オピニオン
ビジネスと子どもの人権
2020年01月27日 村上芽
1.はじめに
2020年を迎え、日本政府はようやく、2011年に策定された「国連ビジネスと人権に関する指導原則」に基づく「国別行動計画」(NAP)の策定に辿り着こうとしている。
ビジネスにおける人権の尊重は、もはやグローバルスタンダードであり、その対象は企業が直接雇用している従業員にとどまらず、顧客、取引先、地域社会との関係における人権配慮に広がっている。さらに、子どもに焦点を当てた、「子どもの権利とビジネス原則」も国連グローバル・コンパクト、ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレンの3団体が策定しており、企業がその影響の及ぶ範囲を広く考えるよう促している(※1)。
本稿では、日本企業にとって馴染みの薄い「子どもの権利」を、ESG(環境・社会・ガバナンス)の側面ごとに取り上げ、企業活動との接点を示していく。
2.なぜ、ビジネスと子どもの接点に注目すべきか
2018年、日本の未成年の自殺者数は599人に上った(※2)。さらに、児童虐待と心中による死亡数は年間約80人前後に及ぶ(※3)。
内閣府の調査によれば、日本における人権課題のうち、「子どもに関すること」に関心があると答えた人は約34%あり(※4)、特にいじめや虐待、それらを見て見ぬふりをすることが課題だと感じる人が多い。しかし、日本企業にとって子どもの権利の侵害は、重要だと認識されつつも「対応は検討していない」人権課題の上位に挙がっている(※5)。
子どもの人権に関する諸課題に対し、「個人的には関心があるが、ビジネスでは関係がない」「子どもと、わが社の事業は接点が遠い」と考えることは簡単だが、果たして本当にそうだと言い切れるだろうか。
企業の側からみて、子どもは、将来の顧客でありビジネスパートナーである。彼らが健やかに育ち、社会で力を発揮できることが、一国の財政や年金の観点でも国際競争力の面でも不可欠だ。子どもに関する指標が劣化している状況を放置することは、企業経営にとっての「ヒト」という資源の重要性を考えると、その国に立地する個別の企業にとっても得策とは言いがたい。
ESGやSDGsを推進する国連がそう認めているように、もはや、政府部門だけでは社会的課題は解決されようがない。当然、子どもの人権についても、企業にも積極的に検討する責務があると考えられる。ことに、サステナビリティを重視する企業ならば避けて通るべきではないテーマである。
3.子どもとの接点をESGで考える
3.1.環境
企業活動に伴う大気汚染や水質汚濁、有害化学物質、大規模な土地開発は、環境面からの人権問題に発展する可能性がある。子どもにとっても、生活環境が破壊され、小さいうちから健康被害を受けてしまうことで発達に影響する、引っ越しにより学習環境が損なわれる、昔から食べていた食品が食べられなくなる、といった影響が起こり得る。
健康被害については、環境省が全国で10万組の親子を対象として、化学物質の曝露が子どもの健康(アレルギーや精神神経、発達など)にどのような影響を及ぼすのかという大規模な調査を実施中である(※6)。環境問題そのものが社会の変化とともに変化し、常に未知の領域があることを示しており、結果によっては大きな経営リスクが生じることになる業種も出てこよう。
さらに、2018年から続く子ども世代による気候変動対策強化への要求(スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんの「未来のための金曜日」運動など)が示すように、現在の気候変動対策の取り組みの強弱の影響を最も受けるのは子ども世代である。そのため、踏み込んだ気候変動対策を行う企業かそうでないかは、子どもの生きる将来環境への共感できる企業かそうでないか、を示すリトマス試験紙になってくる。
また、資源の有効活用という観点では、総じて次世代のためにも、自社のビジネスのためにも、資源を「使い尽くさない」ことが重要である。世界的な人口増加と天然資源への負荷増大を背景に、持続可能な資源の利用を経営課題としての重視する企業が増えてきているのは心強いことで、法令順守以上の革新的な取り組みも活発になってきている。
3.2. 社会
①顧客
顧客利益の保護という観点では、古典的には肥満を助長するようなファストフード、安全対策が不十分な子ども用品や衣服類などの製造業、有害な情報を載せてしまうメディアや通信業に対し、NGOや消費者団体が批判の声を上げてきた。これらは、既に顕在化しているESGリスクと言ってよいだろう。
製品安全の内容も、技術や研究の進展とともに日々変化している。米国の自動車メーカーが、子どもに焦点を当てて研究をした結果、大人の障がい予防の研究成果が子どもに適用できないことが分かり、子どもがよく座る座席の位置を踏まえた安全対策を講じるようになった例もある(※7)。
また、企業広告や宣伝でも、差別を助長するような表現、不正確な製品ラベルが議論の対象となる。子どもが広告の影響を受けやすい存在であることを踏まえ、非現実的な画像や、性的描写、悪い意味での固定観念(女性だけが家事をしているようなCMなど)を植え付けるような可能性がないかをチェックすることも、ビジネスと子どもの人権との接点の一例である。
②従業員
ビジネスと子どもの人権といって多くの企業や投資家が想起する切り口が、児童労働である。しかし日本企業の国内事業の文脈では、子どもの保護者である従業員の働き方が、最大のイシューであろう。
ハラスメントや職場のいじめ、放置される長時間労働などが「子どもの人権を脅かすことにつながる」という理解は、日本国内ではまだまだ見られない。さらに、子育てと仕事の両立を巡っても、育休復帰後の仕事の与え方、外国人労働者の家族へのケア、不妊治療や妊娠中の女性への待遇など、課題は尽きない。
子どもの側から見ると、親の収入が少ないと、子どもの生活環境は悪化する。例えば野菜不足は低所得層の課題として指摘されている。
また、親が何らかのストレスを抱えていると、親が子どもに余裕をもって接することができなくなる。もし子どもが何か親に聞いてほしいような話(例えば、いじめられている実態)を抱えていたとしてもそれがかなわず、結果的にさらに子どものストレスが増すという悪循環も考えられる。子どものストレスが増せば、それはまた親にも跳ね返ってくることが必至となり、それは企業からみると生産性の低下につながりかねない。
③サプライチェーン
従業員の項で、保護者の労働環境と子どもの人権とが繋がっていることを挙げた。サプライチェーンについても、サプライヤーの従業員と子どもとの繋がりに与える企業のインパクトについては同様のことが言える。加えて、もし、サプライヤーがアジアやアフリカなどの途上国に存在している場合には、児童労働のリスクも自ずと高まる。児童労働とは、「子どもの権利とビジネス原則」では、「子どもから子どもとして過ごす時間だけでなく、子どものもつ可能性や尊厳を剥奪し、その身体的および精神的発達に有害となる労働」と定義している。
また、原材料や部品、製品の仕入れ先以外でも、自社の施設等のための保安要員や、物流関連の委託先企業もサプライヤーである。特に途上国で、警備員が不当に子どもに暴力を加えたり、子どもがそうした警備会社に雇われていたりしないかという課題も指摘されている。
日本国内で時折、児童や園児の通学等の列に自動車が突っ込むといった痛ましい事故が起こる。もし、その自動車が、委託先の運送会社のもので、納入時刻に間に合うよう、急ぐあまりに運転を誤ったことが原因で起こったとしたら、委託元企業としてのレピュテ―ション毀損も起こり得るだろう。
④地域社会
企業による地域社会への関与は、地域との円滑なコミュニケーションや市場維持を念頭に置いた社会貢献活動と拠点の進出・撤退の場合の配慮に大別できる。いずれの場合でも子どもも地域社会を構成するメンバーであるという認識が必要だ。
例えば、子どもの存在を前提に、宅地開発に伴う保育所の確保や、工事現場に向かうトラックが通学路・通学時間帯を通らないかといった配慮が考えられる。
また、最近、特に企業への期待が大きいのは、災害や紛争からの復興支援への関与である。特に、先住民族の子どもや障がいのある子どもなど、特定の層が脆弱な立場に置かれることを踏まえて、子どもの保護に企業の強みを生かしてほしいといった声もある。
3.3 ガバナンス
環境や社会への取り組みを支えるための企業ガバナンスという観点では、①トップのコミットメント、②意思決定機構、③リスクと機会認識、④救済メカニズム、⑤外部ステークホルダーとのコミュニケーションやエンゲージメントといった切り口が検討ポイントとなる。
こうした観点からビジネスと子どもとの接点の考えるなら、以下のような事例が挙げられよう。
・企業活動や施設が子どもへの暴力や搾取に利用(悪用)されないことの配慮(例えば、航空機を利用した人身取引の防止、深夜営業の店舗を利用した誘拐の予防)
・従業員が個人として暴力・搾取・虐待を行わないような研修・啓発を行うことの配慮
・苦情処理等の窓口を、子どもにも分かりやすくすることの配慮
・外部ステークホルダーの意見収集時に、子ども世代の声も取り入れることの配慮
4.おわりに
ESGの観点から、ビジネスと子どもの権利をめぐる課題を整理した。仮に個々の課題がすべて改善されたとしても、日本全体の人材育成の状況をどれほど改善できるかは定かではない。
しかし、大学入試制度改革の迷走などからも分かるように、少子化で子ともの数が減っているにもかかわらず、人材育成制度の劣化は危機的な状況にある。スポーツ等で個々に優れた人材が出現する一方で、冒頭で述べたように、誰も救えずに亡くなる子どもが少なからずいるという現実がある。
「子どもの肥満を放置することによるレピュテ―ション毀損」といった個々のリスクイシューに関心を払うことはもちろん、企業が子どもの存在を、将来の企業競争力の観点から包括的に捉えて、ビジネスとの関係を丁寧に点検していく実践が急務である。その際、欧米の労働生産性の高い国々が何をしているのかを学ぶことも有効であろう。本稿がその一助となれば幸いである。
(※1)国連グローバル・コンパクト、ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン「子どもの権利とビジネス原則」2012年3月
(※2) 厚生労働省 2019年度版『自殺対策白書』出所:https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/19/index.html
(※3) 厚生労働省「第9回児童虐待防止対策に関する関係府省庁連絡会議幹事会」資料2、2018年9月28日。この統計は年度単位のため、自殺対策の統計とは合わないが、概数として使用した。 出所:https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000361196.pdf
(※4) 内閣府 世論調査「平成29年度人権擁護に関する世論調査」図7、図8出所:https://survey.gov-online.go.jp/h29/h29-jinken/zh/z06.html
(※5)一般財団法人企業活力研究所 [2018]「平成30年度CSR研究会報告 新時代の『ビジネスと人権』のあり方に関する調査研究報告書」P23のグラフで、「重要と認識しているが、対応は検討していない」と回答した企業が最も多いのは「AIによる差別」で19.3%、「子どもの権利の侵害」は16.6%と、3位グループとなった。
(※6) 環境省が平成23年1月から3年間で参加者を募集し、13年間追跡調査を行う「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」。
(※7)「子どもの権利とビジネス原則」
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。