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コラム「研究員のココロ」

経営管理の本質を考える
~新たな動機づけモデルのヒント~

2008年03月17日 鈴木 和也


1.経営管理とは

 「経営管理」とは実に奥が深い。その定義一つとって見ても人によってバラバラであり、その考え方や仕組みについても会社ごとに異なっている。
 筆者は経営管理を「PDCA」と同義語として扱っている。つまり、経営管理とは「コーポレートと呼ばれる経営者や管理部門が、経営ビジョン実現に向けて経営計画(P)を策定し、各部門の活動実績(D)を定期的に把握・評価(C)するとともに、改善に向けた対策(A)をフォローする」ことと定義している。
 日本では一般的に予算を軸に経営管理を行っている会社が多い。最近ではBSC(バランス・スコア・カード)の考え方などを用いて非会計データも含めた「業績」を軸に経営管理を行う会社も増えつつある。
 経営管理の仕組みを議論するにあたっては、次の3つの論点がある。

[1] 経営管理のあり方(管理体系やレポーティングルートなど)
[2] 経営管理手法(予算管理、組織業績評価制度など)
[3] 経営管理のインフラ(業務・システム)

 経営管理のあり方やインフラについては、企業の規模や業種・業態、グローバル化度、戦略やビジネスモデルなどによって千差万別であり、経営管理手法についても経営者の考え方や社風が大きく影響する。しかしながら、経営管理のそもそもの目的に立ち返れば、「機嫌良く仕事をやってもらう」ために各部門に属するヒトをいかに“動機づける”かがポイントになる。
 この“動機づけ”に関しては、組織に属するヒトが日本人であるならば、欧米とは異なる何かしらの日本のスタンダードモデル、つまり「日本流動機づけモデル」が見出せるのではないかと筆者は考えている。

2.“動機づけ”に関する原理原則論

 古典的経営学者であるチェスター・バーナードは、「経営者の役割(1938年)」の中で“誘因の経済”という理論を展開している。
 誘因の経済とは、「組織と個人とは誘因と貢献の交換関係にあり、個人は“誘因>貢献”の場合のみ動機づけられ、組織に貢献する」という理論である。
 この理論は、よくよく考えてみれば至極当たり前の事ではあるものの、筆者が学生だったころ非常に感銘を受け、未だに所属組織のマネジメントや経営管理領域のコンサルティングの基本原則として心に留めている。
 では、組織は個人から最大の貢献を得るためにどのような誘因を与えれば良いのか?
 これについても心理学者マズローの五段階欲求説に立脚すると、生理的欲求や安全の欲求が満たされているとするならば、組織は個人に「組織帰属の欲求」を満たした上で「自我の欲求」や「自己実現の欲求」を満たせば良いことになる。

3.“動機づけ”の限界?

 営利企業はゴーイング・コンサーン(継続体)として存続していくためには、資本コストを上回る利潤を獲得し続けなればならない。そのため、経営者は存在意義(ミッション)を明らかにし、ありたい姿(ビジョン)を描き、経営目標を掲げ、そして目標を達成するための戦略を立案・遂行して行く。
 “協働”を余儀なくされた経営者(リーダー)は、組織に属する個人から最大限の貢献を獲得するために個人を動機付け、行動を促し、そして管理することを求められる。さらに個人の絶対数が多くなればなるほど組織単位が増え、組織管理(=コーポレートによる経営管理)が必要となる。
一般的に、日本企業では、経営者は各組織の行動のベクトルを合わせるべく、ビジョンを共有化し、経営目標を掲げ、その経営目標を組織内でリンケージさせ、各組織に対して業績目標や予算で縛りを掛けながらPDCAを回し、最終的には業績目標や予算の達成度で組織を評価する。さらに進めばそれを個人レベルの目標管理制度(MBO)まで落とし込み、人事評価・処遇にまでリンケージさせる。(いわゆる成果主義型業績評価制度がこれに該当する)
 しかしながら、このような組織業績評価制度は、組織に属するヒトを感情や意思を持たない単なる経営資源と考えれば理論的には正しい。しかしながら、ヒトは機械や建物などの経営資源とは異なり、それぞれ感情や意思を持つため、大なり小なりどうしてもコーポレートと部門または部門間の信頼関係が崩れ、結果として硬直的な組織になり、拝金主義的な組織行動を促してしまうリスクが高くなる。(合理主義的な欧米人であればうまく機能するかも知れないが・・・)
 また、組織目標と個人目標が一致している場合であれば当然問題ないが、一致していない場合、バーナードやマズローの理論に立脚すれば、個人の貢献を最大限に引き出すことは難しくなる。特に技術職や専門職はその傾向が強くなると想像できる。
 世の中では成果主義の弊害が叫ばれ、現実的に会社内格差を生み、多くの従業員がモチベーションを落としていると言われている。ロングテールの理論を持ち出し、逆説的に「上位2割の従業員を動機づけられれば8割の成果を生み出すことができる」と考えることもできるが、果たしてそれで良いのだろうか?

4.“祭り”の意義を考える

 筆者は、日本流動機付けモデルを考えるにあたって、“祭り”に着目している。
クラスやサークル、クラブと活動組織は違えども、文化祭で学生はなぜあれほど盛り上がることができ、寝食を忘れるほど組織に貢献できるのか?
 強制的または自然発生的にリーダーが生まれるとはいえ、そこには企業でいう権限・責任論とは無縁の世界であり、テーマ設定やコンセプト設計から役割分担や行動計画立案および運営に至るまで、組織が能動的に誘因を与えている訳ではなく、ほとんど個人の自発的な貢献に依存している。中には積極的に参加することを放棄する輩もいるが、大多数の個人は文化祭という活動に程度の差こそあれ貢献する。
 では、彼らは何によって動機付けられ、バーナードの言う「誘引>貢献」という状態に導かれるのか?筆者は仮説として次のように考えている。

仮説【1】:祭りという“ハレ”の舞台が個人間のコミュニケーションを活性化させ、組織帰属の欲求が満たされるのはもちろんのこと、お互いの信頼関係が構築される。

 日本のかつてのムラ社会を例にとっても、夏祭りや収穫祭などの“ハレ”の日があることで、農民は種蒔きから刈り取りまでの辛く、厳しい“ケ”の日々を耐え、お互い助け合うことができた。

仮説【2】:自我の欲求や自己実現の欲求を満たすために、それぞれ異なる活動の目的や動機を自らが設定して行動している。

 筆者の過去の経験を紐解いても、文化祭においては必ずしも組織目標を意識せず、自らが自らを動機付け、結果的に自分が達成感を得ることができた。例えば、Aさんは好きな人に自己をアピールするために献身的な自分を演じるかも知れないし、Bさんは純粋に学生時代の友達との良い思い出作りのために行動しているかも知れない。

5.“日本流動機づけモデル”のヒント

 「管理」と「自立」は相反する関係にあり、それを両立させることが経営管理の本質である。業績目標や予算の達成を目指して疲弊する部門を制度以外で動機づけることができれば、管理と自立は両立できるかもしれない。
 そのためには、例えばBSCの考え方を用いるなどして、業績評価制度を見直すという方法もあるが、筆者がここでご提案したいのは「仕掛け」でカバーするということである。
 一昔前の日本企業は、家族的経営が特徴と言われ、終身雇用と年功序列型人事・賃金制度で忠誠心を醸成し、経営者と部門(個人の集合体)は信頼関係を維持し続けることができた。しかしながら、現在では、組織業績評価制度や成果主義型人事・賃金制度のもと、欧米企業のように経営者と部門はドライな関係になり、信頼関係も失われつつある。
 このような状況下で従業員は疲れ切り、業績のためには不正も厭わないという考え方が生まれるかも知れない。現にそのような不祥事が多数見受けられる。
 ここで誤解しないでいただきたいのが、組織業績評価制度や成果主義的人事・賃金制度に問題があると主張しているわけではないということである。筆者もコンサルタントとして数々の企業にこれらの制度を提案している。むしろドライになり切れない日本人のためにこれらの制度による弊害をカバーすることが重要ではないかと考えている。
 つまり、「信頼関係」を構築し、自らが進んで行動するための仕掛けとして全従業員が参画できる「祭り」を催してはどうだろうか?具体的には、福利厚生の一環として古くから催されている運動会や社員旅行などもそれに当たるが、欲を言えば直接的、間接的に行為が業績に反映される「イベント」が理想的と言える。
 ある会社(小売業)の例を挙げると、その会社は年1回一流ホテルを貸し切り、お客様を招いてイベント(パーティー)を開催している。イベントの企画・運営は全従業員で、お客様はそのイベントにその会社で購入した物品を身に付けて出席する。従業員にとっては正に「祭り」で、お客様にとっては購買意欲を動機づけられる「機会」となっている。
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