アジア・マンスリー 2019年1月号
アパレル生産からみたアジアの労働集約型産業の未来
2018年12月18日 熊谷章太郎
中国の労働コストの上昇を背景に、中国から東南・南アジアに向けた労働集約型産業の生産シフトが本格化しつつある。しかし、中長期的には自動生産技術の普及によりこの流れが反転する可能性がある。 ■中国から東南・南アジアへの生産シフトが本格化 中国の労働コスト上昇を背景に、東南・南アジアへの労働集約型産業の生産シフトが本格化しつつある。代表的な労働集約型産業であるアパレル生産についてみると、世界のアパレル輸入シェアの大半を占める米国、ドイツ、日本、英国、フランスでは、2010年代に入り中国からの輸入が減少する一方、バングラデシュ、ベトナム、インドなど中国以外からの輸入増加が続いている。 2010年代前半に生産シフトが本格化した理由は、中国の製造コストの割安感が薄まったためである。中国の一人当たり所得が輸入国の1割を上回る水準に達し、生産移転の実施が採算に合うほど他のアジア新興国とのコスト格差が拡大したのである。 ■中国の労働コスト上昇が背景 先行きを展望すると、中国と東南・南アジア間の賃金格差を背景に、当面生産シフトが続くだろう。中国の成長率は2010年代に入り低下トレンドにあるものの、依然として6%を超える底堅い経済成長が続いており、一人当たり名目GDPは、2030年代にかけて米国の4割近くに達すると予想される。中国に代わる有望なアパレル生産拠点として注目を集めている、カンボジア、ベトナム、バングラデシュなどでも中国を上回るハイペースで賃金上昇が続くものの、現在の水準が低いこともあり、中国との水準格差は当面拡大し続けると見込まれる。 こうした動きは中長期的に継続する可能性が高い。中国では、一人当たり所得がアパレル輸入国の1割に達したタイミングで生産シフトが起きた。カンボジア、ベトナム、バングラデシュの一人当たり所得が米国の1割に達するのは20年超を要する見込みである。その間はこれらの国々がアジアの労働集約型産業において引き続き重要な地位を占めることになるだろう。 さらに、米中貿易戦争の一段の深刻化 、東南・南アジアでの電力・輸送インフラを含むビジネス環境の整備、中国を含む広域での経済統合の進展も、中国からの生産シフトを後押しする要因となる。世界最大の消費国である米国のUSFIA(United States Fashion Industry Association、米国ファッション産業協会)が実施した調査でも、調査対象企業の67%が今後中国からの調達を減少させると回答している。また、現在は中国国内で生産・消費されるアパレル製品についても、中国の人件費が高まり輸送コストなどを勘案しても東南・南アジアから調達するほうが割安となっていけば、東南・南アジアへの生産シフトが進む可能性がある。中国は既に米国に次ぐ世界第2位の経済国になっており、今後も経済規模の拡大が続く。そのため、アパレル生産のシフト先となる国は、先進国向けに加えて中国向け輸出の増加でも大きな恩恵を受けるだろう。 ■自動生産技術が生産シフトを反転させる可能性 もっとも、アパレル自動生産技術の進歩・普及により、低賃金を目指す生産シフトの動きが反転する可能性があることに留意する必要がある。近年、AI(人口知能)や画像認識技術などを含むデジタル技術の発達を背景に、アパレル産業でもデザイン、生産・在庫管理、物流、販売など様々な工程で自動化・デジタル化が進んでいる。これまで自動化が困難といわれてきた縫製工程おいても自動化技術が急速に進歩しており、安価な労働力に依存しない生産体制を確立しようとする動きが進んでいる。短期的には、初期投資コストの高さが自動生産設備導入の制約要因となるものの、中期的には、一段の技術進歩に伴って自動生産技術の適用可能な生産工程が広がり、労働コスト対比でみた設備費用が低下していけば、生産ボリュームが大きく固定費の回収が相対的に容易な大規模工場を中心に省力化投資が進むと見込まれる。さらに、長期的には、自動生産装置の普及と価格低下の相乗効果により、中小規模の工場でも自動生産設備の導入が可能となるまで初期投資コストが低下する可能性もある。この場合、低賃金を目指して生産拠点を移管させる必要性は一段と後退するだろう。 こうした動きは、アパレル以外の労働集約型産業でも起こりうると考えられ、現在の労働集約型産業は徐々に資本集約型産業の色彩を強めていくだろう。そのため、中長期的には、生産拠点の決定において労働コストが果たす重要性は次第に低下していく可能性が高い。むしろ、①最終需要地との近さ(地理的な距離、輸出入の手続きの容易さなど)、②設備導入・運用環境(資金調達環境、設備投資に関わる税制優遇措置、電力の安定供給・コストなど)、がより重要な立地決定要素になっていくと考えられる。その結果、低い労働コストが輸出競争力や経済成長の源泉となっている低所得のアジア新興国は、将来的には自動生産技術の一般普及によって経済発展が困難になるリスクがある。持続的な成長を遂げるためには、創造性や対人スキルを核として、自動生産技術によって代替されにくい産業を育成していくことが求められる。こうしたことを踏まえると、多くの新興国にとって当面は物流・電力といった経済インフラの整備が重要課題となるものの、それらが一定水準に到達すれば、教育水準の向上など人材開発の重要性がより高まっていくだろう。
株式会社日本総合研究所 The Japan Research Institute, Limited
The Japan Research Institute, Limited