先日、当社では環境省が温室効果ガスの排出削減のための施策として実施している自主参加型のキャップ・アンド・トレード(注1)において排出権を購入した。国内では規制としてのキャップ・アンド・トレードは導入されていないものの二酸化炭素の価値を顕在化させる手段として注目を集めている。当社の経験をふまえながら、まだまだ一般的でない「排出権を買うこと」、そして環境省事業の課題と規制としてのキャップ・アンド・トレードが実施される場合に留意すべき点をご紹介する。
1.購入の経緯
2007年9月11日に、環境省より「自主参加型国内排出量取引制度(第1期)の排出削減実績と取引結果」が発表された。本制度は、参加企業が自主的に設定した二酸化炭素排出上限量とその上限量を達成するための補完的な手段として排出権取引が用意されたものである。
制度としてはEUにおいて2005年から行なわれているEU-ETS(注2)と大筋では同じである。日本では環境省事業の他には強制力のある規制として、東京都が「東京都気候変動対策方針(注3)」において温室効果ガス排出削減のために導入を目指している。温室効果ガスの排出削減手法としてのキャップ・アンド・トレードの効果については賛否両論があり、日本においては産業界の反対が強い事から、少なくとも2012年までは日本全体を対象とした本格的な規制としての導入は見送られる見通しである。
環境省の発表はhttp://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8779にて全文を読むことができる。2005年度の自主参加型国内排出量取引制度(第1期)の実施概要としては以下の通りである。
キャップを各社が自主的に設定できたことと環境省から補助金を受け取って導入した設備以外の省エネルギー設備による削減分は、キャップの設定に反映させる必要が無かったことから、目標達成は容易であり、全ての参加者が削減目標を達成し、削減量も目標量を10万t‐CO2ほど上回ることになった。
- 2006年度の1年間で377,056 t‐CO2の二酸化炭素が削減された(各社が約束していた削減量の合計は273,076 t‐CO2)。
- 目標保有参加者31社は、自主削減や排出権取引を活用し、すべての参加者が制度参加時点で約束した削減目標を達成した。
- 排出権取引は件数:24件、取引量:82,624 t‐CO2となった。
- 全排出権取引の内、環境省が提供する排出量取引仲介サービス(GHG-TRADE.com)を利用した取引は、件数:13件、取引量:17,987 t‐CO2、平均取引単価:1,212円 /t‐CO2(最高取引価格:2,500円 /t‐CO2、最低取引価格:900円 /t‐CO2)となった。
当社はこの自主参加型国内排出量取引制度(第1期)へ三井住友銀行を共同事業者として参加した。実施場所はデータセンターであり、サーバー等の稼働に多くのエネルギーを消費する、省エネ法(エネルギーの使用の合理化に関する法律)における第一種エネルギー管理指定工場である。省エネルギー対策としては、ターボ冷凍機の更新や空調のインバータ化により一定のエネルギー消費量の削減を見込み、その削減分を差し引いた想定二酸化炭素排出量(2006年度分)を環境省に申請した。導入した省エネルギー設備は想定以上の削減効果を挙げることができたのだが、データセンターの再編や景気の回復による受託業務の拡大により結果的に二酸化炭素排出上限量を200 t‐CO2程度超える二酸化炭素排出実績値となったことから、当社も排出権を購入する必要に迫られることなった。
2.排出権を購入するまでの流れ
ここで2005年度の参加申請から2007年8月に排出権を購入するまでの流れを時系列でまとめてみる。いくつかの手続きや活動に関する担当者としてのコメントは文末に参考として示した。
時期 | イベント | コメント | |
2005年度 | 2005年4月 | ・環境省に自主参加型国内排出量取引制度(第1期)への参加を申請 | |
2005年6月 | ・2002~2004年度のエネルギー使用量データと省エネルギー見込量を用いて、自ら作成した二酸化炭素排出量算定報告書を環境省へ提出 | コメント<1> | |
2005年7~10月 | ・第三者の認証機関による二酸化炭素排出量算定報告書の検証作業 | コメント<2> | |
2005年10月~ | ・省エネルギー設備の設置工事 | ||
2006年3月 | ・二酸化炭素排出量算定報告書の確定と2006年度の二酸化炭素排出上限量(キャップ)の決定 | ||
2006年度 | ・二酸化炭素排出量削減対象期間 | ||
2007年度 | 2007年4月 | ・2006年度の二酸化炭素排出実績に基づく二酸化炭素排出量算定報告書の提出 ・登録簿システムに初めてログイン | 200t-CO2の超過。コメント<3> |
2007年5~6月 | ・第三者の認証機関による二酸化炭素排出量算定報告書の検証作業 ・環境省が提供する排出量取引仲介サービス(GHG-TRADE.com)への申し込み | コメント<4> | |
2007年6月 | ・排出権を仲介する取引参加者A社からのコンタクト ・京都メカニズムの排出権の利用について検討 ・京都メカニズムの排出権の調達について三井住友銀行と検討 | コメント<5> | |
2007年7月 | ・ITL(注4)未稼働により京都メカニズムの排出権の利用を断念 ・取引参加者A社からの購入を決定 ・環境省より二酸化炭素排出量算定報告書の検証結果の通知を受ける | コメント<6> | |
2007年8月 | ・取引参加者A社と標準契約書を用いて契約 ・GHG-TRADE.comを使って取引参加者A社と排出権取引 ・登録簿システムにて排出権を取引参加者A社から受け取り、割当られた排出権と合わせて政府口座に移転し、償却。 | コメント<7> |
3. 本事業の感想と課題
(1)本事業の感想
本事業に参加した2005年4月当時は当社の二酸化炭素排出量が目標値を超過する事態は全く想定していなかったため、2007年1月頃にこのままでは超過しそうであるとわかった時は、「排出権購入のために内部説明が大変だな・・・」というのが最初に持った感想であった。本事業では二酸化炭素排出削減の見返りとして設備投資資金を環境省から補助金を得ているため、その補助金を直接受け取った部署から支出してもらうのが筋ではある。しかし、一回もらったお金を2年後に返して欲しいと言われてもどこからその資金を捻出すればいいのかすぐには結論が出なかった。当社では幸い、各部門が協力して動けたため、それほど時間をかけずに購入資金を確保できた。また、担当者としては仮に目標を達成できないと当社が目標未達企業として公表され、大変なことになると言うプレッシャーを大きく感じた。特に何回か排出権が確保できるか不透明になった時期もあったため、規制をかけられる事が企業にとって想像よりも大きなプレッシャーであると実感できた。
(2)本事業の課題1:排出権取引のための仕組みが未整備
本事業の課題としては、最も大きな問題点は排出権取引のための仕組みが全く整備されておらず、相対で取引をしなければならなかった点である。コメント<7>に示したように基本的には売ってくれる事業者を自分で探すシステムとなっているため、いざ買おうと思った時にすぐには動くことが出来なかった。本事業では環境省が用意したGHG-TRADE.com(排出量取引仲介サービス)を使わなくても不都合はなく、むしろ手続きの煩雑さや手間を考えればシンプルに2社間で排出権売買契約を結び、登録簿システムで移転した方が簡単であった。本事業は参加者の少ない限定的な取組であり、株式市場のような仕組みを作ることは難しいにしてもここまで原始的な仕組みでは国内における排出権取引制度への示唆があまりにも少ない。2期・3期以降のシステムでは抜本的な改善が必要と思われる。
(3)本事業の課題2:排出権の移動と決済手段の連携が必要
もう一つ気になったことは代金決済が排出権取引のシステムに組み込まれていないことである。株式の売買であれば証券会社の口座に入金し、株式の移動と代金決済が同時に行なわれる。本事業ではGHG-TRADE.comにこのような仕組みが用意されていないため、排出権の移動と代金決済が別々のシステムで動くことになってしまった。例えば金融機関の協力を得て、既存の金融機能を援用して排出権取引と代金決済が連動するシステムを構築することが排出権取引の活性化には必要であると思われた。また、このシステムに可能であれば登録簿システムとの連携も組み込めると完全な排出権取引が実現できる。
(4)本事業の課題3:規制対象の決め方による企業活動への影響を考慮
最後に賛否両論のキャップ・アンド・トレードについて言及する。キャップ・アンド・トレードの仕組みとしての効果については論じないが、キャップがかかる事で企業活動に一定の制約が生じるため、事業所単位と企業単位の両方についてメリット・デメリットを良く考える必要があると感じた。本事業には1つのデータセンターのみが参加していたため、データセンターの再編に伴い一部の設備が他の拠点から移設された当該のデータセンター単独では二酸化炭素排出量が増加する事になり(当社全体では増加していない)、これが目標を超過した原因の一つになった。
東京都が進めようとしている東京都限定のキャップ・アンド・トレードでは同様な事が起きる可能性が大きい。全国で実施する場合でも規制対象の事業所へ規制対象外の事業所から人員や生産設備を集めた場合には見かけ上の二酸化炭素排出量の増加が起きる。本来は拠点を集約し、生産性を高めることで二酸化炭素排出量が減少すると考えられる。しかし、拠点ごとに規制がかかる場合は規制によるコスト増を嫌って拠点集約が進まない事態も考えられる。企業単位で規制する場合は、個々の事業所における二酸化炭素排出削減を企業の裁量により進めることが出来ることから、規制をかけられる側からすると合理性があると思われる。一方で事業所単位での二酸化炭素排出量が把握できないため、ピンポイントでの指導が出来ないなどの課題もある。規制対象を含めて、キャップ・アンド・トレードの導入には課題が多いことから、先行しているEU-ETS等の事例をふまえつつ、企業側が受け入れやすい制度を検討していく必要がある。
以上
*参考:排出権購入に関するコメント
以上のような手順となるのであるが、そもそも1番目で売り手・買い手が「何かしらの方法」で接触しなければならない時点でかなりの違和感があった。GHG-TRADE.comは標準契約書を取り交わした相手でなければ名前が表示されないため、事実上、マッチングサービスとして機能していない。今回は取引参加者A社が接触してきてくれたので排出権を購入できたが、私が本事業の参加者へ電話をかけて売って下さる事業者を自力で捜さなければならない事態もあり得た訳である。
- コメント<1>:エネルギー管理指定工場であれば、エネルギー管理者の方がいるので、通常業務で収集しているデータを活用して算定報告書を作成できる。ただし、排出源ごとにデータをまとめなければならないなど、手間がかかった。
- コメント<2>:認証機関による検証はデスクレビューとデータセンターでの現場確認の2つの作業により構成されている。デスクレビューは事前に算定報告書のベースとなる資料(集計エクセルシート等)を送付してチェックを受ける。データセンターでの現地確認は、電力会社等から受け取った納品書・領収書の確認と未計上の排出源が無いかの確認、計測メーター類の校正方法の確認などかなり細かいチェックを受ける。製造業などの工程が複雑で熱と電気の使い方のバリエーションが広い工場ではかなり大変な作業になる。
- コメント<3>:前年度に超過しそうであるとの報告は受けていたが、200トンほどの超過となり、この時に初めて排出権取引を意識した。排出権を意識したこともあり、2005年度よりログイン可能であった登録簿システムに初めてログインし、当社に割り当てられた排出権を確認した。この段階ではまだ、危機意識は希薄であった。
- コメント<4>:コメント<2>と同様。ただし、算定報告書の様式が2年前とは変わっており、そのため新規に記入する項目が増え、手間も増えた。ただし、2回目と言うことで検証作業自体は滞りなく終えられた。そろそろ排出権取引に向けて動くためにGHG-TRADE.comへ申し込んだもののログインして、取引実績を見ても売り・買いのどちらも全く成約しておらず、マッチングサービスが機能していないことを知った。取引が低調だとは聞いていたが、ここまでとは想定していなかったため、だんだんと焦り始めてきた。
- コメント<5>:GHG-TRADE.comが役に立たず、困っているところに丁度良く排出権を仲介する取引参加者A社からの電話があり、仲介可能であるとのお話しを頂いた。同時に三井住友銀行が信託を使って京都メカニズムの排出権の排出権取引を始めていたことから、この仕組みを使って京都メカニズムの排出権を調達することも検討し始めた。この時期は一時的に楽観視状態に戻り、どこかからは排出権が買えるだろうと思っていた。
- コメント<6>:国連のITL(注4)稼働が大幅に遅れていることから京都メカニズムの排出権を利用することは難しい状況になった。こうなると自分で排出権を売ってくださる事業者を捜すか取引参加者A社から購入するかの2つしか選択肢は無くなった。検討の結果、取引参加者A社より購入することを決定し、事務手続きを迅速に進めることになった。この時点では京都メカニズムの排出権が利用不可になり、かなり焦ることになった。しかし、取引参加者A社から価格と数量を具体的に示して頂き、購入に向けて一気に動くことになった。
- コメント<7>:一般的なイメージでは、GHG-TRADE.comというマッチングサービスが用意されているのであれば、排出権取引も株式取引と同様に売りたい人と買いたい人の価格・数量での希望が一致すればその時点で約定になり、売買が成立すると考える。しかし、今回の自主参加型国内排出量取引制度では、環境省が用意したシステムを利用すると非常に面倒な手続きをふまないと売買は出来ない。その流れは以下の通り。
1) 売り手・買い手が「何かしらの方法」で接触し、排出権取引をすることに口頭あるいは簡単な書面で合意する
2) GHG-TRADE.comへ売り手・買い手それぞれが利用申し込みをする。利用申し込みには登記簿や印鑑証明が必要
3) GHG-TRADE.comから許可を受け、マッチングサービスの利用が可能になる
4) GHG-TRADE.comが用意した標準契約書を売り手・買い手が取り交わす。契約には登記簿や印鑑証明が必要
5) GHG-TRADE.comにて買い手が買いの注文を出す(当社の場合200トン)。それに売り手が注文を入れ、GHG-TRADE.com上での約定となる
6) 約定後、売り手から「通知書兼売買契約成立確認書」を買い手に2部送付。受け取った買い手は捺印し、売り手に1部返送
7) 売り手と買い手の間で代金の決済について協議を行ない、通常の銀行振り込みで決済
8) 登録簿システムにて売り手から買い手へ排出権が移転(当社の場合200トン)される
本事業で行なわれた排出権取引24件の内、GHG-TRADE.comを使った取引が約半分の13件で取引量は全体の2割強であったことはGHG-TRADE.comが機能していなかったことを示している。当社についてもGHG-TRADE.comを利用する積極的な理由はなかったが、取引参加者A社側の要望もあり、結果的に利用することになった。環境省の用意したスキームを使うことで排出権取引がかなり煩雑になった印象を持った。
- 注1 キャップ・アンド・トレード:
- 二酸化炭素排出量の削減方法の一つ。各企業あるいは事業所単位で1年間に排出できる二酸化炭素量に上限値(キャップ)が設けられ、それを達成できない場合は罰金等の罰則が科せられる。補完的な仕組みとして、上限値まで二酸化炭素排出量を減らすことが出来ない企業は、他の企業から排出権を買って(トレード)自社の上限値を引き上げる事が出来る。理論的には最小の費用で目的とする二酸化炭素削減量が達成できる。一方で、どのように決めても上限値を巡って企業・事業所間に不公平感があるなど制度としての課題も指摘されている。
- 注2 EU-ETS:
- EUにおいて実施されている排出権取引制度。EU全体で約11,000の事業所・施設が政府から二酸化炭素排出上限量を決められている。
- 注3 東京都気候変動対策方針:
- 東京都環境局ウェブサイトからPDFファイルがダウンロード可能。 http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/sgw/
- 注4 ITL:
- 京都メカニズムの排出権を移動させるためのシステム。例えば中国の企業が持っている排出権を日本に移動させるには、中国→ITL→日本という順番になる。現在、ITLの稼働が遅れているため、排出権は国連の暫定的な口座に一時的に保管されている。