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Business & Economic Review 2005年09月号

【CHIEF ECONOMISTの眼】
人民元切り上げの評価とインパクト

2005年08月25日 調査部長 湯元健治


中国人民銀行は、7月21日、人民元の対ドル相場を2.1%切り上げて、1ドル8.11元にすると同時に、「市場の需給に基づき、通貨バスケットを参考に調整した管理フロート制を導入する」と公表した。予想以上に早いタイミングは、温家宝首相の言葉通り、市場関係者の「意表を突いた」ものとなったが、切り上げ幅自体は、3~5%との市場予想を下回る小幅な切り上げとなった。今回の新制度導入をどのように評価すべきであろうか。

柔軟な為替相場制度に向けた第1歩
第1は、2.1%という切り上げ幅では、米中間の巨額の貿易不均衡是正には、不十分であることだ。このため、今回の措置は「柔軟な為替相場制度」実現に向けた第一歩に過ぎない。アメリカ当局は、中国の発表をひとまず評価し鉾(ほこ)先を納めたが、アメリカ議会や産業界の要求する2~3割の切り上げからは程遠い。年末から年明け以降に向けて、アメリカの切り上げ要求が再び激化する可能性が強い。

第2に、新制度では、1日の為替変動幅を上下0.3%と、制度上は切り上げ前と全く同幅の小幅なものに止めている。計算上は、前日の終値が基準レートとなるため、1カ月で8%弱、3カ月で25%の変動もあり得るが、実際には、切り上げ初日の値動きは、0.0011元の元安・ドル高とほとんど動いていない。当局の発表とは裏腹に、当面中国は大幅な相場変動を望まず、1ドル8.11元を中心に小刻みな相場変動が続くと思われる。なお、円やユーロなどドル以外の通貨に対する許容変動幅は±1.5%と対ドルよりも大幅になっており、もう少し変動が大きくなる。

第3は、「通貨バスケット」を謳っているが、これは完全なバスケット通貨制度の導入ではなく、あくまでもバスケット通貨の水準を「参考」としつつ、対ドル相場を一定範囲内に誘導することを表明したものだ。本格的なバスケット通貨制度の導入には、著しくドルに偏っている外貨準備を円やユーロなど他の主要通貨に分散する必要があるが、これには時間がかかる。人民銀行自身、筆者が2005年3月に当局者にヒアリングしたところでは、通貨バスケットの導入は、金融・資本市場の自由化・規制緩和が十分に進んでいない状況の下で、「研究対象」ではあっても、制度構築が複雑であり、「現実的ではない」ことを認めていた。にもかかわらず、敢えて「通貨バスケ ット」という言葉を持ち出した背景には、今回の改革が小手先に過ぎないとの批判をかわす狙いもあったのではないか。

中期的には15~20%の切り上げへ
以上の点を考慮すると、中国の通貨戦略としては、a.当面は、引き続き巨額の市場介入を行い急激な相場変動を抑える、b.時期をみて(半年~1年以内に)、現行±0.3%の変動幅を1~2%に拡大する、c.バスケット通貨でみて、元相場を切り上げる必要性が生じた場合(例えば、ドルに対して大幅な円高やユーロ高が生じる場合)、数%刻みの小幅切り上げを繰り返す、d.4大銀行の不良債権問題など国内金融システムの安定、為替先物市場・マーケットメーカー制度の整備、資本移動規制の十分な自由化を完了させた後(おそらくは2007年以降)、本格的なバスケット通貨制度の導入を検討する、といったものとなろう。周中国人民銀行総裁の言う為替制度改革の三原 則(a.主体的、b.コントロール可能、c.漸進的)からも明らかな通り、中国の為替制度改革は自らが主導権を握りつつ、段階的に時間をかけて行うものと思われる。

ここで重要なことは、人民元の切り上げ、あるいは変動幅拡大はアメリカからの外圧によって行うのではなく、中国自身の国内問題として必要であることを当局が十分認識していることだ。事実上のドルペッグ(実質的な固定相場制度)は、a.ドル安に伴う輸入インフレ圧力の増大、b.年間数百億ドルにも上ると推定される巨額の投機資金の流入による不動産バブル助長、c.元相場を固定するための巨額の介入による不胎化介入のコスト増大等、様々なデメリットを顕在化させている。何よりも、固定相場制度は、中国の金融政策の独立性を犠牲にし、本来民間部門が負うべき為替リスクを中央銀行が一手に引き受けるという深刻な問題を内包している。結局のところ、中国は、短期的には小幅かつ漸進的な改革を指向しつつも、中長期的には、為替相場の柔軟な変動を許容するとみられ、向こう数年のタームでみれば、15%~20%程度の人民元切り上げが生じるとみておく必要がある。

中期的には日本経済にプラス
それでは、人民元が中期的にさらに切り上がる場合のわが国マクロ経済、企業業績・産業界への影響をどうみるべきであろうか。ポイントは二つある。第1は、円ドル相場がどう動くか。第2は、中国経済が軟着陸できるかどうか。

まず第1の点だが、円ドル相場は人民元切り上げを受けていったんは小幅上昇したが、市場は2%程度の切り上げの影響はほとんどないと判断し、数日で相場水準は元のレベルに戻った。しかし、a.今後、アメリカサイドからの切り上げ要求が再び強まる、b.バスケット通貨への移行による外貨準備調整(ドルから円・ユーロへのシフト)の思惑が台頭する、c.中国の米債離れの思惑からアメリカ長期金利上昇・ドル安への相場展開となるなどの場合には、円が対ドルで円高方向に再び振れる可能性は十分にある。その時期は恐らく、a.アメリカの利上げが打ち止めとなり、b.わが国の景気回復が明確となる本年秋から年末以降となる可能性があるが、わが国輸出企業の収益計 画の前提となる1ドル=103.95円を超えて大幅な円高が生じない限り、マイナス影響は最小限にとどまるとみられる。円ドル相場を決定する主要因は、あくまでも日米経済のファンダメンタルズであって、人民元切り上げの思惑は円ドル相場を決定する一つの要因に過ぎないが、中国当局の改革が漸進的なものになればなるほど、市場の投機的な思惑の強まりから、円高が急進するリスクには十分留意する必要があろう。

第2のポイントである中国経済の行方だが、人民元の切り上げスピード次第で結論が変わってくる。切り上げスピードが早く、向こう1年以内に15~20%以上の切り上げが生じる場合には、輸出の減少や農産物輸入の増大によるマイナス・インパクトが大きく顕在化し、経済成長が持続可能な安定成長ペースである8%を下回る恐れがある。その場合、中国向け輸出や現地生産で潤っている日本企業への影響は無視できない大きさとなろう。もっとも、中国当局は短期的に大幅な切り上げを容認する意思はないと判断される。今回の中国当局の措置は、1985年のプラザ合意以来の急激な円高に苦しんだ日本の経験から学んだ教訓を生かしており、外圧に屈しない中国の基本スタンスから言えば、中国の為替戦略は巧妙かつ適切である。アメリカ自身もかつてのプラザ合意の再現は難しいと感じており、前述の通り、切り上げは国内金融資本市場の整備に歩調を合わせる形で、向こう数年かけて段階的に実施されるとみるのが至当であろう。そうなれば、日本経済への影響はむしろプラスになると判断される。これは、中期的には人民元が対ドルで購買力平価に見合った水準に上昇すれば、対円相場も元高・円安になるためだ。2004年の対中貿易額(含む香港)をみると、輸出が11.9兆円、輸入が10.5兆円と小幅ながら輸出超過となっており、中期的な円安・元高はプラスに作用する。ちなみに、日本総研の試算では、中期的に人民元相場が15%切り上がった場合、日本の実質成長率を0.4%押し上げる結果となる(詳しくは、7月27日付けレポート「人民元切り上げの影響をどうみるか」参照、http://www.jri.co.jp/press_html/2005/050727.html)。

日本企業のグローバル戦略の行方
それでは、中期的な人民元切り上げが予想されるなかで、日本企業のグローバル戦略は今後どのように展開するのであろうか。人民元切り上げの業種別の影響はまちまちである。例えば、日中間の貿易面では電気機器(半導体等電子部品)、一般機械、鉄鋼・化学などの素材産業は輸出超過でありプラス、食料品、石炭、衣類、バッグ類は輸入超過でマイナスとなる。しかし、今年上半期の日中貿易データをみると、輸出が5.8兆円に対して輸入が5.7兆円とほとんど貿易バランスが均衡してきており、産業全体では為替相場変動の影響が中立化する構造になってきている。個別企業のなかでも、現地生産・輸出型の大手企業は原材料や部品の輸入と製品の輸出をバランスさせるオペレーションを採っているところが多く、為替変動の影響を最小化する戦略を展開してきた。また中国の安価な労働力を利用して現地で製品を開発し日本に輸入している衣料品・食料品等の業界では元切り上げの打撃が大きいと言われるが、実際にはドル建てで輸入している企業が多く、その影響は巷間言われるほどマイナスが大きいわけではない。このように、貿易面ではa.輸出入をバランスさせる、b.ドル建て決済比率を高めることで元相場の変動リスクを最小化する戦略がさらに追求されることになろう。

他方で、貿易面とは別に、中国における日本の現地企業への影響も考慮する必要がある。経済産業省の調査によれば、中国現地法人の売上高は、2004年度で17.5兆円(製造業10.2兆円、非製造業7.4兆円)と輸出規模を大きく上回っている。このうち、製造業に限ってみれば中国での現地販売比率は43.7%に達している。業種別には、自動車(87.3%)、鉄鋼(90.7%)、食料品・たばこ(87.5%)の現地販売比率が高く、為替変動の影響を受けにくい。これらの業種では、中期的な元高・ドル安による中国の購買力増加がむしろプラスに作用するだろう。他方で、日本向けを含めて輸出比率の高い業種は、電気機械(67.4%)、一般機械(78.6%)、精密機械(61.1%)等であり、これらの業種では生産コストの上昇による輸出競争力の低下からマイナス影響を被ることになる。

以上のようにみると、今後の日本企業のグローバル戦略の方向性は明らかである。

第1は、中国の位置付けが「世界の工場」と言われる生産・輸出拠点から、「潜在的巨大市場」を狙った日本からの輸出・現地販売拠点としての性格が一段と強まる結果、現地販売比率が中期的に上昇するとみられる。むしろ、各企業はそうした形にビジネス・モデルを転換していく必要に迫られるであろう。第2に、為替リスクのみならず政治リスクや人件費コストの優位性の低下などもあって、中国集中リスクを回避し、生産拠点をベトナム、インド、タイなどに分散化する動きが強まろう。この場合でも、中国の潜在的重要性には変わりがない。中国マーケットを中心に据えつつもアジア全体での最適生産体制を構築し、中国のみならずBRICs諸国も含めて潜在市場の掘り起こしを行うことが日本企業ひいては日本経済の持続的成長・発展にとって極めて重要である。
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