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Business & Economic Review 2005年09月号

【OPINION】
経営テクノロジーによる企業価値向上を

2005年08月25日 調査部 金融ビジネス調査グループ 主任研究員 藤田哲雄


  1. 激変する企業経営環境
    わが国経済は、企業部門を中心とした回復傾向が明確になりつつあるが、これは当然に従来の「日本型経営」の復活を意味するものではない。というのも、近年の企業を取り巻く経営環境は特に次の3点において未曾有の変化を遂げており、従来型の企業経営では対応が困難になっているからである。

    第1に、経済のグローバル化が一段と進展し、株主資本主義がわが国の企業経営にも本格的に浸透しつつある。従来、わが国では株式の持ち合い構造を背景として安定的な経営環境の維持が可能であったため、中長期的な視野のもとに企業の成長戦略を描いて結果的に企業価値の向上を図ることができた。しかし、株式の持ち合い解消が進行し、外国人投資家の株式保有比率が上昇すると、企業価値の向上が正面から絶え間なく問われることになる。

    企業価値は、企業本来の事業が将来生み出すキャッシュフローの現在価値である事業価値と、事業とは直接関係のない非事業用資産の価値からなっているが、近年の資産デフレ傾向のなかでは必要以上の非事業用資産の保有は経営の大きなリスク要因と認識されるようになっており、後者は縮小の方向にある。そうなると、経営者は事業価値の向上を常に意識せざるを得ない。この事業価値の向上には、a.事業拡大による成長、b.資本生産性の向上、という二つの方法がある。前者の事業拡大による成長戦略は、かつてわが国経済の牽引力であった。しかし、わが国の総人口は2006年から減少に転じることもあって、今後、国内市場では従来のような高成長は望むべくもない。 したがって、新たな市場を求めるには、新興国市場を視野に海外に進出して、グローバルな競争に身を置く以外に方法はない。

    一方、後者の資本生産性の向上については、わが国の企業はこれまで、必ずしも十分な関心を払ってきたようには見受けられない。わが国において「失われた10年」といわれる1990年代の資本生産性を日米で比較してみると、わが国はアメリカの6割程度であり、わが国の資本生産性は極めて低い。しかし、これは逆にわが国ではまだ資本生産性向上の余地が十分あることを意味しているともいえよう。すなわち、資本生産性の向上こそ今後の経営者が真剣に取り組まねばならない重要な課題である。

    第2の変化は、益々経営にスピードが求められていることである。わが国は戦後、近代工業社会を前提とした経済システムのもと、世界史的にも稀有な経済的成功を収めた。ところが、社会の成熟に伴い、人々の価値観の基準は「物財の量」という客観的な数値から「満足」という主観的な感情へと変化したといわれる。この人々の「満足」を実現するには、企業は単に生産コストを引き下げて対応できるものではない。そこでは、知恵によって付加価値をどれだけ高められたかの勝負となる。このように知恵による付加価値が尺度となる社会に移行すると、製品やサービスのライフ・スパンが一層短期化する一方で、企業は試行錯誤を繰り返しながら、常に移ろいやすい顧客の「満足」が奈辺にあるかを機敏に察知し、柔軟に対応しなければならなくなる。したがって、他社や海外の成功事例の追従のみではもはや成功を保証されなくなっている。

    第3の変化は、企業価値向上の要請や経営のスピード化などの結果として、リスクマネジメントが極めて重要な経営課題となったことである。20世紀の近代工業社会の産業モデルにおいては、どのような製品・サービスを提供すべきかが、比較的容易に決定できたといえよう。そこでは競争とは、基本的には生産コストの勝負であったと言って良く、リスクマネジメントとは、損失や危機の回避という防災的な意味で用いられていた。しかし、多様な価値観を前提とした知価社会においては、企業が何をすべきかは一義的に明確ではない。企業は仮説を立て、実行し、検証し、修正するという試行錯誤を繰り返して、鉱脈を探り当てなければならない。

    このような環境では、リスクは「回避するもの」ではなく、「リターンを睨みながら積極的に取るもの」と定義されることになる。すなわち、リスクとリターンの正確な把握とその分析に基づいた意思決定が企業経営において極めて重要となる。わが国の企業の収益性の低さはつとに指摘されているところであるが、リターンはリスクを取らねば得られぬものであり、わが国の企業が、リスクマネジメントを損失や危機の回避の側面だけから考えている限り低収益体質から脱却することは困難であろう。

  2. 企業価値向上には経営手法の客観化・可視化が必要
    このように経営環境が激変するなかで、わが国企業はどのように対応すべきであろうか。

    翻って、今日のわが国の企業経営を考えてみると、経営者の勘や経験、度胸といった属人的力量だけに依存する職人芸的な経営がまだまだ多いように見受けられる。勿論、そのような資質は今後の企業経営においても重要である。しかし、このような職人芸的な経営の意思決定は次の2点において企業の弱点となろう。

    第1は、経営の意思決定が属人的な力量だけに依存する場合、その意思決定プロセスを共有できず、企業価値の向上を阻害する可能性があることである。

    企業価値の向上が大命題となるなかで、その企業価値とは、端的には発行済み株式の市場時価総額によって表される。市場において投資家は他の投資対象と比較し、リスクとリターンを勘案して最も有利と判断した場合にその企業の株式を購入するのである。したがって、企業価値とは投資家による企業の将来性の評価の結果と言ってもよい。そうであるならば、企業価値の向上には、単に利益の増加のみならず、株主や市場とのコミュニケーションを密にし、真の企業価値を理解してもらうことが益々必要になってくるであろう。そのためには、経営意思決定の手法を属人的力量に依存するブラックボックス的なものから客観的なものへ転換し、経営を可視化することが必要になると思われる。そして、意思決定過程の透明性を高めることで、経営者はステークホルダーからの信任を得、結果責任を果たすことができよう。

    第2に、属人的な経営判断手法は、経営者の交代に対応できないリスクを抱えることである。とりわけカリスマ的経営者の場合、経営者の交代で企業価値が大きく変動する例は多い。これに対して、客観的な経営手法を導入した場合には、事後的な検証を可能にするばかりでなく、経営手法を伝承可能なものへ転換させる。このような伝承可能な経営手法であれば、企業は経営者の交代などの突然の環境変化にも対応が可能である。すなわち、経営手法が伝承可能なものとなることで、企業の継続性を強固にし、結果的に企業価値の向上に資するのである。

    以上のように考えてみると、わが国企業の経営の意思決定は、属人的な力量のみに依存することから脱却し、客観的な基準に従って行われ、意思決定過程の透明性を高めることが必要であることが理解されよう。

  3. 経営テクノロジーが経営力強化の鍵
    では、共有可能な客観的な経営手法とは何だろうか。アメリカの例がわが国にも参考になる。90年代のアメリカでは、ITの飛躍的発展と金融工学の進化を背景に、経営の各分野において、論理的かつ体系的・数量的に組み立てた考え方を導入することにより、経営を可視化するとともに、客観的判断を可能とする手法が急速に発展した。具体的には、ファイナンス理論、リアルオプション、数理的なリスクマネジメントなどである。勿論、金融工学の理論を実際の経営に応用するには、データの制約など様々な困難があるものの、金融工学理論の発展に伴って、その基本的な考え方を実際の経営に活用できる場面は確実に増えている。

    金融工学はもはや金融界の工学にとどまらず、企業経営一般における工学的手法にまで発展しているといって過言ではなく、経営の各分野に応用できる数理学的経営技術ともいうべき「経営テクノロジー」へと進化している。わが国の企業にも、この経営テクノロジーの導入が必要なのではないだろうか。

    もっとも、このような金融工学をベースとした経営テクノロジーの導入には、デリバティブ取引で巨額の損失をもたらした過去の事件を想起して、生理的嫌悪感を覚える向きもあるかもしれない。しかしながら、金融工学はあくまで新しい「技術」であり、本来価値中立的なものである。悪い結果をもたらすのはその利用の仕方が不適切だったからである。経営の意思決定の場面においても、適切に利用すれば、合理的、客観的な経営という果実を得ることができる。もちろん、企業の経営は客観的な理論だけで答えが出るわけではなく、企業の固有条件を加味して具体的に判断することが必要である。しかし、同じ資本主義の世界で活動する以上、企業の固有条件がどのようなものであれ、企業の意思決定は一定の条件の範囲内でしか行い得ない。そして、その条件を示すものが、経営テクノロジーであって、それを逸脱した経営の意思決定は合理的とはいえない。言い換えれば、経営テクノロジーの導入によって、経営の意思決定の合理性が担保されるのである。

    ところで「経営テクノロジー」とは、テクノロジーという言葉が示す通り、経営の意思決定の技術であって、経営手法そのものではない。したがって、経営テクノロジーの導入は直ちにアメリカ流経営への転換を意味する訳ではない。わが国は日本の企業文化の良さを活かしながら、経営テクノロジーを中核として21世紀の経営スタンダードを作り上げていくべきである。

    すでにわが国では、社会人大学院やビジネススクールなどで経営テクノロジーの多くの分野が教授されているが、まだまだそのような知識を身につけた若手社員が企業経営の意思決定を行うにはあと10年以上の時間が必要であろう。欧米企業に立ち遅れないためにも、若手社員のみならず、実質的な意思決定を行っているミドルマネジメント層にも、早急に経営テクノロジーを理解し、活用することが求められているのではないだろうか。
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