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Sohatsu Eyes

理解に向かう困難

2005年05月24日 瀬戸 和佳子



学会の季節がやってきました。5月から6月にかけてが春季大会のピークで、9月、10月になると秋季大会を行う学会が一般的です。大学街に住んでいることもあり、最近は気になるものが開催されていると、短い時間でも会場に紛れていろいろな学会報告を聞いています。異なる分野の学会報告を聞くのは、各分野の最前線のテーマが分かると同時に、学会ごとの文化や方向性が横断的に見られ、非常に刺激的です。
学会報告の目的は、特定分野の研究者が自分の研究内容を報告し、同僚でもある他の研究者から批判や議論を投げかけられる、という、過酷な場に自分をさらすことにあります。議論の応酬の中で、発表する側と聞く側双方にとって新たな知見が拓ければ、これほど素晴らしいことはありません。しかし現状では、学会報告の場がそのような実りある場になることが難しくなっていると感じられます。

その大きな要因が研究分野の細分化にある、ということはよく言われています。討論の枕詞の一つが「私の専門は○○であるため、ご質問に的確にお答えできるかは分かりませんが・・・」です。この時点で答弁をする側の責任は放棄され、応答の当否の判断は他者に任されることになります。一方で、こうした言い分が仕方ないことも多々あります。それは、質問する側が狭量で、自分の専門範囲のことしか知らないため、報告者側の議論に妥当しない前提で質問をするためです。どちらのケースも、もはや当たり前の風景ですが、これらは同じ問題の裏表であると同時に、不毛です。特に研究者にとっては、自らの研究ができるだけ多くの人に伝えられてこそその意義が増すというのに、これでは皆が孤立しているようなものです。

知の新たな地平を切り開くことは、こうした無理解の壁を打ち砕こうとする力、あるいは自分の範疇にないものを理解しようという意欲に支えられるのだと思います。非常に難しいことですが、それこそが知の喜びでもあるのではないでしょうか。その意欲もまた、「創発」という二文字にこめられた力かもしれません。さて、次の週末はどんな学会が開催されるでしょうか。

※eyesは執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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