クローズアップテーマ
第10回 ダブルループ学習とJ-SOX 【太田 康嗣】(2009/02/03)
2008年02月03日
平成20年度も最終四半期に入り、いわゆるJ-SOX監査もいよいよ本格化してきた。それに伴って、監査部門と現業部門、経営者と実務担当など、社内のあちこちで非難や対立が発生しているケースもあるようである。不協和音の発生は、一見、経営上憂慮すべきトラブルのようであるが、会社全体のリスクマネジメントにとっては好ましい現象かもしれない。本稿では、クリス・アージリスが提唱する「ダブルループ学習」理論を引用しつつ私見を述べてみたい。
1.シングルループ学習とダブルループ学習
何らかのトラブルに直面した場合、組織は、その原因を究明し、その結果を内部システムにフィードバックしてトラブルの再発を防止しようとする。アージリスは、この一連の活動(「学習」)が現場レベルのみで行われる場合をシングルループ学習、現場の活動の前提となっている上位システムでも行われる場合をダブルループ学習と呼んでいる。
シングルループ学習は、どのような組織でも行われている(はずの)学習メカニズムであり、通常のトラブルは、このメカニズムによって解消される。ところが、トラブルの真の原因が現場以外にもある場合、例えば、ある製品で不具合を理由とする大量返品が発生したが、真の原因は不具合ではなく、その製品に対するマーケット・ニーズ自体の喪失にあるような場合には、シングルループ学習ではトラブルを解消できない。このような場合には、現場だけでなく経営戦略レベルでもトラブルの原因分析が行われること、つまりダブルループ学習が必要ということになる。
2.リスクマネジメントにとってのシングルループ学習の危険性(ダブルループ学習の必要性)
シングルループ学習とダブルループ学習は、直接的にはトラブル解消についての話であるが、シングルループ学習は、リスクマネジメントの視点からを見ても大きな危険性を持っているといえる。例えば上記のケースの場合、シングルループ学習では、製品の不具合が修正されることにより「その製品を作り続けることができてしまう」ことになるが、この結果さらに赤字は膨らむことになる。また、シングルループ学習では、現場でトラブルを解消することが基本となるため、どうしても上位システムへの連絡が遅くなり、これがリスクの拡大を招く危険性もある。
これに対して、ダブルループ学習では、トラブルの本質的・組織構造的な原因を究明できるとともに、情報共有のタイムラグが小さく、時間的なリスク拡大を防止することもできる。つまり、ダブルループ学習は、リスクの顕在化・拡大を防止するリスクマネジメント手法でもあるといえる。
3.ダブルループ学習とJ-SOX
ところで、多くの組織において、ダブルループ学習の仕組み(具体的には、様々なトラブル情報の伝達と意思決定システム)は、既に構築されているように見える。しかし、実際にはなかなかうまく機能しない。
それは、上位システム、つまり、リーダーや経営者がこれまで行ってきた意思決定や、先輩達が築いてきた既存のシステムに対する批判や否定につながるというダブルループ学習の本質的な特性にある。 組織人たるもの、誰だって上司の批判はしにくいし、批判されても受け入れにくいものである。アージリスはこれを「権力のジレンマ」と呼んでいるが、これが積み重なると、あるいは、重大なトラブルに対して行われると、組織にとって致命傷となり得る。
そこでJ-SOXである。J-SOXでは、必然的に経営者の意思決定や既存のシステムの「不備」を洗い出し、解決していかなければならない。また、オープンな組織風土の醸成、内部通報制度の整備する、内部監査の充実等が求められるが、これらは、「権力のジレンマ」を打破するための有効な仕組みであるといえる。これまでのように、非難や批判自体が起きにくく、あるいは、起こったとしても解決を見ないまま傷跡だけが残るという状況に比べ、「例え非難や対立をしても誰かが何らかの解決策を出さなければならない」というJ-SOXの強制力は、組織が発展する上での大きな追い風だと言える。
ただ、アージリスは、ダブルループ学習が成功するかどうかのカギは「CEOとその直属の配下が握っている」と指摘する。「権力のジレンマ」の最大の当事者であるトップ自らがダブルループ学習を実践することが最も有効な方策だからである。その点では、経営者やトップマネジメントは、現在J-SOX対応を巡って発生している社内の軋轢に、もっともっと積極的に参加する余地があるように感じる。J-SOXを機に、建設的な批判や非難ができ、それが反映される経営システムや組織文化の醸成を望みたい。
(参考文献)クリス・アージリス「ダブルループ学習とは何か」『Harvard Business Review 2007年4月号』