コラム「研究員のココロ」
今問われる「ロボット工学三原則」のココロ
2006年12月04日 石塚 冬樹
1.新たなロボットブームの到来
世の中、ロボットブームである。次々に新しい機種が開発され、毎日のようにロボット関係の情報が新聞、TV等に取り上げられている。何回目のロボットブームだろうか。
1980年代初頭から、自動車や電気機械の製造業において、ユーザーと一体となったロボット開発・普及がなされ、大量生産・大量消費による日本の高度成長を支える原動力となった。時代は進み、価値観の多様化に伴う小品種多量生産から多品種少量生産への移行にも、ロボットは大きな貢献をした。現在では、ロボット出荷台数、稼働台数とも世界ナンバー1で、日本は文字通り「ロボット大国」となった。
今回のロボットブームは、これらのロボットブームとは体質を異にする。過去のブームでは「製造業用ロボット」、すなわち人間の腕を模したアーム型ロボットが3K労働の代替、生産効率向上、品質向上等のために導入された。今回のブームは、非製造業用の「サービスロボット」によるものである。特に人間との共存を目指したロボットを「パーソナルロボット」という。
2.サービスロボットへの期待
ホンダのASIMOは時速6kmで旋回走行し、災害現場で生存者を探索するレスキューロボットに開発者が技術を競い、高齢化社会を反映する介護ロボットのニーズはますます増大し、ギネス認定の世界一の癒し系ロボットさえ出現している。これらのロボットは、周囲の状況変化を感じ取るセンサを備え、より高度な処理と自律的な行動を実現している。ロボットの裾野は広がり、さまざまなロボットコンテストが行われ、10万円を切るような二足歩行ロボットも発売されている。機械好きの少年・少女の自作対象は、かつて(大昔)の五球スーパーから、ステレオアンプ、マイコン・パソコンとかわってきている。この勢いでいくと、パソコンのアキバは、数年後には「ロボットのアキバ」と化すであろう。
日本の産業再生のグランドデザインともいうべき「新産業創造戦略」でも、ロボットは4つの先端的な新産業分野のひとつとしてとりあげられ、2003年の市場規模5,000億円に対し、2010年には約1.8兆円、2025年には約6.2兆円の市場規模を展望しており、この増加分のかなりをサービスロボットに期待している。ちなみに現在のサービスロボットの市場規模は全体の1~2%といわれており、サービスロボットは今後、飛躍的な展開をとげてロボット産業全体を引っ張っていく役割を期待されているのである。
3.サービスロボット発展の課題
(1)安全性の確保
しかし、話はそのように思惑どおりいくであろうか。サービスロボットが社会に浸透していくには大きな課題がある。それはロボットの安全性を確保するとともに、ロボットを社会に受け入れるにあたっての国民のコンセンサスをいかに得ていくかである。工場の中で柵に囲まれ自動停止ボタンがついた製造業用ロボットでさえ、まれに事故を起こすことがある。ましてや公共の場や家庭にそれなりのサイズと重量のあるロボットが導入された場合、求められる安全性のレベルは製造業用ロボットの比ではない。ロボットはいわば鉄のよろいを着たコンピュータである。パソコントラブルにあったことのない幸せな人が一体この世にいるであろうか。公共の場や家庭においては、ロボットの置かれる環境は工場とは比較にならないほど多様であり、生活密着型のロボットでは、そのソフトやハードの不具合が人身事故につながる可能性も高くなる。
もちろん安全性についての議論がされていない訳ではない。先年の「愛・地球博」の会場では、5分野9機種のロボットに実際に対人サービスをさせながら実証実験が行われた。実証にあたっては安全性の審査が行われ、ロボットの安全性を確認している。その際、安全性ガイドラインが作成されたが、その趣旨は「事故は絶対に防げない」、「ロボットのリスクを認めつつ、そのリスクを最小化するとともに、そのベネフィットを認めてロボットを社会に迎え入れる」という考え方である。
(2)受入れ環境の整備
安全に対する考え方には欧米と日本では大きな差がある。端的にいうならば、今回の考え方は欧米流である。日本では「事故は人間の努力により必ず再発防止できる」という思想が一般的である。事故やトラブルに際して責任者が口にすることばは、必ず「再発防止に努めます」である。失敗に学ぼうという「失敗学」がもてはやされるのも、そうした日本の風土と無関係ではない。筆者は、過去にモノづくりを通じて数多くトラブルや事故を体験し、「事故は絶対に防げない」という考え方に実感を持って共鳴する。人間の能力や組織力の限界をひしひしと感じる。しかも日本ではモノづくり能力自体が低下しつつあるといわざるを得ない。そのような状況下で、「ロボットの事故は絶対に防げない」という考えのもと、ロボットを受け入れる環境を整えていかなければならない。
現在、サービスロボットの安全規格は手つかずで、安全性を確認する機関ももちろんない。ロボットを公道で使用できるのは、現在ではロボット特区だけである。やがてロボットは公道に出、家庭に入り込んでいく。自動車と対比して考えてみよう。道路交通法、自動車教習所、車検、自動車保険、整備工場、・・・・、普及するには本体をとりまくいろいろなバウンダリー作りをしなければならない。ある程度、タマが揃ってきたら自然にできていくという考え方もあるが、そろそろその時期が到来しつつあるのではないだろうか。そのリーダーシップは、生みの親であるロボット開発者自身こそが担うべきである。
4.案じられるロボット技術の行方
最近、日本の優れたロボット技術やサイボーグ技術が軍事転用される可能性について警鐘が鳴らされている。技術者はともすれば、自分の役目は技術を開発すること、その利用の仕方を決めるのは社会というスタンスに立ちがちである。しかしそのような結果、人間に危機をもたらす科学技術の産物がいくつも生まれたことを思い起こすべきである。ロボット技術はそれだけのインパクトを持っている。ロボット技術、サイボーグ技術が急速に発展する今こそ、人類がこれらの技術をどのように使っていくかを徹底的に議論すべきである。
作家アイザック・アシモフは、50年以上も前に「ロボットは人間に危害を加えてはならない(ロボット工学3原則第1条)」と唱え、来るべき人間とロボットの共存社会への危惧を表明した。まさに今そのココロが問われている。アシモフの慧眼にはただ驚くばかりである。