RIM 環太平洋ビジネス情報 2005年10月号Vol.5 No.19
「東アジア共同体」とはいかなる存在か
2005年10月01日 調査部 環太平洋戦略研究センター 顧問 渡辺利夫
東アジアは統合の時代に入った。東アジアほど域内貿易比率を短期間に上昇させた地域は世界の他にない。
初めから少々煩わしいが、若干の数値的根拠を示しておこう。世界を東アジア、日本、NAFTA(北米自由貿易地域)、EU(欧州連合)の4極に分けるとしよう。東アジアとはASEAN(東南アジア諸国連合)諸国、NIES(新興工業経済群)、中国から成る地域である。
東アジアの貿易相手地域として最大の伸び率を示したのは他ならぬ東アジアであり、その結果、東アジアにとって最大規模の貿易相手地域は東アジアとなった。1980年に23%であった東アジアの同比率は2003年には44%へと急上昇した。2003年のNAFTAならびにEUの域内貿易比率はそれぞれ47%、58%である。東アジアはNAFTA、EUに次ぐ高い統合度をもつ地域となったのである。
東アジアに日本を加えればASEANプラス3(日中韓)の近似概念となる。そうすると、ASEANプラス3の2003年の域内貿易比率は55%となって、NAFTAを上回りEUに迫る。上述したEUの域内貿易比率は旧EU15カ国の数値である。25カ国に拡大した今日のEUの比率は、まだ計測されていない。しかし、新加盟国が旧加盟国に比べて低い所得水準の国であることを考慮すれば、実際の域内貿易比率は58%より相当低いものとして算出される可能性が高い。この地上において最も高い域内貿易比率を擁する地域は東アジアかも知れない。
NAFTAは、貿易自由化はもとより、サービス貿易、知財、紛争処理、政府調達などを含む包括的な自由貿易協定である。EUは、石炭鉄鋼共同体を起点とし域内関税の撤廃を経て対外共通関税をもつ関税同盟を経て、生産要素の域内移動の自由を保障する共同市場となった。さらには欧州中央銀行を擁し欧州通貨の統一を実現し、安全保障や防衛政策を統一し、欧州議会の権限をも強化した、文字通りの欧州連合である。要するにNAFTAやEUは、包括的で強固な制度的枠組みにもとづいて着々と結合を深化させてきた国家連合に他ならない。
対照的に、東アジアにはASEAN以外にはフォーマルな地域協力組織は存在しない。ASEANとて、参加国の「合意」と「内政不干渉」を最重要の原則とする緩やかな協力体である。ASEANは参加国全体の合意の得られない枠組みを形成することには抑制的であり、地域協力のレベルを上げるために各国の政策調整が必要となっても、内政不干渉原則のゆえに参加国に政策変更を強要することはない。実際、ASEANには統合のための設立条約さえ存在していないのである。
この「ASEAN流儀」のゆえに、ASEANは1967年の設立以来、直面した幾多の困難にもかかわらず存続が可能であったということもできよう。要するに東アジアには統合のための制度的枠組みは存在しないに等しい。
それにもかかわらず、東アジアの域内貿易比率が世界で最高水準にいたったことにわれわれは注目しなければならない。域内貿易比率だけではない。投資(海外直接投資)の域内比率もきわだって高いのが東アジアの特徴である。
東アジアにおいて海外直接投資がにわかに活発化したのは、1985年のプラザ合意以降のことである。この年以来2003年までの累計値においてASEAN諸国に対する最大の投資国群は域内国である。同累計額は日本984億ドル、アメリカ460億ドルに対して、NIESは1,070億ドルに及ぶ。
1985年から2003年までに中国が受け入れ、実際に利用した海外直接投資額(実行額)は中国側の統計によれば4,986億ドルである。そのうち、NIESが3,010億ドルと60%を占める。対照的に日米の占める比率は、両者を合計しても17%に過ぎない。対中投資における最大の投資者は、東アジアの域内国なのである。東アジアにおいては、貿易財だけではなく、投資資金もまた域内を「自己循環」している。その意味で「東アジアは東アジア化」している。
東アジアの高い地域統合は制度的枠組みに支えられて達成されたものではない。自由なマーケットメカニズムを通じて「自生的に」実現されたものであり、その意味で東アジアは「デ・ファクト(事実上)」の統合体なのである。
高成長国群から成る東アジアにおいて上述したような財と投資資金の「域内循環メカニズム」が形成されたのは、考えてもみれば当然であろう。日本やNIESの企業を中心に展開された東アジア域内投資が、経営資源の域内配分を効率化し、各国の比較優位を強化した。かくして実現された輸出志向型の高成長が域内の国内需要を高めて域内貿易比率を上昇させるという好循環が作動した、東アジアの「域内循環メカニズム」の内実がこれである。
以上、東アジアの地域統合の現実を少々詳しく述べてきたが、このところ急速に議論が盛り上がりつつある「東アジア共同体」を論じる際の重要なポイントがここにあると私が考えるからである。
ASEANプラス3の内部で自生的に形成された域内統合の一層の上昇を求めて、関税や非関税障壁を自由化・撤廃し、サービス貿易を活性化させ、労働や資本の移動制限をできるだけ排除すべくFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結が東アジアで相次いでいる。
グローバリゼーションを支える制度的枠組みが、かつてはGATT(貿易と関税に関する一般協定)であり、現在ではWTO(世界貿易機関)である。WTO加盟国の数は百数十に及んでおり、錯綜する各国の利害を多角的な交渉により調整しながら、貿易と投資の自由化を促進することは困難となった。GATTウルグァイラウンド、WTOシアトル会議、WTOカンクン会議の難渋が、多角的交渉の容易ならざるを例証している。
FTAやEPAがこの数年のうちに一挙に増加したのは、GATT・WTO体制の行き詰まりが歴然としてきたからである。統合利益を比較的容易に手にできる、近接する国々との連携に活路を求めようという現在の新たな潮流がFTAやEPAの群生である。
GATT・WTO体制での多角的交渉を通じてグローバルな自由化を追求し、逆にFTAやEPAへの対応に腰の重かったのが日本である。この日本さえシンガポールとの間でEPAの、次いでメキシコとの間でFTAの締結を終え、さらにフィリピン、マレーシア、タイとのFTA締結の基本合意を取り付けた。ASEAN自体がAFTA(ASEAN自由貿易地域)を発足させ、域内関税率を先発6カ国は2010年までに、後発4カ国は2015年までに完全撤廃する旨を決定した。
ASEAN諸国はもとより、NIES、中国を含めて、域内の2国間、多数国間のFTA・EPA交渉はいよいよ活発化の段階に入っている。さらに東アジア各国とのFTA・EPA交渉開始を求める域外国の数も増加の一途にある。高成長国群東アジアは域内、域外とのFTAやEPAへの多様にして重層的なネットワークの中に深く組み込まれていくにちがいない。 GATT・WTO体制下の自由化機能が停滞する中にあって、東アジアの貿易・投資の自由化を実現し、域内統合度を上昇させる方途として、FTAやEPAが多様な形で深化・拡大していくことを私は支持する。東アジアは日本、NIES、ASEAN、中国と、発展段階の位相を異にし、それゆえ潜在的補完関係の強い国々から構成されており、そのために垂直的、次いで水平的な域内分業の懐がFTA・EPAネットワークを通じて一段と深まっていくにちがいないからである。
しかし、展開さるべきはFTAやEPAなどの「機能的」な制度的枠組みであって、東アジア「共同体」ともなればわれわれはこれに慎重に対処せざるをえまい。共同体とはFTAやEPAといった機能的制度を超える存在である。ここのところを曖昧にしたままで共同体論に容易に与してはならない。
ベラ・バラッサ教授の地域統合の発展段階説のひそみにならえば、自由貿易協定とは参加国相互間の域内関税を撤廃した統合体であり、これに域外共通関税の設定を付加した統合体が関税同盟である。加えて労働力や資本などの生産要素の域内自由移動を保障した統合体が共同市場であり、これに通貨統一などが図られてより強固な統合体へと深化していく。
共同体とは、少なくとも共同市場の形成を前提にした議論だとその概念を定めねばなるまい。関税同盟は域内関税の撤廃に加えて、対外共通関税を設定するという意味で一段と強固な地域統合体であるが、ここまでは機能的な制度枠だと考えてもいいであろう。とはいえ、これを東アジアで期待することは、予見しうる将来においては不可能であろう。グローバリゼーションのこの時代において、東アジアが対外的に閉じた存在であっていいはずがない。米国市場は東アジアのいずれにおいても依然として巨大な存在である。関税同盟さえ飛び越えて共同体を推奨することはいかにも時期尚早である。
共同体とは、域内の生産要素の自由移動を保障し、さらにマクロ経済政策を各国相互で調整し、最終的には通貨統一をも視野に入れた構想である。共同体は、旧来の国家主権の重要な構成要素と考えられてきた関税自主権、国内生産要素利用、マクロ経済政策、通貨自主権の、少なくともその一部を超国家的機関に委譲することによって初めて可能となる。EUとはまさにそういう存在である。
要するに、東アジアは将来、EUになれるか、少なくともその展望を描写できるか、という問いに説得的な答えを導き出せない以上、東アジア共同体論は意味ある議論とはならない。
私見を問われれば、東アジア共同体論は、次の3つの理由により実現不可能であり、かつ実現すべきものとは考えない。
1つは、政治体制や安全保障枠組み、価値観、社会理念の相違に由来する。例えば、共同体を共同市場として捉えるならば、少なくとも域内は多分に同質の市場でなければならない。賃金水準において圧倒的な格差をもつ東アジアにおいて労働移動の自由が保障された場合に起こる激しい政治的軋轢は、想像に余りある。発展段階において多分に同質な国家の集合体であるEUと東アジアの決定的な違いがここにある。
もう少し遠目にみても、政治体制の相違が共同体形成の阻害要因にならないはずはない。一方には、政治的意思決定を大衆の広範な政治参加によって実現する民主主義国家があり、他方には、党指導部の一元的意思決定が政府のそれに優先する一党独裁国家も存在する。その間には、様々な色合いをもった、ソフトな、またハードな権威主義国家がある。民主主義を国是とする国々の集合体であるEUと東アジアはこの点でも大きく異なる。
安全保障の枠組みにおいても東アジアは区々である。日米、米韓、米台、米比のようにアメリカを中心とする「ハブ・スポーク」の安全保障体系の中に組み込まれている国がある一方、中朝、朝露のような旧社会主義国の同盟関係も厳然として存在する。グローバリゼーションの現在においても紛争処理の最後の手段が戦争であることはなお否定できない。東アジアにおいて国境紛争問題を抱えていない国がいくつあるというのだろうか。
一旦緩急あらば、この分断的な安全保障の枠組みが悲劇的な結末を東アジアにもたらさない保障はない。そうであれば、共同体どころの話ではない。「悪の帝国」旧ソ連にNATO(北大西洋条約機構)をもって対峙したという「共生感」がEU統合を強固なものたらしめた背後要因であろうが、東アジアはそうした感覚をまったく共有していない。
第2は、ASEANプラス3において最大の経済規模をもつ日中韓3国の政治関係が緊張を孕んでおり、これは容易に解消できないであろうと予想されることである。
韓国の反日感情は相変わらず強い。しかも近年の日韓関係は、日本・朝鮮半島関係として論じられねばならず、それがゆえに対応は一段と難しい。目立った傾向は韓国の「北朝鮮化」である。冷戦時代において封殺されてきた朝鮮半島の「血族的ナショナリズム」が、冷戦が終焉し南北代理対立の構図が消滅するや、急速な高まりをみせている。核保有への疑惑が深まり、核兵器搭載可能なミサイルをすでに保有する北朝鮮と韓国が「一体化」することは、日本にとっての悪夢である。朝鮮半島における敵対勢力の阻止は近代日本の「国是」であり、日清、日露の両戦役がその歴史的事例である。
日中の政治外交関係は、1972年の日中共同宣言、1978年の日中平和友好条約以来、最悪の時期にある。国内権力基盤強化を求めて展開された江沢民政権の反日愛国主義路線は「草の根」にまで及んだ。市場経済における敗者の群れ、膨大な数の失業者や社会的不満層が反日運動に呼応した。新たに登場した胡錦涛政権は「対日新思考」をもって対日政策の路線変更を試みたものの、民衆レベルに根付いてしまった強い反日的センチメントに呪縛されて、身動きがとれない。極東アジアがなお19世紀的なナショナリズムの渦巻く諸勢力確執の場であり、確執を御する力が日本にあるかのごとき前提で東アジア共同体を論じてはなるまい。
第3は、東アジア共同体の影の隠然たる主役が中国であり、東アジア共同体を動かす最大の背景要因が中国の地域覇権主義だという事実である。この点は前回の本欄で詳述したのでここでは簡単に触れるにとどめるが、最重要のポイントとして主張さるべきものだと私が考えていることを承知していただきたい。
中国が東アジアにおいて地域覇権の掌握を狙っていることは自明であろう。国力の拡充を背後要因として著しい軍事増強を図り、台湾を統合して外洋進出に成功することは中国積年の夢である。シーレーンを安定的に確保し、石油エネルギー輸入を万全なものとしなければ中国の発展は保障されない。中国という資源不足の超大国の発展それ自体が、この国の覇権的行動を余儀なくさせているのだと考えねばならない。
地域覇権掌握の最大の障害が日米同盟の存在である。東アジアを共同体とし、これに日本を招き入れて日本の外交ベクトルを東アジアに向かわせ、そのことによって日米関係の離間を謀るというのが中国の地域戦略なのであろう。
少々長い巻頭言になってしまった。要約すれば、東アジアはその統合度を一段と高めるために、2国間、多国間でFTAやEPAを積極的に展開し、この地域を舞台に自由化のための機能的制度のネットワークを重層的に張りつめるべきであろう。しかし東アジアの統合体はFTA・EPAという機能的制度構築を最終的目標とすべきであって、それを超えてはならない。共同体という「共通の家」の中に住まう政治的条件をこの地域は決定的に欠いている。また共同体形成の背後に中国の地域覇権主義が存在するとみなければならない以上、東アジア共同体は日本にとってはもとより、東アジア全体にとってまことに危険な存在である。12月中旬にクアラルンプールで開催される東アジア首脳会議は、東アジア共同体形成への歴史的な第1歩となろうが、上述のポイントを熟慮して慎重に事に当たられるよう関係者に強く求めたい。