Business & Economic Review 2005年01月号
【OPINION】
小泉政権は外交戦略再構築の好機を逃すな
2004年12月25日 調査部 環太平洋研究センター 上席主任研究員 高安健一
- 主体的な外交戦略を展開する好機
アメリカ国民は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ氏を大統領に再選した。同大統領と小泉首相の個人的な信頼関係を背景に、日米関係はかつてないほど良好な状態にあるといわれている。しかしながら、それは、わが国の外交課題や安全保障問題が解決されたことを意味するものではない。東アジア(極東)は、冷戦構造の清算、多国間安全保障メカニズムの構築、域内経済統合などの分野で、欧州などの後塵を拝している。
ブッシュ政権は今後、国際協調派と言われているパウエル国務長官の後任に指名されたライス大統領補佐官(安全保障問題担当)のもとで、中国の大国化、朝鮮半島問題、台湾海峡を挟んだ軍備増強など、東アジアの安全保障問題に強い姿勢で臨んでくると予想される。第2期ブッシュ政権の発足を待たずして、外交戦略の軌道修正が進みはじめている。欧州連合(EU)、中国、ロシア、東南アジア諸国連合(ASEAN)は、同政権との適切な距離感を模索する一方で、近隣諸国・地域との間で経済・安全保障の両面で関係を強化している。
小泉政権は、日米同盟の良好さを喧伝するにとどまらず、それを東アジアの安定と国益実現に活用するための戦略を明示しなければならない。わが国がイラクの復興支援と併せて迅速に対処すべき外交課題は、a.アメリカのグローバルな軍事体制再編への対応、b.東アジアにおける多国間安全保障メカニズムの構築、c.国連安全保障理事会の常任理事国入りの三つである。日米関係と米中関係が良好で、中国が国際経済への統合を明確に意識し、東アジアにおいて自由貿易協定(FTA)締結や安全保障メカニズム強化の機運が高まり、国連改革が具体化しつつある今こそ、わが国が包括的かつ積極的な外交戦略を展開する好機である。 - ブッシュ政権の外交政策の特色
ブッシュ政権の外交目標は、「アメリカ第一主義」(American Primacy)の達成である。国益の追求、ならびに自由、民主主義、市場経済を世界に広げることが外交政策のミッションである。
ブッシュ政権の外交理念と基本政策は、ライス大統領補佐官が2000年の大統領選挙キャンペーンの最中に『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した「アメリカの国益増進」(Promoting the National Interest)と題する論文に集約されている。
ライス氏は、クリントン前政権の外交戦略を全面的に否定することから議論を展開した。つまり、a.世界の多くの問題地域に関与したこと、b.対中政策を誤ったこと、c.国益との関連が不明確な政策を実施したこと、d.冷戦が終結していたにもかかわらず軍事力の再配置を怠ったことなどを批判した。
さらに、ライス論文からブッシュ政権の外交政策の特色を三つ抽出できる。第1は、アメリカの国益を最優先することである。自国の行動を制約する国際条約や国連よりも国益を重視する。第2は、アメリカの軍事力は戦争を抑止する効果があり、そのために戦力を展開することである。仮に抑止に失敗した場合には、国益を守るために軍事力を行使する。これは、自国への脅威を力で排除する発想である。第3は、自由貿易と国際通貨システムの安定と拡大により、経済成長と政治的開放を促進することである。非民主的な国家を国際経済へ統合することにより、政治変革を誘発できると認識している。
同論文では、世界の国々をa.同盟国(allies)、b.中国、ロシアなどの大国(powerful states )、c.ならず者国家(rogue regimes)の三つに分類している。 これは国際条約や地域概念に基づくものではない。ブッシュ政権は、価値観を共有し、平和、繁栄、そして自由を促進する責務を分かち合う同盟国との間で包括的な関係を構築する。その象徴的な出来事が、イラク戦争の開戦に際して、北大西洋条約機構(NATO)あるいは欧州連合(EU)と行動を共にするのではなく、アメリカと価値観を共有するイギリスやイタリアなどと有志連合(coalition of the willing)を形成し、ドイツやフランスと対立したことである。ブッシュ大統領は、小泉政権に対して、米軍への後方支援や人道復興支援にとどまらず、自らの信念や価値観を共感することを求めていると理解すべきである。
大国である中国とロシアは、国際政治システムを変質させる能力と意思を備えた国として理解されている。大国とは良好な関係を築くべきだとしながらも、その対中認識はクリントン前政権と対照的である。台頭しつつあるパワーである中国は、アメリカの「戦略的競争者」(strategic competitor)として位置付けられる。アジア外交の目標は、米軍の存在により朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)や中国が軍事力の行使を断念する環境を、日本および韓国と連携を深めて作り出すことである。
ブッシュ政権がならず者国家と名指しした3カ国(2002年1月の大統領教書では「悪の枢軸」(the axis of evil)と表現)に対するアプローチは、国ごとに異なる。イラクについては、ライス論文が発表された2000年時点で、フセイン大統領を排除するためにあらゆる手段を動員すると明言していた。イランは、テロを支援しており、市場と民主主義による国際システムの構築に対してイスラム原理主義で対抗、また他のアラブ諸国を不安定化させる存在として認識している。北朝鮮は、国際システムの外側に存在する国と考えられている。仮に国際経済に組み込まれた場合、単独で生き残る国力はない。大量破壊兵器の排除を目的に抑止状況を作り出すこと、ならびにアメリカ本土ミサイル防衛システムと戦域ミサイル防衛システムを配備すべきことが主張された。ただし、ブッシュ政権は、北朝鮮にはイラクのような体制転換(レジーム・チェンジ)を求めていない。アメリカが2国間で北朝鮮に対峙するのではなく、ソウルと東京と密接に連絡をとることを強調している。
第1期ブッシュ政権の外交政策は、おおむねライス論文に沿って展開されてきた。2001年9月のアメリカ同時多発テロを契機に、テロや大量破壊兵器の拡散などの「新たな脅威」を、安全保障上の最優先課題として位置付けるとともに、本土防衛を外交戦略の至上命題とすることがより鮮明になった。他方で、米中関係は、アメリカがテロ、大量破壊兵器、北朝鮮への対応に中国の協力を必要とするようになったため、ブッシュ政権発足当時の予想に反して良好なものとなった。第1 期ブッシュ政権で外交政策に従事してきた主要閣僚は、三つのグループに分けることができる。すなわち、a.いわゆる新保守主義派(ネオコン)であるウルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、ボルトン国務次官、b.対外強硬派であるチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、c.国際協調派であるパウエル国務長官、アーミテージ国務副長官である。これらのグループの意見を集約して大統領に伝えてきたのがライス次期国務長官である。
イラク戦争の開戦までは中東民主化構想を唱えるネオコンの発言力が強く、対外強硬派と連携した。その後同構想が暗礁に乗り上げてネオコンの発言力が後退する一方で、独仏や国連との軋轢の修復、ならびに戦後復興のために支援を取り付ける必要から、国際協調派の発言力が回復した。今後は、パウエル国務長官と対日政策を取り仕切ってきたアーミテージ国務副長官の辞任により、アメリカの外交政策がより強硬になることに加えて、日米外交実務担当者の人的ネットワークが一時的にせよ弱体化することが懸念される。 - 良好な日米関係は何をもたらしたのか
近年、日米関係がかつてないほど良好であることが繰り返し喧伝されている。 日米同盟が強化された背景には、ブッシュ大統領と小泉首相の個人的な信頼関係、ならびにわが国がアメリカのアフガニスタンとイラクに対する武力行使を支持したことがある。その他にも、外交実務担当者間のパイプの太さ、アメリカがわが国の経済力を脅威として認識しなくなったこと、日米構造協議などを経て両国間の経済問題がおおむね解決されたことなどが指摘できる。日米関係がわが国外交の基盤であることは間違いない。問われるべきはそれを国益のために活用できているかという点である。良好な日米関係は一定の対価のうえに築かれているはずである。小泉政権がブッシュ政権に対して主張すべき事柄は多い。
(1)ブッシュ外交追随のジレンマ
わが国の外交政策は、単独行動主義(ユニラテラリズム)に傾斜したブッシュ政権を支持することにより、ジレンマを抱えることになった。
第1 は、わが国の国際的なイメージが低下した可能性である。イラクに対して人道復興支援を目的に自衛隊を派遣したことが、アメリカが主導する有志連合の一員として米軍を支援したと解釈されている恐れがある。
第2は、アメリカと国連の関係が悪化すると、わが国にとって日米同盟と国連(国際協調)の両立が難しくなることである。国連の支持が得られなくとも、ブッシュ政権が国益を実現するために軍事力を行使することが、イラク戦争で明らかになった。わが国はそのアメリカを支持したものの、戦争の大義であった大量破壊兵器の存在はいまだに確認されていない。
第3は、アメリカを含む諸外国が、わが国によるイラクなどの国家再建/国民形成(nation- building )に過大な期待を抱く懸念である。イラクは2005年1月に予定されている戦後初の総選挙を経て、本格的な復興過程に入ろうとしている。
イギリス、オランダ、ポーランド、タイ、フィリピンなどの有志連合は、すでに「軍隊」の縮小ないし撤退を進めている。他方、自衛隊は非戦闘地域における人道復興支援を目的に派遣されたため、わが国としては復興過程が本格化する局面で、縮小ないし撤退を切り出し難い。去る11 月にチリで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC )で日米首脳が会談した際に、小泉首相は自衛隊のイラク派遣の延長に言及した。今後、国連がアメリカの後始末を押し付けられることを警戒する一方で、ブッシュ政権が有志連合にさらなる協力を求めてくることがあり得る。
第4は、ブッシュ大統領の価値観や道徳観にわが国の外交が振り回される恐れである。周知のように、この問題がアメリカと欧州(独仏)、アメリカと国連の関係を不安定にしている。他方、ブッシュ大統領は、小泉首相とは価値観を共有していると繰り返し述べている。ブッシュ政権とは、政策ごとに是非を論じるべきである。首脳同士の信頼関係が厚いからといって、アメリカの政策を丸のみにしてはならない。
(2)ブッシュ政権に主張すべき事柄
小泉政権には、様々な対価のうえに築かれた良好な日米関係を、国益の達成に活用する責任がある。わが国は、ブッシュ政権に対して、少なくとも以下のような事柄を要求ないし主張すべきである。
第1は、自国の行動を縛る国際条約を認めない姿勢を改めるように要求することである。ブッシュ政権は、京都議定書(気候変動枠組みに関する条約)、包括的核実験禁止条約(CTBT)、生物兵器禁止条約(BWC)の検証議定書交渉など、わが国の関心が高い多くの分野に反対している。第2は、対中政策の日米間での調整である。わが国を通り越して米中間で東アジアの外交問題が議論されることを牽制する必要がある。第3は、わが国の国連安保理の常任理事国入りへの明確な支持である。第4は、ブッシュ政権の中東政策の是非を冷静に判断し、場合によっては修正を求めることである。イラク戦争後、ネオコンが主張した民主化のドミノ現象は起きていない。ブッシュ政権は、わが国が原油の安定供給を目的にイランのアザデガン油田の開発権を獲得することに難色を示した。 - 外交戦略の再構築に向けた取り組み
(1)基本認識
第2期ブッシュ政権の外交戦略はすでに始動しており、わが国は早急な対応が必要である。ブッシュ大統領は、再選後最初の記者会見で、テロとの戦いと本土防衛を目的とした戦時体制が続くことを強調した。フセイン政権を打倒し体制転換を達成したイラクの復興に注力しつつ、ならず者国家であるイランと北朝鮮への対応を具体化していくことになろう。さらに、台湾海峡を巡る情勢や対中政策が変更される可能性もある。これらの政策は、ブッシュ・シニア政権時代に、旧ソ連・東欧政策の責任者として冷戦の終焉に立ち会ったライス新国務長官の下で推進される。
他方、わが国の外交目標は、日米関係の成熟、東アジア(極東)における冷戦構造の終結、そしてテロや大量破壊兵器の拡散回避を含む国際協調体制の構築の三つと考えられる。それらを実現するために早急に取り組むべき課題として、a.アメリカのグローバルな戦力再配置への対応、b.東アジアにおける多国間安全保障メカニズムの構築、c.国連安全保障理事会の常任理事国入りの三つがある。アメリカ、東アジア、国連のそれぞれに足場を築き、国際情勢を睨みながらその三角形の内側で最良のポジションを確保することが、わが国外交のベストミックスにつながる。さらに、東アジアにおける外交課題を処理するためには、日米、日中、米中で形成されるもう一つの三角形が良好に保たれている必要がある。
(2)迅速に対応すべき三つの課題
a.アメリカのグローバルな戦力再配置
わが国は、アメリカのグローバルな戦力再配置であるトランスフォーメーション(transformation)への対応を早急に決断しなければならない。
アメリカは、冷戦時代に旧ソ連を敵国として想定し、米軍を同国の近隣に展開することで本土に脅威が及ぶことを回避した。ところが、テロや大量破壊兵器の拡散防止に関しては、先制攻撃を含めて最少の兵力で最大の効果を得るための戦力配備が必要だとの認識を強めてきた。ブッシュ政権は、旧ソ連の近隣諸国および本土の兵力を削減する一方で、いつどこで発生するか予測が困難な脅威に前線で対応できる機動的な体制を整えることを決めた。
こうした認識の下、ブッシュ大統領は2003年11月に、「全地球規模での軍事体制の見直し」に関する声明を発表した。ならず者国家、テロ行為、大量破壊兵器の拡散といった「新たな脅威」に対応するためのグローバルな軍事体制の再編を課題とし、議会や同盟国と海外に展開する米軍の体制見直しを協議することを表明した。さらに、2004年8月に、「米軍再編10 年計画」を発表し、アジアと欧州に駐留している米軍のおよそ3分の1に相当する6万人から7万人を本国に帰還させることを明らかにした。
米軍のグローバルな戦力再配置の具体的な目的は、中東から朝鮮半島に達する「不安定な弧」(arc of instability)においてテロ活動を封じ込めるための機動力を確保することと理解できる。欧州に駐留する米軍の体制見直しについては、冷戦構造の終焉とロシアのNATO への準加盟を背景としたドイツ駐留米軍の削減と、中東への展開力の増強などが決まっている。アジア太平洋地域においては、38度線近くに配置されている在韓米軍の後方移転が米韓の間で合意されている。在日米軍については、2004年に、米軍第1軍団司令部をアメリカ・ワシントン州から神奈川県のキャンプ座間に移転させる計画が日本側に伝えられた。これは、「不安定な弧」の緊急事態に迅速に対応するためには、司令部機能が東アジアにあるべきだとの理由による。
ブッシュ政権には、わが国に対して日米安全保障条約のみならず国際社会におけるアメリカの努力を支援して欲しいとの強い思いがある。同政権が4 年弱の小泉政権との良好な関係に基づき、東アジアで最も重要な同盟国であるわが国に米軍の戦力再配置への協力を要請し、司令部を設置しようとすることは自然な行動である。
米軍の戦力再配置は、イラク戦争と同様に、わが国に安全保障上の原則なり法制の再検討を迫る課題である。問題は、わが国が自国の安全保障について考え抜いた末に従来の原則なり法制度を自らの意思で変更するのか、それともブッシュ政権からの要望に対応するために受動的に変更するのかということである。現状は、要望に対して既存の原則なり法制度を拡大解釈することで対応しているように見受けられる。
米軍の戦力再配置に関連して議論すべき点は三つある。第1 は、在日米軍の駐留目的が日本の有事対応と「極東の平和と安全の維持」から踏み出し、日米安全保障条約第6 条(極東条項)に抵触する恐れである。同条約は、アメリカ本土が攻撃された場合や、極東以外の地域におけるテロ組織に対する先制攻撃などを想定していない。わが国に司令部が設置され、兵力が国内基地から極東以外の地域に展開する場合への対応を、事前に整理しておかなければならない。
第2は、集団的自衛権(他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止すること)との関係である。これを認めていないわが国にとって、アメリカの軍事行動にどの程度協力すべきかという問題が常につきまとう。2004年6月に開催された主要先進国首脳会議(サミット)で、小泉首相はブッシュ大統領に対して、多国籍軍への自衛隊の参加を表明し、従来の解釈から大きく踏み出した。
第3は、イラク戦争、そして米軍の戦力再配置に関連して、わが国として自衛権の拡大解釈をどの程度許容するかという問題である。2001年9月以降問題になっているのは、法の支配と国連の権威が及ばない非国家組織が自国に攻撃を仕掛けてくる恐れがある場合に、テロや大量破壊兵器の脅威を取り除くための方法論として、自衛権を拡大解釈した先制攻撃が正当化できるかということである。
国際社会による武力行使を正当化する根拠として人権保護や紛争予防があるが、それにテロや大量破壊兵器などの問題を加える必要はある。ただし、その一方で、特定の国がそれを無制限に行使することには歯止めを掛けなければならないが、その基準は確立されていない。アフガニスタンに対するアメリカの軍事行動については、同国が受けたテロ行為と自衛権行使の関係が明確であり、国際社会も支持した。しかし、イラク戦争の場合は、急迫不正とは認められない脅威に対する自衛権の発動であり、しかも開戦の根拠となった大量破壊兵器はいまだに発見されていない。
自衛権と集団的自衛権は、わが国の国連常任理事国入りとも関連する問題である。小泉首相は、現行憲法のままでも集団的自衛権の行使には抵触せず、常任理事国入りを主張できるとの考えのようである。他方、常任理事国を海外での武力行使に踏み切ることを前提とした存在と認識するのであれば、あらかじめ憲法9条を改正ないし加憲すべきだとの議論も成り立つ。
わが国は、以上の三つの点について議論するにあたり、まず国内において、東アジアにおける多国間安全保障メカニズムの構築、テロと大量破壊兵器の拡散を防ぐための国際協調体制の在り方、紛争の芽を摘むための開発途上国の国家建設/国民形成支援などにかかわる原則と政策を固める必要がある。現行の憲法と日米安全保障条約の枠組みの下で対応できる事柄とできない事柄を整理し、国会などの場で議論を尽くさなければならない。さらに、新たな理念なり原則を、冷戦終結後に諸外国と比較して見直しが遅れている防衛予算の配分や装備、人材育成に反映させることを忘れてはならない。わが国が非軍事分野での国際貢献に特化する道を選択するのであれば、国際協力なり人道復興に専従する組織を、平和維持活動(PKO)を担う自衛隊とは別に新設すべきである。
b.東アジアにおける多国間安全保障メカニズムの構築
わが国は、東アジア(極東)における多国間安全保障メカニズムの構築に主体的に取り組まなければならない。
東アジアでは、冷戦時代からの外交課題が多く残っているのみならず、軍備増強が続いている。域内の経済相互依存の拡大が、軍事的緊張の緩和に結び付いていない。これに対して、欧州は単一市場を形成する傍らで、ロシアをNATOに準加盟国として迎え入れた。欧州では、経済と安全保障の両面で広域な制度化が進展している。東アジアでも、中国とASEAN が近隣地域の安全保障メカニズムの構築とFTA 締結を並行して推進する「重層的アプローチ」を展開している。
国際経済との結び付きを急速に強めている中国は、近隣諸国との関係を強化している。周知のように、ASEAN とはFTA締結交渉を実施しており、わが国と韓国には日中韓FTAを提案している。他方、外交面では、対米関係の改善、インドとの首脳会談などに取り組んできた。さらに中国は2001年に、ロシア、中央アジア4カ国と上海協力機構(SCO)を結成し、経済協力、反テロ協力などに加えて、信頼、対話にもとづく安全保障関係の構築を打ち出した。ロシアとは、2001年7月に江沢民主席(当時)が同国を訪問した際に、80 年に失効した「中ソ友好同盟相互援助条約」に代わる「中ロ友好善隣相互協力条約」に調印した。
ASEANとの間では、2002年に南シナ海における行動規範に関する宣言、2003年に東南アジア友好協力条約(TAC)にそれぞれ調印した。 ASEANは、政治体制や経済発展段階が異なる国の集合体であるが、平和的な関係を深めることに成功している。ASEAN 首脳会談は2003年10月に、安保、経済、社会の3分野において、2020年を目指して共同体を構築するバリ協定宣言2を採択した。2004年6月30日に閉幕したASEAN 外相会談では、安全保障共同体の行動計画を作成することで合意した。これは、地域協力機構としての正当性を高め、域内外の経済・安全保障問題に関与できる体制を構築することを狙ったものである。軍事演習や情報共有を合同で実施する平和維持センターを各 国に設立したり、創設を検討している平和維持活動部隊の本部機能を設置することを含む。外相会談では、朝鮮半島の非核化を支持するとともに、国連総会へのオブザーバー参加を要請することでも合意した。さらに、ミャンマーに対して民主化を促すことになり、従来の内政不干渉原則から一歩踏み込んだ。ASEAN 外相会談は、アジア太平洋地域で安全保障問題を扱う唯一の場であるASEAN 地域フォーラム(ARF)の機能強化でも合意した。
ASEAN 外相会談に引き続き開催されたARF 閣僚会議(7月2日閉会)では、ARFに予防外交の機能を担わせるなど、域内安保に積極的に関与する機関に改革することで合意した。その一環として、ジャカルタのASEAN本部にARFの常設事務局を設置することが確認された。
わが国もEU、中国、ASEANなどの先例を睨みながら、東アジア(極東)において、FTA網と多国間安全保障メカニズムを同時並行的に構築する重層的アプローチを展開すべきである。日米安全保障条約に加えて、域内に多国間安全保障メカニズムを構築すべき理由は、以下の五つである。
第1に、極東には、朝鮮半島の軍事的緊張の緩和(非核化)、テロと大量破壊兵器の拡散の防止、ならびに台湾海峡の安定など安全保障上の課題が多く存在する。これらは、日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国などの関係国が密接に協議してこそ、実効ある対応が可能となる。先のアメリカ大統領選挙で民主党のケリー候補は、米朝2国間協議を6カ国協議に優先させる意向を示したが、わが国にとってはブッシュ政権が推進する多国間の枠組みの方が直接主張を展開できる。
第2に、経済成長を背景に軍事力を増強している中国への懸念がある。EUによる中国への武器輸出禁止措置の緩和、アメリカによる台湾への追加的な武器売却など、極東ではこれからも軍備が増強される可能性が高い。経済相互依存の高まりが安全保障面での緊張緩和をもたらしていない。
第3に、アメリカの対アジア戦略を中和する効果である。アメリカの存在なくしてわが国の安全保障が確保されないことは事実である。しかし、その一方で、その存在が極東における撹乱要因となる事態もあり得る。アメリカが中国やロシアと対立する可能性、そしてわが国がアメリカのグローバル戦略に過度に組み込まれる危険性などを回避するためにも、域内に多国間安全保障メカニズムを構築しておくことは有益と考える。
第4に、ブッシュ政権と東アジア諸国との対話は、日本、中国、ロシア、東南アジア諸国などいずれの場合も、2国間ベースで行われてきた。安全保障問題を協議する多国間メカニズムを構築して、域内でコンセンサスを積み上げていくべきである。
第5に、広域な対話の場であるARF は、首脳間の信頼関係を醸成するという機能に優れてはいるが、具体的な紛争処理メカニズムを備えていない。
極東における安全保障メカニズムの構築には、朝鮮半島をめぐる6カ国協議を活用し、高レベルの定期協議を継続しながら徐々に制度化することが有益と考える。これを、米中、米ロ、中ロの関係が良好で、中国がASEAN+3の枠組みにおいてわが国を不可欠な存在と認識し、さらに第2期ブッシュ政権のアジア政策が新たなスタッフの下で固まる前に、積極的に主張すべきである。
c.国連安全保障理事会の常任理事国入り
わが国にとって、国連の安保理の常任理事国となることは、国際協調路線と日米同盟を両立させる鍵を握る。
常任理事国に選ばれるためには、国連分担金の負担比率(2004年から2006年までの分担率は19.468%)および政府開発援助(ODA)供与額が、アメリカに次いで世界第2位であるという経済面での貢献だけでは不十分であろう。2001年9月を境に、テロと大量破壊兵器への対応、そして平和維持活動や人道復興の重みが増してきたように思える。
外務省は、国連改革に関する有識者懇談会の報告書「21世紀における国連の役割と強化策」を2004年6月に取りまとめるとともに、同年8月に常任理事国入りに向けた対策本部会合を開催した。国連改革については、アナン事務総長の諮問機関である「ハイレベル委員会」が最終報告をまとめたところであり、そのなかに常任理事国の増加案が盛り込まれた模様である。そして、2005年秋の国連首脳サミットで常任理事国の取り扱いに関する道筋が明らかになる段取りになっている。
現在の常任理事国5カ国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)は、仮に常任理事国が10カ国に増え、しかも拒否権が付与される案が提出されるならば、既得権益の侵害と受け止めるであろう。アメリカは、自国の行動が制約される可能性がある常任理事国の増加には消極的である。2004年9月に小泉首相が国連を訪問した際に開催された日米首脳会談でも、ブッシュ大統領はわが国の常任理事国入りに明確な支持を示さなかった模様である。中国とロシアの支持も欠かせないが、日中首脳の相互訪問の目処が立たず、ロシアと平和条約を締結していない状態では、両国からの支持の獲得は難しいであろう。常任理事国入りを重要な外交課題として掲げるのであれば、両国との関係改善は急務である。
国連の常任理事国に選ばれた場合に、わが国が問われるのは新たな脅威や地域紛争への対応である。この点では、イラク戦争を巡る国連での議論も大きく揺れてきた。第1局面は、テロの阻止と大量破壊兵器の拡散防止のために、2001年に国連安保理で決議1368(個別的または集団的自衛の権利)、および決議1378(アフガニスタンに関する決議)がなされた頃であり、加盟国間の意見の相違は小さかった。第2局面は、2002年の決議1441(イラクおよびクウェート情勢に関する決議)からイラク戦争開戦にかけての時期である。国際社会は、アメリカ、イギリス、日本などの有志連合と、ドイツ、フランス、ロシアなどの慎重派に分裂した。第3 局面は、戦後復興のための国際協調の復活である。決議1483(イラクおよびクウェート情勢に関する決議)以降は、人道復興支援に注力すべく加盟国が連帯する方向に転換した。
わが国が今後国際紛争に直面した場合、第3局面において積極的な役割を果たすことについては、国内外とも異論はなかろう。紛争を未然に防ぐための支援を実施することにも問題はなかろう。第1局面と第2局面については、a.国連の一員として軍事行動に踏み込んだのか、b.アメリカなどの特定国の指揮下で軍事行動をするのか、c.後方支援活動に専念するのか、d.いかなる軍事行動・後方支援活動も行わないのか、e.紛争防止と人道復興支援に特化するのかなどを判断し、諸外国に説明しなければならない。
(3)日米、日中、米中のトライアングルの強化
東アジアの安定と発展には、日米、日中、米中という三つの2国間関係を強化することが不可欠である。
ところが、日米関係が一層強固になり、米中関係が好転する一方で、日中関係が冷え込んでおりトライアングルの一辺が機能していない。わが国の外交戦略は、アメリカが自国と中国のどちらをより重視しているのかという観点からではなく、日米中のトライアングルのなかで問題解決に取り組むという発想を取り入れるべきである。
わが国にとって米中関係の安定は重要である。両国関係は、第1期ブッシュ政権の発足当時の予想に反して、同時多発テロを境に好転した。中国は、6カ国協議で議長国となり北朝鮮の説得役を果たす一方、アメリカのイラク戦争を表立って批判することを避けてきた。6 カ国協議とイラク問題で中国に借りができたアメリカは、台湾の独立問題に不支持を表明してきた。
しかしながら、今後米中関係が不安定化するリスクがある。第1期ブッシュ政権発足当時の対中認識が、再浮上することが十分に考えられる。もとより同政権は、中国をクリントン前大統領が「戦略的パートナー」(strategic partner)として位置付けたのに対して、「戦略的競争者」として認識している。前述したライス論文は、中国を現状維持勢力ではなく、自らに有利な形でアジアの勢力バランスを変えようとする存在として捉えている。さらに中国がイランとパキスタンに弾道ミサイル技術を提供したことを問題視している。アメリカは、台湾の安全保障に深い関心をもっており、民主的な市場志向型の発展(market- oriented development)モデルとみなしている。中国については、国際経済体制への統合や海外との人的交流を拡大することにより、内部体制に変革が生じることを期待している。
第1期ブッシュ政権末期から、米中関係がきしみはじめている。第1は、対中貿易赤字の拡大、人民元切り上げ問題、模造品への対応などの経済摩擦である。アメリカ通商代表部(USTR)は2004年に、通商摩擦に対応するための組織として中国部を復活させることを発表した。
第2は、台湾問題である。ブッシュ大統領と温家宝首相は、2003年末の会談で「台湾海峡の現状を維持する」ことで意見の一致をみた。だが、翌年3月に実施された台湾の総統選挙に向けて陳水扁総統が独立志向を鮮明にすると、米中間の認識の差が浮かび上がった。さらに、アメリカによる台湾への武器売却と極東におけるミサイル防衛網構想、EUの中国への武器売却計画なども絡み合い、状況は複雑になってきた。アメリカは、台湾は東アジアにおける潜在的な紛争地域(conflict zone)であり、自国が軍事的な抑止力として存在してきたとの認識をもつ。ブッシュ大統領は、ライス大統領補佐官を2004年7月に北京に派遣するなど、摩擦緩和に取り組んではいるが、解決の糸口を見いだせないでいる。
第3は、中国の人権問題である。ブッシュ政権が2004年3月に国連人権委員会で中国非難決議案の提出を決めたことに中国側が反発し、両国間の人権対話が停止した。
第4は、中国がアメリカのトランスフォーメーションや日米安全保障体制の強化を、潜在的な脅威として認識するか否かである。むしろ中国は、多国間軍事対話を積極化させることで、アメリカの動きを牽制するとの見方もできる。
第5は、アメリカの中東政策に中立的な立場をとってきた中国が、2004年5月の国連決議で、米英が提案したイラク復興に関する国連安保理決議案に初めて修正を求めたことである。
わが国は、日米関係の強化と日中関係の改善に取り組むとともに、域内の安全保障問題、とりわけ6カ国協議に悪影響が生じないように、両国に自制を求めるべきである。中国の大国意識の高揚は、アメリカとの利害対立や近隣諸国の対中認識の悪化につながる。中国に対しては、対外的に大国として振る舞うよりも、国際経済に統合されることが自国の繁栄をもたらすこと、国内の政治・社会・経済問題の解決にエネルギーを集中すべきこと、その解決のためにわが国が協力する用意があることを繰り返し伝えなければならない。貿易・投資面では、ASEAN+3の枠組みで、わが国および韓国との関係を強化することが経済発展に寄与することをこれまで以上に意識させなければならない。他方、ブッシュ政権に対しては、アメリカの対中認識をよりバランスのとれたものへ転換するように促すべきである。国際経済への統合を強めたからといって、中国の政治体制が変革すると考えるのは短絡的である。 - イギリス化を回避し、アメリカ、東アジア、国連のそれぞれに確固たる基盤を築け
80年代末に多くの国際政治学者が主張していたのとは異なり、アメリカの覇権は90年代に入ってから衰退することなく、軍事的に他の追随を許さない唯一の超大国となった。わが国は、日米安保体制の下で経済的達成に専念し、冷戦の勝者となったはずであったが、90年代の経済パフォーマンスはアメリカにはるかに及ばなかった。アメリカは、冷戦後に兵力を継続的に削減しながらも、国際環境の変化に対応して、グローバルな展開力をもつ軍事力を保持してきた。
わが国は、近隣地域における冷戦構造の清算と新たな多国間安全保障メカニズムの構築を達成できないまま、ブッシュ政権の外交戦略に引きずり出される形で、グローバルな問題への関与を強めてきた。
ライス新国務長官の下で、第2期ブッシュ政権がわが国に対してこれまで以上に協力や支援を求めてくることが予想される。わが国は、自身の外交の理念、原則、戦略、そして外交目標を達成するための体制を早急に再構築しなければならない。避けるべきは、アメリカの戦略に付き合うために、従来の見解を拡大解釈することである。ミサイル防衛構想にしても、日米間の友好ムードに流されるのではなく、その効果を厳密に検討したうえで対応を決めるべきである。
外交実務担当者は、外交政策に価値観が強く投影されるブッシュ大統領と小泉首相の個人的な信頼関係を、成熟した国家間関係へと制度化させなければならない。多国間安全保障メカニズムの構築やFTA の締結はそれに大いに貢献する。 わが国はアメリカとFTA なり経済連携協定(EPA)を締結することにより、日米同盟を米中関係よりも高次の関係へと転換することができる。
アーミテージ国務副長官が2000 年にまとめた超党派の対日政策報告書では、アメリカとイギリスの間の特別な関係を、日米同盟のモデルとして捉えている。しかしながら、わが国が目指すべきは、アジアにおけるイギリスではない。 アメリカ、東アジア、国連のそれぞれに確固たる基盤を築き、国際情勢を睨みながら最適なポジションを確保することが、わが国の発言力の確保と国益の達成に有益である。
第2期ブッシュ政権の4年間に、わが国は同政権の行き過ぎた行動にブレーキをかけるべき場面に遭遇するかもしれない。日米関係の絆の強さが喧伝されているが、むしろ主権国家同士が100 %国益を一致させ、長期間行動を共にすることは稀であろう。小泉政権は、良好な日米関係をいかにして国益実現のために活用するのか、その手腕を問われる。日米関係と米中関係が良好で、中国が国際経済への統合を明確に意識し、東アジアにおいてFTA 締結や安全保障メカニズム強化の機運が高まり、国連改革が具体化しつつある今こそ、わが国が包括的かつ積極的な外交戦略を展開する好機である。