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クローズアップテーマ リスクとチャンスのマネジメント

第1回 リスク・マネジメントの基本は、リスク感度の高い社員の育てること 【大林 正幸】(2008/9/12)

2008年09月12日 大林正幸


1. 意思決定が信頼できない

 大阪で老舗の料理店で「手のついていない残りもの」を再利用し、客に出すという事件があった。この事件は、客の期待を裏切る商道徳に反することとして社会的に糾弾された。経営者がなぜこのような行為をしたのか動機はわからないが、仮に、経営者が資源の無駄使いをやめ、物を大切にすることが優先されるべきであり、客も同じ考えで理解してくれると考えた上での行為であればどうだろうか。この場合、経営者が客の期待を読み間違えたことが、結果的に客の期待を裏切ったことになったということになる。かつて「もったいない」という言葉の大切な時代があったことを思い出すと複雑な感じになる。この事件は、社会の常識は変化し不安定であること、その変化する常識の中で、会社も一般の人たちも行動しなければならないことを改めて認識させる事件である。
 私たちは、日常生活や仕事の中で「何かおかしいぞ」、「このままで良いのか」という「違和感」を感じることができなくなるような、リスクに対する感度を狂わす要因に取り囲まれているということを示唆している。つまり、自分の感度を信頼できる水準に保つ努力が必要なのだ。


2. 変化する常識と非常識の境界

 「手のついていない残りもの」の言葉に対して、受けとめる側でその意味の解釈が様々なように、このような行為が許されるかどうかの社会の常識水準も世論のように変化していく。理性的な人間であるはずの人が、この事件のような愚かな行為をしてしまうのは、常識と非常識との境界がわからなくなってしまったことが原因にある。私たちは常識自体が曖昧で変化するものとして、常識水準の変化にもっと敏感になるべきである。

 「手のついていない残りもの」と言う言葉の意味の解釈は、家庭と料理店の場の違い、戦後の混乱した時代と地球環境問題を検討する時代など、「時代」、「場所」などで、絶えず変化している。したがって、自分の判断基準も状況に応じて変えなければならないことになる。

 しかし、自分で判断基準が正しいかどうかをひとつひとつ確認して、行動することは、面倒である。そこで私達は、日常生活では、習慣化にしたり、また、法律などの公式な社会ルールに従うようにしている。仕事では、過去の慣例、業界の慣行に従うことで複雑な判断を単純にすることにより、楽に行動できるようにしている。ある意味では、認められた常識ということなのだろう。こうして、一旦、日常生活や会社での常識のありようが決まれば、この常識が他の行為の選択を行うにあたっての制約条件になる。本来は常識自体、時・場に応じて不安定であると言う立場に立つと、ルールが決まったその時点から不安定要因を抱え込むことになる。この点への気づきが必要なのだろう。

3. 自己を点検する能力

 良いか悪いかの境界があいまいになり、ますます混乱の要因が増えているのが、現代社会である。だから、自分自身の判断力を信頼できる水準に保つことを意識的に行わなければならない。つまり、時間的にも、空間的にも、特定の場面に遭遇したときに、「何かが違う」というような「違和感」を感じることができる能力に磨きをかけることが鍵になる。これがリスク感度の高い人、また、社員になると言うことだ。
 そのために、自分の感覚が有効に機能しているかを確かめなくてはならない。これを、自己点検力と呼ぶ。自己点検力が適切に発揮できているかを確かめるためには、意識的に他者の目線で客観的に見直すことが必要だ。

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