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コラム「研究員のココロ」

我が国の科学技術シミュレーションの特徴と展開に関する一考察

2005年09月05日 大川理一郎


1.はじめに

 私はこれまで、科学技術シミュレーションを軸に対極的な2つの分野で活動してきました。1つ目は原子力の分野における「安全解析」と呼ばれるものです。原子力というと、アメリカのスリーマイル、旧ソ連のチェルノブイリ、そして我が国でも、高速増殖炉「もんじゅ」、核燃料加工会社のJCO、美浜原発といった数々の事故により、一般の方々からはすっかり嫌われ者のレッテルを貼られてしまっています。しかし、先端科学技術の粋が集結した分野の1つであることは確かであり、このことはシミュレーション技術の面でも同様に当てはまります。原子炉内での原子核反応や流体の熱流動といった物理現象の解明から、事故の可能性を確率論的に評価するリスクマネジメントに至るまで、実に多種・多様なシミュレーション技術を他の分野に先駆けて萌芽させ、確立させ、発展させてきた分野です。
 2つ目はいわゆるナノテクの分野における「ナノシミュレーション」です。こちらは一転して注目度抜群の先端技術として一般の方々にも認知されていますが、原子力分野と比較して歴史も浅く、シミュレーション技術の面でも発展途上の課題を多く含んでおり、全体として産業化が確立されている割合よりも学術研究的な割合がまだ多い分野です。
 産業界(とりわけ製造業)において、技術経営(MOT)や知財マネジメントなどのような“技術”に立脚した企業活動が志向され脚光を浴びてきている中、上記のような、ある意味両極端な2つのシミュレーションの分野に携わってきました私としては、我が国における“シミュレーション”という技術の位置付け、取り組み、方向性に対して色々と考えるところがあります。本稿ではこのことを、徒然なるままに皆様への御相談のつもりで書いていきたいと思います。


2.我が国よりも数歩進んでいる欧米の取り組み

 私が現在、原子力の分野で利用しているシミュレーションプログラムのほとんどは、20年から30年ほど前に欧米の研究所、大学、企業といった様々な機関からのスタッフで構成されたワーキンググループによって開発されたものです。これらワーキンググループの中には、プログラムによって現在でもその活動を維持しているものがあり、新たな解析技術の発展やコンピューターの性能向上に伴って適宜プログラム改良が実施されています。プログラムの中身は実に数十万行のプログラミング言語で書かれており、サブルーチン(プログラムを構成している1つ1つのユニットのようなもの)の数も500以上という非常に巨大なプログラムです。こういったプログラムに触れていると、つくづく(1)数十年に渡って実用されている有益なシミュレーション技術を、(2)複数の機関から集まったスタッフが互いに協力し合い、(3)大規模なソフトウェアとして開発し確立していく、といった体系的な組織運営が欧米は実に上手だな、と感じます。

 似たようなことがナノシミュレーションの分野にも当てはまります。(半)経験的量子化学(量子力学の基本法則に基づいて経験則を織り交ぜ簡略化を図りながら分子・原子の微視的なレベルから物質の特性を解明する)分野において、シミュレーションプログラムの汎用商品化が比較的進んでいますが、やはりその多くがアメリカから輩出されており、プログラムの原型は既に20~30年前に形作られたものが多く存在します。これらはもともと大学の量子化学専攻の教授や研究室によって開発されたものが多く、その後企業にライセンスを譲渡、あるいは教授自身が起業するなどして商用化に進展していった経緯があります。商用化後も市場のニーズを常に反映し、新しく開発された解析機能、グラフィカルユーザーインターフェース等の操作機能、並列計算技術等の大規模高速化機能、等々が次々と追加されていきました。1990年代に入って“ナノテク”という言葉がそこかしこで聞かれるようになり、我が国でもこの分野のシミュレーションプログラムパッケージが発表・販売され始めたのですが、先行している外国産プログラムの圧倒的なブランド力に苦戦が続いている状況かと思います。


3.課題の多い我が国の体制

 一方、我が国の動きに目を向けると、官公庁などの主導でシミュレーション技術の研究開発に関するプロジェクトが毎年いくつか実施されています。しかし、プロジェクトの数だけのプログラムは開発されるものの、広く長く実用され得るものかというと不満が残ります。ましてやプログラムが大規模になったり組織が複数の異種機関からの出身者で構成されたりすると、開発作業の全体統括が途端におぼつかなくなり、最終的にはバージョンアップもユーザーサポートも満足に行われない巨大なソフトウェアのおもちゃが残るだけ、という例も少なくありません。
 私も以前、複数の研究機関(大学、民間企業の研究所、独法の研究所)との共同研究開発プロジェクトに携わったことがあります。我々はシミュレーション技術を商品化、あるいはそこまでいかずとも汎用的なスキルとして確立させることを目指すのに対し、大学や研究所は各自の研究対象としているニーズに完全に合致したシミュレーション技術のみを探求するため、その他の機関のことは我関せずといった雰囲気がありました。こうした両者の意識の溝を埋めてインターフェースを整合させることはなかなか難しく、最終的には各機関の成果の寄せ集めに留まり汎用性に乏しいシミュレーションプログラムに仕上がってしまった、という苦い経験があります。
 これは、各機関に染み付いた因習的な風土を改革していかないと、産学(官)連携の取り組みから有意な成果を生み出すことは困難であることを示す端的な例であり、上述したような欧米における異種機関ワーキンググループの運営や大学研究機関の起業などの豊富な実績をお手本とする体制を整えるべきかと思います。

 またナノテクは、国の科学技術基本計画の中で重要注力分野の1つに位置付けられ、METIやNEDOなどから数々の委託研究開発プロジェクトが立ち上げられています。しかし、その内訳は実験技術に関するものが多くを占めており、ナノシミュレーション技術に資するプロジェクトは散見される程度なのが現状です。ナノテクも“モノづくり”が目的であり、その実験設備に莫大な費用がかかることを考えると致し方のない面もあります。しかし、ナノシミュレーションに関しては、経済団体からその重点投資や基盤整備の推進に関する提言がなされ、また各方面の有識者からも欧米の後塵を拝することなく世界をリードする技術を確立することの重要性を説く声が上がっていることから、もう少しナノシミュレーションをフィーチャリングしたプロジェクトがあっても良いのでは、と思います。
 こうした点では、アメリカのASCI(Accelerated Strategic Computing Initiative)というプロジェクトが大いに参考になります。これは1996年に締結された包括的核実験禁止条約(CTBT)を受け、いわば核実験をシミュレーションによって実現するための技術開発、ならびに基盤整備を実施するプロジェクトであり、毎年数百億円単位で投資が行われています。
 このように、欧米ではシミュレーション技術が重要な1本の主軸要素として認識され注力されており、我が国もこういった動きを注視し後手に回らぬ政策を講じる必要があるかと思います。(もっともASCIでもっぱら目立っているのは、この計画のために作られたスーパーコンピュータのほうなのですが...。数年前我が国最速のスパコンである地球シミュレータと計算速度のランキング(スパコンTOP500)で競り合っていました。)

 さらに我が国の製造業に目を向けると、近年の製品に対する高性能化・ライフサイクルの短期間化にますます拍車がかかっていることを受け、製品開発の省力化・効率化・高速化に大きく寄与するシミュレーション技術は重要な基盤要素として各企業に認識されています。しかし、プレスリリース等でシミュレーション技術をテーマとして発表されている例は、ゼロではないもののあまり多いとは言えず、公開されている企業技報で各々の取り組みの概要が紹介される程度です。この背景として、1つにはシミュレーション技術はあくまでも最終目的物でなく、製品という成果物を生み出すまでの支援ツール、すなわち脇役的な位置付けで「公にするに値しない知財」と見なされていることが考えられます。また1つにはシミュレーション技術には各企業における製品開発過程のノウハウがたっぷり詰め込まれ、特許等と異なり「オープンにできない知財」と化しているものと考えられます。
 このように、シミュレーション技術は研究開発にとって必要不可欠でありながら未だ顕在化し難いものであり、知財マネジメントにおける所有知財の可視化・定量化といった情報開示の観点から課題を残すものと考えられます。また各企業のシミュレーション技術はあくまでも自社内の閉じたコミュニティのものであり、それらを共有・融合して体系化された我が国の技術資産として確立し国際的競争力を向上させる機会を失ってしまっている、という見方もできます。


4.シミュレーション技術の新展開

 以上のような理由で、科学技術シミュレーションは我が国ではなかなか表舞台に立って脚光を浴びることが少ない印象があるのですが、シミュレーション技術が主役をはった革新的な事例として、「金融工学」という分野が1つ挙げられるかと思います。これはNASAにおける宇宙計画の縮小と金融自由化が進行していた1970年代のアメリカにおいて、大量の宇宙開発技術者が金融界に転身して高度な数理技術やシミュレーション技術を導入したのが発祥と言われています。我が国には1980年代後半に上陸し、主にオペレーションズリサーチを専攻されていた研究者やエンジニアにより先導的に着手され、普及の動きが始まったようです。そして1990年代になってかつてのNASA技術者と同じように、原子力産業の停滞に伴い大量の原子力技術者が金融工学分野へ流出、あるいは企業内で金融工学関連の新しいセクションが開設される動きが出て来ました。
 この転身者たちはいわば私の同業者とも言える人々であり、これまで原子力分野で培ってきたシミュレーション技術が、一見まるで畑違いの分野にも活躍の場を開拓していける可能性を示した貴重な例だと思います。このような、少し大げさに過ぎますがいわばシミュレーション技術のイノベーションとも呼べる進化が、我々の持っている技術からさらに芽生えさせることができないか、良いアイデアや各方面の動きに期待を寄せているところです。
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