アジア・マンスリー 2009年3月号
【トピックス】
景気後退に果敢に挑むタイ新政権
2009年03月01日 大泉啓一郎
対外環境が急速に悪化するなかでタイでは民主党を中心とする新政権が発足した。相次いで景気対策を打ち出すなど新政権の迅速な対応は評価できる一方、雇用悪化が新しい政治リスクとなる可能性がある。
■対外経済環境が急速に悪化
米国発の世界同時不況の影響がタイ経済に及んでいる。これまで景気を牽引してきた輸出は、11月に前年同月比▲18.6%、12月に同▲12.5%と大幅な減少となった。輸出相手国をみると、対中国向けが11月に同▲36.3%、12月に▲40.0%と著しく減少しており、米国の景気後退が中国を介してタイに及んでいる。
タイは、輸出がGDPの6割を超えるため、輸出減速は製造業へ直接的な影響を及ぼす。製造業生産指数は、11月に前年同月比▲7.7%、12月に同▲11.8%となり、なかでも電子産業への影響は深刻で、同産業の生産指数は12月に同▲34.8%となった。11月末から12月初めまでの空港閉鎖という特別な要因があったものの、景気が急速に減速していることは疑いない。
タイ中央銀行は、2009年の輸出が前年比▲5.5~▲8.5%になるとし、実質GDP成長率見通しを3.8~5.0%(10月発表)から0~2.0%へ大幅に引き下げた。その上で、政策金利を12月に3.75%から2.75%、2009年1月に2.75%から2.0%へ引き下げた。
■政局不安のなかでアピシット新政権が発足
このようななか12月に民主党が中心となるアピシット新政権が発足した。
タイでは2008年8月以降、民主市民連合(PAD)の反政府運動により政局が不安化していた。とくに11月にスワナプーム空港とドムアン空港に乗り込み、両空港が閉鎖されたことはタイの政局不安を海外に知らしめた。PADの反政府活動は、12月初旬に憲法裁判所が選挙違反を理由に与党国民の力党に解散命令を下しソムチャイ政権が崩壊したことで中止となったが、国民の力党議員の多くがプアタイ党へ移籍し、体制の立て直しを図る動きがみられたため、政局不安は長期化するとの見方が広まった。しかし、ネウィン派と呼ばれる国民の党議員33名がこれに加わらず、少数政党議員とともに民主党支持に転じたため事態は急展開し、12月15日に実施された首相選挙ではアピシット民主党党首が選出され、民主党を中心とする連立政権が発足することになった。
都市に強い支持基盤を持つ民主党は、東北タイを支持基盤とするネウィン派や少数政党議員を取り込むことで地方での支持を取り付けることに成功した。1月11日に実施された補欠選挙では、民主党およびその支持派が29議席中20議席を獲得し、同日のバンコク都知事選挙でも民主党候補が当選するなど、政局は最悪の事態を脱したといえる。
ただし、政治基盤を安定的なものとするためには、景気後退を食い止めることが不可欠であり、アピシット首相は就任直後から景気回復に全力で取り組むことを強調してきた。12月30日に行った所信表明演説では、今回の世界同時不況が100年に1度のものであるとの認識を示した上で、1年以内にa.内外の信用回復と景気刺激、b,国民の所得保障と向上、c.国民の生活費軽減に関する緊急政策を実施するとした。
これに沿った政策が1月以降、毎週のように発表されている。
1月6日の閣議で、2008年7月に導入された公共輸送料金やガス・水道料金の引き下げなどの時限措置(1月31日まで)の6カ月延長が承認され、同月13日には、景気対策を目的とする1,150億バーツの補正予算が決定された。これには月額給与が15,000バーツ未満の民間企業被雇用者を対象とした2,000バーツの定額給付、高齢者への月500バーツの給付(4カ月)、失業者に対する職業訓練の実施、教育関連経費の負担軽減措置、農産物価格買取り対象の拡大、中小企業への資金支援などが盛り込まれた。
続く1月20日の閣議では、自営業と中小企業を対象とする最低所得税率(0.5%)の適用枠の拡大や農村における所得税免除枠の拡大などを軸とする総額400億バーツの減税政策が承認された。また、空港閉鎖により多大な被害を受けた観光業に対しては、観光ビザ取得の3カ月免除、ホテル事業者の登録手数料の免除、電力保証金積立額の引き下げなどで支援することを決めた。2月3日には、国営企業の2,000億バーツの借り入れに対する政府保証の付与、メガプロジェクトなどインフラ整備資金として700億バーツの海外からの借り入れを承認した。そのほかにも社会保障基金への拠出額の軽減、投資優遇措置の拡大などが検討されている。
これら4,000億バーツ(約1兆円)に及ぶ景気対策について、野党プアタイ党は財政を歪める持続性に欠ける政策だと批判した。これに対して、アピシット首相は、今回の景気後退に対して例外的な措置で取り組んでいくことは世界に共通した政策であるとし、コーン財務相も公的債務残高は現在のGDP比37%から42%へ上昇するものの、管理可能な範囲であるとの認識を示した。アピシット首相は、経済外交にも積極的で、1月末にダボス会議に出席し、2月5日には日本を訪問した。麻生首相と会談し、上記の資金の一部として借款を取り付けた模様である。
■失業問題が新しい政治リスクとして浮上
アピシット政権発足により、政局不安が解消に向かっていること、また同政権が景気対策を迅速に打ち出していることは評価できるものの、それ以上に対外環境の悪化の影響は深刻である。
とくに電子産業を中心に生産調整、雇用調整が本格化しており、失業者の増加は避けられない。
タイの失業率は、97年の通貨危機時に4%(失業者数140万人)に上昇したもののその後は一貫して低下傾向にあり、2008年は1%台(同55万人)と低水準にある。しかしNESDB(国家経済社会開発庁)は、2009年に失業率が3%近くへ上昇し、失業者数は100万人を超える可能性を指摘している。このような雇用環境の悪化は、新たな政治リスクに発展する可能性がある。加えて、都市住民には空港閉鎖による被害に対する不満もある。
1月31日に、タクシン氏を支持する市民団体である反独裁民主同盟(UDD)が王宮広場で反政府集会を行ったが、参加者は3万人を超えた。また、議員数では、プアタイ党が183名と民主党の173名を上回っており、少数政党議員がプアタイ党支持に転ずれば、再び政局不安に陥る可能性も否定できない。