コラム「研究員のココロ」
すべては組織風土の変革のために(4)~ リーダーの危機感 ~
2006年11月06日 水間 啓介
1.リーダーの危機感
変革を成し遂げるにはリーダーの危機感が必要である。ここでローマの賢人3人にご登場頂こう。カエサル、アウグストゥス、ハドリアヌス。歴史上登場する順番も知名度もこのとおりと考えるが、変革を成し遂げたリーダーという観点ではやや順番は異なると考える。結論から先に申し上げよう。カエサルのように力(権威)で変革を成し遂げようとしてもうまくいかないし、ひとり悶々とあるべき論を論じても支持を得られなかったハドリアヌスのやり方ではうまくいかない。アウグストゥスのように人心を掌握するようなやり方で、すなわち人々に夢を抱かせるようなやり方で行うことが必要であると考えるがいかがであろうか。
(1)ルビコン以後の成功体験により見失われた(?)、ローマ独裁官カエサルの危機感
ローマ執政官の任期切れによる権力喪失が目前に迫り、政敵ポンペイウスとの権力闘争による一族の身の危険から危機感が募る中、劣勢を挽回するべく“ルビコン川を越えて”ポンペイウスを打ち負かしたカエサルであったが、危機感の反動として強大な権力を手中にしようとしたことから、元老院による暗殺という悲劇へと繋がってしまった。元老院の意見に耳を貸さず、絶対的権力を誇示して元老院の不満を無視して改革を進めようとしたために改革は挫折した。
(2)カエサルを継いだ、ローマ初代皇帝アウグストゥスの危機感
アウグストゥスは初代ローマ皇帝として、その後400年に及ぶ帝国の礎を築き、パクス・ロマーナ(ローマの平和)をもたらした偉大な皇帝であると歴史は教える。カエサルほど雄弁でなく、カリスマ性のなかった彼が、カエサルがなし得なかったことをなし遂げることができたのは、実務家としての優れた能力があったためであろうが、何よりもカエサルが元老院で暗殺された事実から得た危機感により偉業を成し得たと言われている。理念が優れていても元老院の反発を招くようなやり方では目的を達成できないということを身にしみて理解していたのかもしれない。民衆からの支持を勝ち取りながら改革を次々と行い、200年間戦争のない世の中をもたらした。
(3)元老院に届かなかった、ローマ皇帝ハドリアヌスの危機感
ハドリアヌス(ローマ五賢帝のひとり)に民衆が期待したのは、領土拡大によるローマの更なる繁栄であった。帝国各地を視察し帝国の状況をつぶさに見て歩く中で、ローマの繁栄の中に衰退の兆候を見いだし、これ以上の領土拡大はローマの衰退を早めることになると悟った彼は、防衛のために軍事費のかかるダキア(今のルーマニア)の放棄を元老院に提示する。しかし、これほど国力が充実しているのに先帝トラヤヌスが獲得したダキアの放棄などとても考えられなかった元老院との間で確執が生じ、民衆の支持を取り付けた元老院の前に撤回せざるをえなくなった。かつてローマの領土拡大に貢献した将軍であった元老院議員はローマに居てローマの繁栄を謳歌し、成功体験の中にどっぷりとつかってしまっていた。成功体験による呪縛を解き放ち、好調の時から健全な危機感を抱いて変革を成し遂げることの難しさを、ハドリアヌスの史実は語りかけてくる。
2.変革への抵抗勢力にどう向き合うか
世界の歴史を振り返ると、大国の崩壊はきまって内部の闘争による亀裂が先に生じてから外部から攻め込まれるという歴史が繰り返されていることに気づく。“内憂外患”というが、まさに先に内部の崩壊が起こり、それから後に外部からの侵攻を受けることを指し示している。アレクサンダー大王の死には毒殺説がつきまとう。大王の理想にもはやついていく気力を失い、そして自らの帝国を持ちたいと考えて大王の毒殺を図った将軍が、帝国の内部にいたという話である。織田信長の本能寺の変についても、明智光秀が信長の野望ややり方についていけないと感じて引き起こされたという話である。歴史は雄弁にさまざまな局面での変革や改革に対する人々の反応とその結末を物語るものである。
どんな変革にも必ず内部に抵抗する者が存在する。変革の必要性についての危機感に温度差が生じるのが通常である。すべての権益を投げ打ってでも変革が必要だと考える人がいる一方で、自分は変わる必要はないと考え、自分の権益を守りながら変革を他者に求めようと考える人もいる。“総論賛成、各論反対”というよく耳にする言葉があるが、一般論つまり総論では我が身の利害に直接関係しないため、変革に対する温度差は表に現れないが、具体論つまり各論になると我が身の利害に関係してくることから、変革に対する温度差が隠れた抵抗勢力を生み出す。組織変革を推進する者は、制度がうまく設計できたかといった方法論だけではなく、むしろ組織における人々の感情の起伏に目配りし、変革のスピードの調整や方向転換を行うことはあっても、一旦停止することのないように注意をする必要があろう。一旦停止すれば、決まって元の木阿弥となって、せっかく努力を傾けて行った変革は後退する結果となる。変革の再開を求めても、一旦失われた変革への意欲を取り戻すことは容易ではない。
小泉前首相によって明らかな抵抗勢力が一蹴されたことは記憶に新しいが、隠れた抵抗勢力の存在には注意が必要なのだろう。今年9月の組閣後に行なわれた安倍首相の演説の中に、「改革を少し休んだらいいのではないかという声があるが、私はむしろ構造改革を加速させ補強していきたい。」という話があった。まさに改革への隠れた抵抗勢力の囁きに対して、きっぱりとその流れを断ち切ったエピソードといえるのではなかろうか。
【参考図書】
青柳正規「ローマ帝国」(日本放送出版協会)
塩野七生「ローマ人の物語Ⅵ」(新潮社)
水間啓介「すべては組織風土変革のために」(企業研究会「Business Research No988/2006.9」)