Sohatsu Eyes
現実的な最適点の罠
2007年12月18日 市川 元幸
京都議定書の第一約束期間入りまであと半月となり、ポスト京都議定書の枠組みづくりに関する議論も加速し始めている。このような情勢下、11月12日付ウォールストリートジャーナル紙は、『先進諸国での消費に由来するCO2のことで、なぜ中国が責められるのか』と題する興味深い記事を掲載している。内容は、輸出品の生産から生じるCO2を削減する責任は、「生産国」ではなく「消費国」が負うべきではないかという問題提起についてである。
記事のなかで、中国外務省報道官の秦剛氏の「消費国責任論」を支持する旨の発言が紹介されている。記事中の試算によれば中国のCO2排出量の23%が輸出品生産から生じているという。世界で売れているアップルのiPodも大半は中国製だそうだ。高成長の維持を必要としている同国にとって、「消費国責任論」は好都合な考え方であるに違いない。
もっとも、中国にとって、「消費国責任論」は両刃の剣である。先進国が「消費国責任論」に“真面目に”対応しようとすれば、中国からの輸入品に高関税をかける、あるいは中国への生産拠点移転に制限を加えることが正当化され得る。そうなれば、中国にとって、輸出や外資導入が妨げられ経済成長への悪影響が大きくなり過ぎる。
結局、中国としては、「消費国責任論」は戦術にとどめ、高成長を保てる範囲でエネルギー効率改善の努力義務を負うと妥協するのが得策となろう。同様の考え方が、先進国側にも当てはまる。先進国は全主要排出国の参加を目指している。「共通であるが差異ある責任」を強調する中国の参加を得ようとすれば、「差異」を認めて妥協するのが現実的な最適解であろう。
問題の所在は、こうして到達する現実的な最適解が、気候変動の暴走を阻止する限界点の内にあるとは限らないことである(むしろ両者は無関係だろう)。気候変動の暴走を阻止するという本来の目標に到るには、第一に妥協点でのCO2の増減試算値を明らかにする、第二にその水準での気候変動についての科学的知見を広く共有する、そのうえで最終的には、種の保存本能に根ざす賢明さを信じて温暖化緩和の努力を継続するしかないのであろう。
※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。