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Business & Economic Review 2005年04月号

【OPINION】
ワンストップ・ショッピング化の先にあるもの-競争を真の利用者利便性向上に結び付けるために

2005年03月25日 新美一正


  1. 「日本版ビッグバン」とワンストップ・ショッピング化の進行
    マスコミには、意外なほど注目されなかったが、2004年は証券界にとって、「日本版ビッグバン」の実現プロセスにおける一つの節目と表現できるほどの、エポック・メイキングな年であった。

    まず、4月に、個人および一般事業法人による証券仲介業の営業が解禁された。そして少し遅れる形となったが、12月には、銀行に対しても証券仲介業を営むことが認められた。

    証券仲介業と言っても、部外者にはその具体的なイメージが沸きにくいが、要するに、(証券会社の委託を受ける形で)証券売買の委託・募集業務を営むことを意味しており、金額的なスケールで見たその大宗は、株式の委託売買と外国国債の販売である。前者は言うまでもなく、証券会社の歴史的中心業務であるとともに、長年にわたる銀証間業際問題における証券サイドの最後の砦でもあった。一方、後者は、ここ数年間、証券会社における最大の稼ぎ頭となってきた中核業務である。委託先証券会社への取次ぎという形ではあるが、これらの業務が銀行に解禁されたことにより、銀行本体で取り扱えないまま残された主要な証券業務は、外国国債を除く外債の販売業務ぐらいになった。しかも、外国国債や株式に関する証券仲介業務は、認可制ではなく登録制となり、さらに、仲介業務に付随する投資アドバイスも、金融機関による証券業務の禁止を規定した証券取引法第65 条に抵触しないことが明確化されている。これにより、実際に証券売買を行おうとする利用者にとって、証券会社を選ぼうが、銀行などの金融機関を選ぼうが、その選択による窓口サービスの内容の差異は、少なくとも制度上は、存在しないことになった。利用者サイドから見て、提供されるサービスに格差がついていたとすれば、それはサービス供給サイドにおける能力格差を反映したものということになる。これこそ、「日本版ビッグバン構想」の根底にあった「ワンストップ・ショッピング化」の実現に他ならない。

    もちろん、こうした動きは、証券関連サービス分野に限定されるものではない。すでに1998年12月の投信窓口販売を皮切りに、銀行が窓口で取り扱える金融商品は、住宅ローン保険(2001年4月)、個人年金保険(2002年10月)など、着実に増加しつつある。もっとも、生命保険・損害保険の窓販については、2004年度に全面解禁を行う方針だったものが先送りとなり、現在、関係者間で調整が行われている段階である。しかしながら、取扱商品に多少の制約が課される可能性はあるものの、2007年4月には生損保商品の窓販が解禁されることはほぼ確実な情勢である。2006年には、銀行の代理店も一般事業会社を含め広く門戸開放される予定であるから、2007年4月には、各種金融機関における「ワンストップ・ショッピング化」は一応の完成を見ることになろう。

    96年11月に第2次橋本内閣が打ち出した「日本版ビッグバン構想」は、従来の縦割り業態間の垣根を低くすることと、取扱商品の相乗りを進めることを2大方針とし、業態間の競争を促進することによって、金融サービスの購入者・消費者サイドの利便性を向上させることを究極の目標に掲げていた。ところが、構想発表直後から翌97 年秋にかけ、金融機関・証券会社などの大型破綻が相次いだこともあって、目に見える形での改革がなかなか進捗しなかったことが、しばしばマスコミによる攻撃の好餌となってきた。しかしながら、構想発表後9年の歳月を経た現時点で評価すれば、とりわけ証券関連サービス分野においては、相当程度までビッグバン構想の所期の意図が実現されてきたように思われる。少なくとも、90 年代以降の、歴代内閣が方針として打ち出した「構造改革」計画のなかで、「日本版ビッグバン」に比肩し得るだけの実績を残したものは他にないと言えるのではないか。そして、その具体的な成果のなかでも、とりわけ証券関連サービス分野における、銀行での「ワンストップ・ショッピング化」の実現は、最も注目すべき分析対象であると断言して憚らない。

    なぜか。端的に言えば、証券リテール分野の将来的な成長性が非常に大きいからである。

  2. 証券リテール分野の成長性
    ことさらに証券リテール分野の将来的な成長性を強調することには、幾つかの批判が寄せられるかもしれない。実際、足元の統計数値を見る限り、家計資金の証券市場への流入は、インターネット経由の株式取引(その大宗は信用取引である)などの超短期的な投機資金を除けば、いまだ目立った潮流となるには至っていない。むしろ、貯蓄動向調査や資金循環勘定などのマクロ統計に依拠する限り、個人資金に占めるリスク資産の割合は、直近、下げ止まりの兆候を見せつつあるとは言え、バブル崩壊後、10年以上にわたって、低下し続けている)。こうしたマクロ統計を眺めるときには、とくに株価の継続的下落の影響を考慮する必要はあるが、それでもなお、証券市場(とくに株式市場)は、個人資金の受け皿として十全に機能していないというのが一般的な見解であろうし、それはまた一面の真実でもある。

    2003年1月の時点で筆者は、こうしたマクロ統計のみに基づく判断は、「森に入って木を見ず」ことにより、水面下の重要な構造変化を見落とす危険性があることを指摘したことがある。そこで具体的なミクロ面での重要な変化として取り上げた、投信の銀行窓販問題については、次節で詳述することとし、ここでは、その後わずか2年の間に、証券リテール分野の成長性に重大な影響を与えるであろう三つのマクロ的な環境変化が生じ、あるいは生じつつあることを指摘しておきたい。

    まず、商法改正により、株券不発行制度が導入され、公開株式については2009年6月末までに、株券が消滅することになった。同時に、手持ちの株券は有価証券としての価値を失い、いわば単なる紙切れになる。証券会社は、税制面での恩典が受けられる特定口座への入庫が昨年末までに限定されていたことをセールス・トークに、大々的にタンス株券の保護預かり運動を行い、かなりの成果を挙げたと言われるが、それでもなお、数十兆円規模の株券が個人投資家の手元に滞留していると想像される。こうした事情もあって、2005年4月から、税制面における多少の手直しはあるものの、タンス株券の証券会社口座への預け入れが再開されることがすでに決まっている。要するに、数十兆円規模の家計資産が、今後4年半の期間内に、半ば強制的に、証券会社の口座に移転するわけである。タンス株券の保護預かり化は、長年、証券会社のリテール営業における重点戦略の一角を占めてきたが、なかなか、はかばかしい戦果を挙げられなかった。証券会社のリテール営業姿勢に対する個人投資家の不信が根強かったことがその主因であり、その改善が一朝一夕では困難であったことが、今日まで大量のタンス株券の滞留を温存してきた背景にあるわけである。商法改正という思わぬ形で、こうした構造問題が一掃へ向かうことになった。干天の慈雨と言っては言い過ぎであろうが、証券リテール分野の成長を考えるうえで、見逃せない環境変化であることは言うまでもない。

    第2に、流動性預金のペイオフ解禁と金融所得課税の一元化という、二つの制度改正が挙げられる。ペイオフによる資金移動の規模については諸説があり、なかには眉に唾をつけたくなるような過大な見積もりも見られるが、ペイオフを契機に、数十兆円規模の個人資産が潜在的な証券投資への待機資金として、金融商品間を移動し始めること自体には疑いの余地がない。一方、後者、すなわち金融所得課税の一元化については、すでに昨年10月以降、株式投資信託の譲渡損益に関して、株式の譲渡損益との損益通算が認められており、2005年4月からは、損益通算の対象に配当所得も加えられることが決まっている。従来、個人投資家は、とくに株式の売買に当たって、複数の証券会社に口座を開く傾向が強かった。これは、建前上は、複数の情報ルートを確保することによって投資収益の拡大を狙う行動と説明されてきたが、証券関係者の間では、現実には、税務調査などを回避する目的から、口座の小規模・分散化が行われていることが、半ば公然とささやかれてきた。こうした推測が正鵠を得ているかどうかは筆者にはわからないが、個人投資家の動向が税制面の制度変更に極めて敏感であることは、過去の税制改革に伴う経緯(例えば、いささか旧聞に属するが、80~81年頃のグリーン・カード問題など)からも明らかである。近い将来、個人投資家の証券取引口座は、少数(恐らくは唯一)のメイン口座に集約される蓋然性がかなり高いように思われる。

    第3に、これはしばしば指摘されている点であるが、団塊の世代の定年退職に伴うシニア・マネーの運用ニーズが、今後、急速に高まる点である。もちろん、シニア・マネーの受け皿が証券投資に限定される必然性はなく、事実、各金融機関は目下、その争奪に鎬を削っているのであるが、短期・ミクロ的な雌雄の決着はどうであれ、長期的に見れば、大量のシニア・マネーが証券投資に流入する可能性はきわめて高いように思われる。なぜなら、元々、わが国の高齢者は最大かつ、ほとんど唯一の企業経営リスクの担い手であって、株主の年齢構成を見ても、証券会社の口座保有状況を見ても、高齢者が圧倒的なシェアを占めているからである。こうした構造が短期的に大きく変動するとは考え難いため、高齢者層の増加がそのまま潜在的な証券リテールへの資金流入増に直結することもまた、ほぼ確実であるように思われる。さらに、シニア・マネーの運用が、それほど長くない時間視野において、運用資産の相続・継承という問題に直面せざるを得ない、という運用資金自体が持つ本質的な性格もまた、資金の証券投資への集中を加速させるであろう。なぜなら、バブル崩壊以降、半ば特例的な形で有価証券投資に対しては相当に優遇的な税制が設定されており、相続・継承における節税効果を考えれば、シニア・マネーの運用に際して証券投資をことさらに除外する判断は合理的なものにはなり得ないからである。

    以上を要すると、今後、5年間程度の時間視野で、これまでは積極的に証券投資を行ってこなかった家計の資金が、しかも相当に大きなスケールで、証券リテール分野に流入し続ける可能性が高い、という予想が高い精度で成立し得るのである。

  3. 投信の銀行窓販がもたらしたもの
    もっとも、今後5年程度の期間にわたって、証券投資への資金流入が続いたとしても、それはあくまで一過性の現象であって、より長い時間視野で見れば、家計資金の動向にそれほど大きな変化は生じないという批判はあり得るだろう。計量経済学に恒久的ショックと一時的ショックという技術用語がある。蒸気機関の開発や化学肥料の発明などは、その後の生産に不可逆的なプラスの影響を与える技術革新であるから、これをイノヴェーションと呼び、恒久的ショックに分類する。一方、物価変動や財政支出増加の影響は、例えば石油ショック時の経験から明らかであるが、その時点では恒久的な現象のように感じられても、長期的にはその影響は減衰していくという意味で、一時的なショックである。前節で述べた3要因は、いずれも典型的な一時的ショックであるから、家計の投資行動に長期的な影響を与えるものではない、という結論が導かれるのである。

    だが、筆者は、このような見解は、たとえ、それが一時的なものであっても、一挙・大量に流入する待機資金を巡る金融機関間の争奪競争と、制度変更がもたらす商品供給サイドのフロンティア拡大という、資金流入に付随して生じる二つの構造変化の影響を見落としていると思う。本節では、前節で積み残した話題である、投資信託の銀行窓口販売を切り口に、こうした見方に対する反論を試みることとしたい。

    さて、98年12月に投信の銀行窓口販売が解禁された時点では、必ずしも多くの銀行が投信販売に本腰を入れていたわけではなく、実際、当初の販売は法人顧客向けの公社債投信販売が大宗を占めていた。しかし、99年半ば頃を境に、個人向けの株式投信販売が着実に増加し始め、2002年末の段階で、銀行窓販経由の株式投信残高は、全体の4割に迫る勢いとなっていた。

    2003年1月時点で、筆者はこうした「銀行窓販」の拡大を重要な問題と捉え、注意を喚起する趣旨の論文を書いた。その際の、主要な着眼点は、銀行経由の株式投信販売額が、証券会社経由のそれとは異なり、株価との連動性がほとんど見られない点であった。ここから、銀行窓販が従来とは全く異なる証券リテール顧客層の開拓に成功する可能性が高いことを指摘し、窓販の拡大が、株式投信の商品性そのものを変化させており、これは証券リテール営業の構造変化をもたらす性質の事件であることを強調した。付け加えるならば、少なくともこの時点で、投信の銀行窓販に対して積極的な評価を与えていた論稿は、筆者のものを除けば、二上[2001] [ 4 ]ぐらいしか見当たらなかった。巷には、投信は個人資金の受け皿としてほとんど機能していないという、投信批判論が吹き荒れており、銀行窓販の着実な拡大はその嵐のなかに埋没していたのである。

    もっとも、この論文は証券関係者間で極めて評判が悪かった。筆者宛に直接、電子メールで批判を送られてきた方が複数おり、証券関係者のweb マガジンで、名指しで非難されたこともある。筆者にとって印象深かったのは、そうした批判が、例外なく、銀行窓販の主力商品が分類上、株式投信に組み入れられる分配型の公社債投信であることを根拠に、筆者の論旨が事実誤認であることを強調されていた点である。もちろん、このことは筆者も気付いており、脚注部分で説明を補足しておいたのであるが、どうやら、本文部分の内容が脚注部分まで読み進むことを許さないほど、彼らにとっては不本意なものであったようである。今にして思えば、株式および株式投信は、投資に専門的な知識を要する特殊な金融商品であって、専門家である証券会社しか取り扱えない、というのが証券関係者の長年の持論であったから、どのような形にせよ、銀行窓販の積極的な意義を認める論考は評価に値しない、という感情的な反発が、筆者への集中砲火につながったのであろう。

    それから2年余の時間しか経過していないにもかかわらず、この間の状況変化は最早、証券関係者間においても、銀行窓販の積極的な意義を認めない狭量な事実認識の存続を許さなくなったようである。何しろ、2004年8月には、銀行経由で販売された株式投信の純資産残高が証券会社経由分を上回るに至ったから、これは当然の結果でもある。偶然の符合であろうが、ちょうど、この2004年8月に発表された三浦・南本[2004] [6]は、窓販の解禁が「投資に関する知識のある人だけが買える投資商品」(ibidp.7)から「預金よりも1ステップだけ高度な商品」(同)への変質を促し、それによって、投信が、多くの個人顧客が「安心して購入できる」(同)金融商品へと変質したことを強調している。そのうえで、彼らは、銀行窓販の意義は、「販売チャネルが単純に拡大した」(同)ことではなく、投信そのものの「世の中における見え方、商品性格そのもの」(同)を変えた点にあることを、ちょうど、同種の構造変化を経験した化粧品のケース(デパート店頭における相談販売からコンビニでの直接販売への変化)を引き合いに出しながら、指摘したのであった。この論文を目にしたとき、正にわが意を得た思いで快哉を叫んだのを覚えているが、そうした個人的感慨はともかく、以上の投信窓販を巡る歴史的な経緯が、過去の成功経験に裏打ちされた、証券関係者間におけるコモンセンス(いわゆる社内常識とか、業界常識と呼ばれるもの)が、いかに世間常識とかけ離れたものになっていたかを如実に示している点に、改めて注目しなければならないと思う。この点に関しては、次節で改めて考察を加えることとしよう。

    さて、この投信のケースが物語るように、販売チャネルの多様化(ワンストップ・ショッピング化)と、証券投資への大量の資金流入が結び付くことにより、例えば株式投資などについても、従来、考えられていたような商品性が急激に変化する可能性は、実は意外なほど大きいのである。このことは、家計資金の保守的な運用姿勢が、近い将来、劇的に急激な変化を遂げる可能性を示唆していると受け取れないだろうか。否、日本版ビッグバン構想の本質は、そもそも、預貯金などの無リスク商品に異常なまでに傾斜した家計の資金運用形態の是正にあったのだから、その意味において、こうした方向性への家計資金運用における構造変化は歓迎すべき事態でもある。

    証券リテール分野の将来的な成長ポテンシャルの大きさは、以上の推論からも改めて確認できよう。

  4. 競争を真の利用者利便向上に結び付けるために
    もっとも、規制緩和(販売チャネルの多様化)による競争原理の導入が、すべての問題を解決すると主張すれば、以前から証券リテール分野に携わってきた多くの関係者から、一斉に疑問の声が上がるだろう。金融機関間の資金獲得競争の激しさは今も昔も同様であるが、そのなかでも、証券リテール分野における競争の激烈さは広く知られており、それゆえに、バブル期に法外なほどの高給を誇りながら、証券会社のリクルート担当者は常に新入社員の採用数が予定に達しないことに頭を悩まされ続けていたのである。

    つまり、ビッグバン構想以前から、金融機関・証券会社間には激烈な競争原理が働いていた。したがって、過去の競争が利用者利便の向上に結び付いてこなかった理由の解明にこそ、この問題の本質があると言える。そして、その答えは今や明らかで、過去の競争は、言わば内向きの競争であり、証券業界が既存の顧客層と販売体制を所与とした、コップのなかの争いに終始してきた点こそが元凶なのである。業法が規定する縦割り分業体制の下で構築されてきた販売体制を温存するなかで、コンマ以下のシェアを奪い合う競争のなかからは、顧客利便の向上などという発想は生まれようもないし、既存顧客から漏れた未開拓分野の深耕が後回しにされるのもまた、当然である。なぜなら、それは「手間がかかる」し、「効率が悪い」ため、目先の販売競争に打ち勝つうえで、むしろマイナスに作用するからである。投信窓販に当たって、銀行が採用した月次積み立て販売は、はるか昔に証券界が開発しながら、販売効率の低さを理由に切り捨ててきた方式であったことを想起して欲しい。前述の三浦・南本[2004]が提示した、もう一つの例である化粧品販売についても、筆者は当該分野には不案内であるから断言はできないが、長らく続いた再販価格制という法的な縛りと特約代理店制度という確立されて久しい販売チャネルの存在を考えれば、恐らく、証券リテール分野と同様の解釈が成り立つものと思う。証券会社の首脳が、外部者・新規参入者による投信の窓販やインターネット取引に対して、当初、極めて冷淡な反応しか持たなかったのと同様に、化粧品会社の首脳もまた、コンビニエンス・ストアで化粧品を売るなどという発想自体が信じられなかったのではないか。以上の議論からわかるように、競争圧力の高まりを、真の顧客利便向上に結び付けるためには、証券リテール分野の門戸が、常に幅広く外部参入者に対して開かれていることが必要である。

    日本版ビッグバン構想以降、わが国の証券リテール分野に起きた構造変化を一言で言えば、「ビジネス・モデルの多様化」である。従来は、ごく小規模のいわゆる「地場証券」を除くほとんどの証券会社が、証券4 業務(委託売買、引受、売出、自己売買)を兼営する総合証券経営を志向していたのに対し、ここ数年間の動きは、ネット取引への特化、コンサル営業を標榜する資産管理型経営への傾斜、富裕者層向けのプライヴェート・バンキングなどの多様な類型に特徴付けられ、同時に、いわゆる大手・準大手による寡占体制は事実上、崩壊するなど、産業組織の流動化が進行している。

    これらは、ある意味で構造改革路線の勝利であり、改革に伴う競争原理の注入が顧客利便の向上をもたらしていることは明らかであるが、こうした傾向が今後も維持されるかどうかは予断を許さない。例えば、ネット取引においてはすでに上位4社程度の寡占状態が成立しているし、ワンストップ化現象そのものが顧客口座のメイン集中要因を内包しているため、目下の業態を越えた提携・合従連衡の動きが一段落した後には、新たなリテール寡占状態が成立する可能性も否定できない。

    したがって、ある程度、長い時間視野を設定した場合、証券リテール分野への潜在的な新規参入を常に保証し得るような制度面での手当てがどうしても必要である。幸いなことに、この分野の成長ポテンシャルは高いので、需要面での制約が新規参入意欲を阻害する可能性は低い。問題は、業界秩序の維持や顧客保護などの名目で課される、過剰な新規参入規制であり、業者行政である。これらを徹底的に排除するためには、第1に、縦割り・商品別の規制体系を横断的・包括的な規制体系に変える必要があり、そのための手がかりとなるのが、いわゆる包括的金融サービス法の制定である。包括的金融サービス法は、何度となくその必要性を叫ばれながら、業態間の調整が難しいという理由で、立法が先送りにされてきた経緯がある。しかしながら、すでに相当程度まで業態間の相互参入が進み、ワンストップ・ショッピング化の実現が目前に迫ってきた段階において、いまだ、立法手続きが進捗していない現状は、最早、立法府の怠慢と言えよう。

    第2に、狭い意味での消費者・利用者保護規定は、包括的金融サービス法とは切り離し、別途、法制化する必要がある。その際に重要なのは、公正性を担保するのは条文の細かさではなく、実際の監視体制の有効な機能が重要であるという点であり、その意味において、証券取引等監視委員会の機能は今後、大幅に強化される必要がある。このことは、消費者保護規制が、従来型の業者行政に転化される可能性を排除するためにも決定的に重要である。

    第3に、証券リテール分野の主要商品である、株式のファンダメンタル・ヴァリューを高めていくための一層の努力を、株式公開企業に求めたい。前述した証券業の産業組織の変化は、市場規律を高め、企業のファンダメンタル・ヴァリューと市場価値との乖離を縮小させる方向に働いたと評価できる。これは、いわゆるバブル崩壊現象の数少ないポジティヴな一面であり、それが、家計資金の証券市場への流入を促進する要因となっていることはもっと強調されてよい。しかしながら、下落し続ける株価の下では、家計資金の継続的な証券市場への流入を期待することは難しい。家計資金の流入をさらに推進するためには、上場企業におけるより一層の主体的努力が必要である。資金フロー上、資金余剰状態にある企業セクターは、今や手持ち資金を積極的に投資し、企業価値の増大を計るべき時期に来ている。同時に、公開企業が果たすべき最低限の責務として、公正なディスクロージャーの執行を改めて要請したい。
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