クローズアップテーマ
4-13.「健康のため」よりも「世のため」「美容のため」
2007年12月13日
●保健指導の限界
保健指導では「健康のために」運動や食事制限を実行しなさいと諭される。太り過ぎ、飲食過多を指摘されて、体重減を指示される。それもこれも「健康のため」である。だが、保健指導を受ける人は、決して褒められた生活をしているとは思っていまい。職場や社会で一定の地位を占めている人に自己管理ができていないダメ人間の烙印を押すような保健指導は反感を買うばかりである。意地でも痩せてやるものかと思われては元も子もない。
これに対して、保健指導にコーチング手法が導入されつつある。このままだとどうなると思います、だったらどうすればよいと思いますと対象者に答えを言わせる手法である。押し付け型の保健指導よりはマシだが、誘導尋問であることに気づかれたら効果は期待薄だ。下手に回答すると生活習慣改善が必須なことを認めてしまうことになり、それを実行できないなら自制心がないことを証明してしまうことになりかねない。
●人は変化を拒む
水からゆっくり煮立てると蛙は煮殺されるまで鍋の外に出ないと言う。環境が悪化しても現状維持を選ぶのが人の性だ。健康に良くないと分かっていても生活習慣を変えようとしない。こういう人に健診結果のデータの変化を説明して生活習慣改善を求めても効果は期待薄である。
蛙の例えは、初めから熱い湯に入れると驚いて飛び出すこと裏腹である。環境が急激に変化すると現状を打破するのを厭わないものだ。激痛に襲われたり、数年内に失明すると予言されても飽食生活に固執する人はいないだろう。
要は生活習慣病になるとの予測は、生活習慣を改善する動機付けとしては弱く、これをもって保健指導をしても効果が限定的にならざるを得ない構造であるということだ。
●目的を代える
「健康のため」との説得に効力がなければ、他の目的に代えてしまうのが現実的だ。たとえば六甲山が有名な「毎日登山」。登山回数1,000回、2,000回はざらで、1万回を超える人もいる。毎日欠かさず登山しても27年以上かかる計算だ。「記録を立てる」「記録の競争をする」というのは、目標管理が好きな中高年サラリーマンに向いている。
さらに、「健康のため」よりも「世のため」が受け入られ易いだろう。例えば、通学路の安全確認のために2つ以上の学校の通学路を毎日見回るフィランソロフィー活動をする、というのは如何だろうか。「世のため」に毎日5km程度を徒歩で見回り、記録を達成した社員を大々的に表彰する制度だ。
「美容のため」「アンチエイジングのため」も代替目的になる。「血をサラサラにするため」「加齢臭をなくすため」「肌をきれいにするため」に食事や運動を処方する。費用はかかるが、月単位で効果を測定してあげる。ドロドロの血が1ヶ月でこんなに改善したと示して効果を実感させて上げることが大切だ(多少科学的に正しくないことは目をつむろう)。
保健指導の目的は健康対策であるが、被保険者にまで「健康のため」を押し付ける必要はない。管理職なら部下の能力に合わせて目標を立てさせ、達成のために褒めたり叱ったりするのはお手の物だろう。保健活動にもマネジメントのノウハウを役立てるべきだ。