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コラム「研究員のココロ」

不祥事回避の鍵は「感動体験の積み重ね」にあり!
~不二家の事件を考える~

2007年01月22日 宮田雅之


 不二家の不祥事が連日メディアで取り上げられている。組織ぐるみで不正を行っていたとの非難報道が集中し、社長が引責辞任する事態となった。
 このニュースを聞いて、「雪印」や「パロマ」の事件を思い出した人は少なくないだろう。どうして、こうした企業の不祥事が止まないのだろうか。
 当事件は、単に個別の企業の問題ではなく、多くの日本企業が抱える「共通」の問題に起因しているのではないか、という視点で、不祥事回避のためのポイントを考えてみたい。

頭では分かっているが守れない

 不祥事を起こした企業の人達も、自分達の行っていることが悪いことであることを、頭では解っていたと思う。生活者の安全よりも企業の論理を優先させてしまった企業が、マーケットからの退場を迫られた事例を、ニュース等を通して充分に知っていたはずである。
 では、頭では解っているのに、なぜ不祥事を未然に防ぐことができないのであろうか。その大きな理由は、従業員の「想像力」の欠如にあると筆者は考える。

悪いことでもバレなければ構わない

 「想像力」が欠如していると、他社の事件は所詮「対岸の火事」であり、見つかったのは運が悪かったか、隠し方がお粗末だった、程度の認識しか持てない。「バレなければ悪いことをやっても構わない」「自分さえ良ければ構わない」と言った価値観が、いま日本中に蔓延しているように感じるのは、筆者だけだろうか。
このような価値観を持った人達が企業で働いていると考えると、不祥事が起こることに何の疑問も感じない。むしろ、不正が明るみに出た事例は氷山の一角と捉えるべきかもしれない。
 しかし、このような忌々しき事態を放置していると取り返しのつかないことになってしまう。脱却することは出来ないのだろうか。従業員に「想像力」をしっかり身に付けさせる方法は無いのだろうか。
先日、その解決のヒントをあるメディアを通して見つけたので、以下に紹介したい。

アメリカの刑務所の介助犬育成プログラム

 殺人・傷害・麻薬常習など、凶悪犯達が収監されている刑務所の中で、受刑者が介助犬を育成する「プリズンドッグ」と言われるプログラムが実地されている。
介助犬とは、身体の不自由な方の手足となって日常生活の手助けをするためにトレーニングを積んだ犬のことである。人を介助できる犬を育成することが簡単ではないことは容易に想像できる。しかも、プリズンドッグの犬たちは介助犬として生まれてきたわけではなく、人間に見捨てられた経験を持つ捨て犬や野良犬達である。
犬も、人間と同じように様々な性格の犬がいる。しかも、人間不信という心の傷を負った犬達であり、訓練には長い時間を要する。しかし、何度も語りかけ、寝食を共にすることによって、犬も心を開くそうだ。犬も自らの存在を認められることによって「誇り」のようなものを感じるのだそうだ。
 凶悪犯とは、「想像力」が最も欠如している(していた)人と言える。そんな人達も、この「感動」の「体験」を通して、自らの存在価値を確認し、人としての「誇り」を取り戻すことができるそうだ。事実、当プログラムによって、囚人の再犯率が減ったと聞いている。

「感動」するほどの「体験」が、人の価値観を変える

 この「プリズンドッグ」を知って、「体験」し「感動」することによってこそ、人間の価値観や行動が変えられるのではないか、と筆者は強く感じた。
 法令遵守に関する社内説明会を開催したり、罰則規定を設けた企業の話は時々耳にする。しかし、やって良いこと・悪いことを座学で習っても、それは「知識」に過ぎない。これらの対応だけで済ますのであれば、意地悪な言い方をすると、コンプライアンス責任者の自己満足(自己保身)のための施策を実施したに過ぎない。人の行動を変えさせるためには、これらに加えて「感動」する程の「体験」が必要なのである。

「体験」の機会は、日常でも設けられる

 「感動」する程の「体験」は意図して出来るものではない。しかし、何の「体験」にもチャレンジしない中では、「感動」するチャンスに巡り合うこともできない。
 街を歩きながら色々な店舗や施設を何気なく訪れた時に、それまで机上で長らく悩んでいた仕事の解決策がふと見つけられた経験を、筆者自身何度も「体験」している。つまり、小さな「体験」の積み重ねが、時として「感動」する程の「体験」に結びつくのである。ただ受身でチャンスを待っているだけでは、何も起こらない。
 しかし、多くの企業で「顧客」の立場に立つことの重要性を形式上、謳っていても、「現場」での「体験」の機会を積極的に設けている事例になかなか出会えない。
 過去に、ある大手小売業の幹部社員の方々とお会いした際、「競合する小売店の視察はするが、その店で買い物をしたりしない。何故なら、勤務時間中に買い物をするのと遊んでいると思われてしまうからだ」と言う話を聞いたことがある。後にこの企業では、小売業でありながら、自らが買い物をすると言う「体験」の大切さが、社内で認識されていないことが分かった。しかし、「顧客」と同じ立場に身を置く「体験」をしなければ、所詮「顧客」の気持ちなど理解できるはずがない。身銭を切るからこそ、販売員の対応に憤ったり、丁寧な気遣いに「感動」したりできるのである。

出来ないことを前提とした訓練

 先日、メジャーリーガーのイチロー選手を特集したテレビ番組が放映された。その中で、彼の守備練習の方法が紹介された。彼曰く「外野フライを捕球する瞬間、ついボールから目を離してしまい、エラーしてしまうことがある。そのため、多くのプレーヤーは、ボールから目を離さないことを意識して捕球する練習をする」そうだ。しかし、彼自身は「目をそらして捕球してはいけないことは頭で解っているが、自分は人間だから、つい目を離してしまうことがある。だから、あえてボールから目を離しながら捕球する練習をしている」のだそうだ。
 つまり、人間はミスを犯してしまう存在である。例え「感動」するほどの「体験」をし、価値観が変わるような経験をしても、時間が経つと、またミスを繰り返してしまうことがある。だから、ミスを繰り返すことを前提に対策を打つことが重要であることを、イチロー選手は教えてくれた。

「体験」型の従業員教育の必要性

 人の「想像力」を高めるためには、受刑者の介助犬育成プログラムのような「体験」学習が大きな効果をもたらす。また、イチロー選手の守備練習のように「ミスすることを前提に繰り返し訓練する」ことによって、「想像力」の「持続」が図れる。この二つの事例は、まさに企業の不祥事回避のための“本質”を示していると感じる。
 「企業は人なり」と発言している経営者は多いが、是非この二つの視点で「教育」の場を従業員に提供して欲しい。例えば、従業員が自社・他社を含めた「現場」に出向き顧客の感覚を養うことを、「業務」の一つに位置付けてみてはどうか。「現場」へ行くことを「自己研鑽」として奨励している企業は多いが、個人任せになってしまうため、なかなか定着していないようだ。日が経つと「現場」の感覚が薄れると共に、「現場」に行くことの大切さを忘れてしまうことを前提に、繰り返し「現場」に出向くようなプログラム(仕掛け)を整備することも必要かもしれない。そして、経営者自らが「このような日々の努力こそが『企業ブランド』の維持・向上に欠かせない」と従業員に語り続けることが、定着化の鍵を握っていることを付記したい。
 「顧客」の立場に立った「体験」を積み重ねている従業員には自ずと「想像力」が身に付くはずである。「想像力」を備えた従業員の多い会社は、不祥事を起こす可能性は低くなるはずであろう。「感動」の「体験」を日頃から従業員同士が共有化し合うような「企業文化」作りこそが、昨今の経営者にとって最も重要な仕事の一つなのかもしれない。
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