった。この発言は、寝る時間も惜しんで対応している会社の真摯な対応状況について、社会に理解を求めたのであろうが、マスコミは許さなかった。また、別のケースでは、健康に影響がないから心配はいらないというところを、「たいしたことではない」と発言し、波紋を広げたケースもあった。これらのケースを、言葉の使い方の間違いと言えばそれまでだが、「統治の倫理(社会規範)」の顔で対応するべきところを、「市場の倫理」の顔で対応してしまったケースともいえる。
社会的責任活動に注目が集まり、会社は大きなコストを負担して、環境改善や地域社会への貢献を実施している。会社は、家族のように国土、国民を大切にしなければならないという考えなのであろう。「統治の倫理」により、かつて、封建領主が民百姓を大切にしていたことと同じなのであろう。うまくやれば、会社のイメージは上がる。客にとって好ましい会社と評価される。しかし、顧客との良い関係づくりのマーケティング理論も、顧客をあたかも家族のように取り込んで信頼を得るということと同じなのだが、家族のように扱ってきた顧客を、突然「市場の倫理」で切り捨てることがあれば、大きな失望と不快感を、顧客に与えることになる。
さて、派遣労度者への雇用の打ち切り問題に戻る。派遣労働者の打ち切りを進める会社は、他では社会的責任活動を盛んに行っているのだが、社会的責任活動を実践という点では、社会に対する裏切り行動にならないのだろうか。例えば地球環境問題の改善活動と派遣労働者の生活支援、どちらが優先されるべきなのかというと、なかなか選択は難しい。
3.きわどい選択
派遣労働者の問題は、急激な景気悪化に伴う特殊なケースかも知れないが、リスクという点から見ると、社会規範を背景として「統治の倫理」により社会的責任の重視を掲げて事業を行っている会社が、状況次第では「市場の倫理」で対応してしまうリスクがあるということである。
自分の家族のように客との関係を作り上げる活動、例えば、いろいろな相談に乗る、助けてあげるという営業活動は、裏切るという行為と紙一重の活動なのだということを忘れてはならない。客は期待をするだけに、その反動として失望と怒りは大きくなる。
我々は、会社と客との関係、経営者と従業員との関係、家族との関係、さまざまな局面できわどい選択をしているのである。
(注) ジェイン・ジェイコブズ[1998] 『市場の倫理 統治の倫理』日本経済新聞社。縄張りを作り自分の生活権を守るための価値観と道徳を統治の倫理とし、人間の活動として交換したり、交換するための物を作ったりとして、生活をしていくための価値観と道徳を市場の倫理として、人間はこの二つの道徳の中にあって生活していることを、また、この二つの道徳体系を混同した場合に問題が起きるということを解説している。