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コラム「研究員のココロ」

キャリアの自律性向上に焦点を当てた人事施策<前編>

2005年11月21日 君島 一雄


1.成果主義人事制度のこれから

 90年代以降における日本企業の人事制度改革は、各社が一斉に成果型の評価制度や賃金制度を導入する方向で推移し、その主目的は賃金水準の適正化にあった。現在、成果主義人事制度導入の流れは一段落し、その次を模索する時期に来ている。
 これまで導入してきた成果主義人事制度に対して、今日、「評価者の評価能力を高めるべき」「目標管理制度の実効性を高めるべき」「評価のプロセスを透明にすべき」など、運用の改善を求める声が多いものの、成果主義そのものを見直そう、元に戻そうといった動きはほとんどみられない。運用面で問題があるとはいえ、処遇の公平性や公正性の観点からみた場合、成果主義はやはり合理的で有効な制度であるからである。むしろ今後は、これまで成果を重視するあまりおろそかにされがちだった、社員の能力開発やモチベーションアップなどの観点を、いかにして成果主義人事制度の中に盛り込んでいくかについて焦点を当てるべきであろう。


2.社員の成長と企業の成長

 社員の成長と企業の成長とを両立させるために、社員のキャリアの自律性向上を支援しようという動きがある。つまり、社員のエンプロイヤビリティ(雇用されうる能力)と会社のエンプロイメンタビリティ(社員の能力を高めることができる力)の双方を高めようという考え方である。
 これはとりもなおさず、社員のキャリア開発を促進するということであり、社員本人からみれば、自ら主体的・自律的にキャリア開発を行っていくことであるし、会社からみれば社員のキャリア開発を支援していくということである。
 しかしながら、これまでキャリア開発とかキャリアの自律といった言葉が多く語られてきたにも関わらず、実際には、キャリア開発は社員が自ら自覚して行うべきものとされてきた面がある。つまり、会社側(経営側)の問題としてはあまり認識されてこなかったのである。また、会社の中にキャリア開発室などのような部署が設置された場合でも、実態としては、会社が事業構造の再構築や再生などを行っていく過程において、主に中高年を対象とした人員整理などと連動した形で再就職支援を行うといったように、会社側の一方的な都合により行うネガティブな行為をキャリア開発の名の下で行ってきたというケースがこれまでみられてきた。
 本稿では、全ての年代の社員を対象とした、会社と社員の双方にとって有効な本来の意味でのキャリア開発をいかにして進めていくかについて述べてみることとする。


3.専門能力開発という視点での成長の問題

 心理学・精神分析学の大家であるエリクソンによれば、人が成長する過程(エリクソンは体制化過程と言っているが)は、生物学的過程、精神的過程、共同的過程によるものとされている。これを別の言葉で言うなら、身体的プロセス、心理的プロセス、社会的プロセスという表現に置き換えることができよう。
 さらに、これをキャリア開発という視点でとらえ直すと、対象となるのはあくまで10代後半以降の社員の成長であるため、身体的プロセスについての考察は省略することができる(正確には中高年以降のキャリアにおいては加齢による身体機能の低下がキャリアに及ぼす影響を考慮する必要があるが、ここでは省略することとする)。したがって、本稿では社員のキャリア開発を心理的プロセスと社会的プロセスの二つでとらえることにする。
 日本企業においては、終身雇用という雇用慣行の中で企業内教育(OJT中心)を行ってきたという現実があるので、日本のキャリア開発における社会的プロセスとは、企業が主体となって行う仕事を通じての教育と考えてよい。企業間の転職、つまり異なる会社での経験を繰り返しながら個人主導でキャリア開発を行っていく過程で受けていく影響も社会的プロセスではあるが、まだ多くの企業や個人が終身雇用の意識を捨て切ってはいないという現実を踏まえて、本稿では、社会的プロセスを企業内でのキャリア開発とほぼイコールのものとして扱うこととする。
 さて一般的には、新入社員は、入社後の一定期間は会社から与えられた仕事に習熟することにより能力開発を行っていく。大企業であれば、さらに部門内及び部門間での定期的なローテーションを通じて様々なスキルを獲得すると共に、全社的な観点で判断し行動する術を身につけるようになってくる。特に最初の一定期間(例えば10年間程度)は、新人・若手は配属先あるいは配置転換された職場において、その職場がそれまで蓄積してきたノウハウや関連スキルを現実の仕事を通じて学習していく時期である。
 しかしながら、新入社員も入社して10年が過ぎて中堅社員ともなると、そうした学習を続けていくだけでは限界に達してしまう。なぜなら、職場の知恵やノウハウを学ぶだけでは業務の改革や新たな付加価値の創造を行ったりすることは困難であるからである。この段階で漫然と担当業務を行っているだけでは、身につけることのできる能力は、せいぜい与えられた業務を効率的に処理する能力や社内での人間関係を処理する能力などに限定されてしまうのである。
 ところが現実には、多くの社員が「業務処理能力や社内調整能力には長けているが、特に強みといえるような専門能力を持たない“総合職”」に過ぎないという事態が各企業で起きている。多くの企業が「変革ができない」「新たな価値を創造できない」といった課題を抱える原因の一つとして、このような社員の専門能力の欠如という問題を挙げることができるのではないか。


4.生涯発達課題という視点での成長の問題

 この専門性の欠如という問題に加えて指摘できるもう一つの重要な問題が、生涯キャリア発達課題の視点でいうところの、各年代毎の発達課題の問題である。特に、神戸大学の金井教授が強調するように、「中年期(40代以降)の危機」が大きな問題として指摘されているので、以下、この「中年期」について話をすすめていくこととする。
 この「中年期」に対応する、エリクソンの漸成説での発達段階が「成熟期」であり、そこでの発達課題が「世代性(生殖性)」と言われるものである。「中年期」においては、社員は会社の中でのポジション(役割)が経営層と一般社員層との中間に位置するという点で文字通り中間管理職であると同時に、人生においても中間点に位置している。
 人生の中間点に位置することは、これまでの人生を振り返ることにより、これまでの人生の中での失敗や教訓などを客観的に振り返ることができると同時に、これからも自分自身のため、社会のために貢献していける年代に位置しているということでもある。つまり、過去の経験からの教訓を自分自身のためだけでなく、次の世代にも残していこう、後に続く人たちにも役立ててもらおうという意識が持てるようになる年代である。こうしたことができるようになり、中年期での発達課題である「世代性(生殖性)」の課題をクリアできるのである。逆に、その課題がクリアできない状態が中年期での「停滞」であると言われている。
 そしてまた、中年期にある社員の多くは組織の中において中間管理職として活躍している人材でもある。今日、組織がフラット化してきて、この年代においてラインの管理者としての役割を担わないケースも増えてきているが、こうした場合でも、メンターとして後輩を指導したり、職場の中での要としての役割(すなわち、同年代あるいは年少のラインの管理職の補佐役として、あるいは若手・中堅の指南役として、さらには職場の規律や風土を維持・改善する際の模範生として)を担うことができるのである。つまり、ポスト(及びそれに付随する権限や権威)以外の要素でも周囲から一目置かれ、重宝がられ、本人も日々生きがいを感じることのできるキャリアを歩むことが可能な年代なのである。
 こうした管理職としての意識、あるいは管理職を手助けしたり後輩を指導しようというする意識を持てない状態で中年期を通過する場合に、中年期のキャリアプラトー(キャリアの停滞)という問題が顕在化するのである。もし、中年期以降になっても、「誰よりも自分が目立ちたい」「自分の成果を周囲に誇示したい」という意識から卒業できない(人によっては部下の成功を横取りしようとする管理職さえいる)ようなら、その人の成長は停滞していると言わざるをえない。
 新人・若手時代と中年期に限定して話しを進めてきたが、これまで述べてきた通り、キャリア開発の問題は本人の専門能力の欠如と各年代毎の発達課題が克服できていないという2つの面からとらえることができる。前者は、多くの企業において、社員が自らの能力開発を業務処理中心で会社依存で行ってきたツケが本人に(そしてその結果として企業にも)回ってきたこと、後者は、入社してから(あるいは入社する以前も含め)、20代⇒30代⇒40代⇒・・・と続く、各年代毎の発達課題をクリアできなかったことによるものといえる。
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