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第16回 信頼か統制か。統制は新たなリスクを生む 【大林 正幸】(2009/03/31)

2009年03月31日 大林正幸


1.繰り返されるドーピングとその摘発

 昨年開催された北京オリンピックのハンマー投げ競技では、ドーピング違反の選手が失格となり、室伏選手がメダルを獲得した。前回のアテネ大会に引き続いてのできごとである。ドーピング違反に対しては、厳しい罰則があるにも関わらず、長年にわたって毎回事件が起きている。薬剤の開発と摘発技術との競争が永遠と繰り広げられている状態である。仮に、医学や薬学の進歩がなく、筋肉増強のための薬がなかったら、このような問題は発生しなかったのだろうか。
 ビジネスの世界でも同じことが再三発生する。コンピュターシステムへの不正アクセスが起きると、システムへの侵入を阻止する技術が開発され、一時的には外部進入を統制することができる。しかし、しばらくすると、セキュリティー技術を上回るハッカー技術を誰かが開発する。
 ルールなどの規範が我々に期待するのは、ルールの網を掻い潜るようなゲームで勝つことではなく、社会の一員として守るべき道徳や規範に照らして、やるべきでないことはやってはいけないという意思と行動である。このような規範を意識することが希薄となった社会において、統制は、際限のないリスクを産む卵になるのだろうか。

2.リスク社会

 上述の例に対して別の表現をするならば、我々の社会は、規範の希薄なアノミー状態の社会になりつつあると言えるのかもしれない。アノミー状態にある社会とは、それまで共通して了解を得ていた価値観や規範、道徳がなくなっている社会である。したがって、このような状態からの脱却がなければ、安心と平穏は訪れないし、社会的な秩序は維持できないことになる(注)。  
 私達は、安心と平穏な生活が送れることを願い、自らの行為を振り返り、自分の行った行為を検討し、再評価が行われることが期待できる社会を作り上げてきた。つまり、道徳や倫理、規範ということを作り出した。各個人に対しては、この期待に応えるように、道徳や倫理、規範に従った行為を行うことを要求し、秩序を保つ仕組みを作ってきた。
 このような仕組みは、経営システムになじみ深い「モニタリング機能」に相当するだろう。組織のなかにモニタリング機能が統制制度として組み込まれ、有効に運用することで秩序が保たれることを期待する。

 イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズは、「再帰性」という概念をもちいて、自己検証される社会現象を説明する。ここでは、自己検証する社会は、必ずしも良い面ばかりではないという。自分や組織の行為を見つめ、「自分はこれで良いのか」と問い詰めることがくり返されるのだが、正しいとする根拠や考え方が揺れ動く社会では、逆に、何が正しいのかが判らなくなるのではないかというパラドックスに、警鐘を鳴らしている。くり返し行われる自己検証ループに絡め取られた社会が近代社会の特徴であると言う

 社会が了解していた規範が崩れたアノミー状態の社会では、「再帰性」の立ち返る基準自体が多様化し、各者各様の世界観で行為を統制するようになる。その結果、「再帰性」の向かう方向性を定める道徳システムが定まらなくなり、秩序を維持し形成することに問題が生じ、予測可能性や制御可能性が弱くなっていく。アノミー状態の社会では、「再帰性」と言う統制機能が、逆にリスクの増大に繋がる社会となり、いわゆる、制御不能な「リスク社会」の一面が強くなるのである。

3.適正な統制水準

 一定の共通規範の薄れた社会での「再帰性」のループは、秩序の維持を保つために果てしない統制を生む危険性がある。統制がリスクを生むということは、具体的どのようなことを示しているのか。コンピュターウィルスへの対応を例にとって考えてみよう。
 コンピュターウィルスによる被害情報が入ると、自社システムのウィルスチェック機能の見直しが行われる。最新のウィルスチェックソフトが整備され、ウィルスの進入を監視できる統制目標を設定する。次に、進化するウィルスに対して、最新のソフトへの更新が行われているかが統制目標として設定される。これで、ウィルス検知体制が整備される。この整備は、ウィルスの侵入を発見するシステムであるから、整備されるほど、検知の能力は高くなり、ウィルスが発見される機会は多くなる。このような中で、ウィルスの侵入が発見されると、なぜ侵入されるのかという問題が新たに起きる。侵入をさせないことが新たな統制目標として設定されるだろう。具体的には、コンピュターシステムへの内外の接続状況が監視されることになる。電子メールの送信と受信時の統制機能が強化される。更に、移動可能な記憶媒体への統制が強化される。つまり、発見的統制から予防的統制へと強化されるのである。
 次に、この状態でウィルスが発見されると予防的統制の運用強化として、ルールの周知徹底が統制目標として設定される。一定の監視下での運用が強いられることなるだろう。しかし、監視者の判断により、運用は時として例外処理を生む。ここで、また新たなリスクが生まれる。この程度は違反にはならないだろうという「規範」への理解度が試される。この理解度のばらつきを防ぐために、個々の事例別に判断基準を示すことが要求される。例外事項を細分化して運用することが統制目標になる。つまり、統制は新たなリスクを増殖させる過程なのである。

 このようなループを断ち切るにはいかにすればよいだろうか。

 技術が急速に進歩する社会では、技術に頼る対応がくり返されやすい。先の例では、発見的統制から予防的統制へと踏み込んだ時点で、リスクへの統制手段が格段に難しくなることを示している。発見的統制によるリスクの検知が可能であるならば、発見されたときの影響を最小限に抑える方向での統制整備でも十分である。あるいは、厳罰主義をとっても良い。しかし、予防的統制は、未然に防ぐという点では統制のレベルは高いが、予測できない事故や統制不能な要因までも、統制の対象としてとり込む危険性があり、際限なくなってしまう。

 先のコンピュターウィルスの事例のようなループを断ち切るひとつのヒントは、予防的統制の導入を検討する時点で、「信頼」と言う普遍的な規範に一度立ち戻ることである。つまり、社員を「信頼」しない、「信頼」できないということで、予想できない事故を予防する仕組みにするか、逆に、社員の規範や道徳を「信頼」し、期待するのかということを改めて考えることが必要になる。

 「信頼」という規範を採用するならば、統制手段や仕組みの整備よりも、企業理念、行動基準や社員とのコミュニケーション、共同して仕事をしているという一体感の醸成などが、より大切になる。このようなことに目を向けることにより、統制とリスクの果てしないループをいったん断ち切ることができるはずだ。


(注)アノミー 
Wikipediaによると、アノミー (anomie) は、社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることを指す「アノモス(anomos)」を語源とし、宗教学において使用されていたが、デュルケームが初めて社会学にこの言葉を用いたことにより一般化した。デュルケームはこれを近代社会の病理とみなした。社会の規制や規則が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥ることを指す。規制や規則が緩むことは、必ずしも社会にとってよいことではないと言える。
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